2011年12月31日土曜日

レディー・ガガ/ボーン・ディス・ウェイ

2011年のヒト。
LADY GAGA
Born This Way ('11)



今さら言うまでもないが、2011年の代表格アーティストはこの方だろう。
チャリティ活動にしろ、来日にしろ、ファッションにしろ、音楽関連の受賞にしろ……とにかく有言実行のお方だ。しかも、期待値を遥かに上回る実行力だった。
とりわけ、この2ndアルバムに関しては、1st&ミニアルバムの成功をもろともしない完成度を達成してきた。

「人種や性がどうであれ自分を愛しなさい」(M2『Born This Way』より)なんて、今さら言われるまでもないメッセージのはず。
ただ、このメッセージをガガが発することが、重要なポイントだったように思える。
異形の姿でメインストリームど真ん中に堂々と立ち、批判もファンの多大な期待も堂々と受け止めるガガが、最高にキャッチーな音楽とMVでもってぶち上げたステイトメントだから、今さら感も説教臭さもなかったのではないだろうか。

「この運命のもとに生まれてきた」というタフなメッセージや、個人的な恋愛経験とキリスト教観を股にかけるアート(M4『Judas』)を提示するだけあって、全体的に1st『The Fame』よりもボーカルが逞しくなっている。正直、曲のバリエーションの幅は1stよりも狭いのだが、リズム感の良さとさらに洗練されたPVなどのアートワークのおかげだろうか、アルバム全体のインパクトは強かった。
ガガ様ご愛好の「キティちゃんのリボンヘア」的可愛らしさよりも、衝撃の「生肉ビキニ」の危険さと妙なカッコ良さに近いかもしれない。

唯一気がかりなのは、この成功によって、ガガの「次」へのプレッシャーがさらに重くなったこと。もちろん、聡いお方なので、次なる壁のこともとっくにお分かりになっているとは思う。
引き続き、「栄光の果て」で輝いていてほしいところだ。

ペイン/You Only Live Twice

偏屈(?)男、大いに遊ぶ。

PAIN
You Only Live Twice('11年)



ペインを実質ワンマンで動かしているのは、ピーター・テクレンというスウェーデンのアーティスト。
ピーターの写真を初めて見たのは、ペインの5thアルバム『Psalms Of Extinction』のジャケット写真だった。

問題のお写真はこちら↓

目つきの鋭い三白眼、きっちりとオールバックにした髪型、不機嫌そうに結ばれた口……
この写真から受けたピーターの印象は、「偏屈な賢人」だった。
しかし、ひとたびペインの曲を聴けば、偏屈どころか誰よりも柔軟な感覚の持ち主であることが分かる。

ピーター・テクレンは、もともとヒポクリシーでデスメタルをやっている。ペインではそれとは打って変わって、シンセサイザーを多用したキャッチーなロックンロールだ。ヒポクリシーの範囲ではできないことを思う存分やるプロジェクトとも考えられる。
近年は、シンセよりもギターが前に出たフィジカルなサウンドという印象だったが、このアルバムは久々に冷やかなシンセの音に覆われ、全体的にサイバー色が強くなっている。
それと同時に、スラッシュメタル、ロックンロール、ダンスビートなど、さまざまな音楽のテイストが取り込まれている。この引き出しの多さが、ピーターの柔軟性の表れといえる。
特に異色なのがM5「Dirty Woman」。リフはヘヴィな北欧ロックといった雰囲気だが、ボーカルがAC/DCのブライアン・ジョンソンを彷彿させる、渋い酒焼け風の声になっている。デスボイスもクリーンボイスもカッコ良く操るピーターだが、この手のボーカルには、ヒポクリシーでもペインでも今までお目にかかったことがない。
こうした音楽性の自由さがペインの魅力であり、ピーターがペインを続ける醍醐味なのかもしれない。

2011年12月29日木曜日

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル

聖杯? そんなものもあったっけ。

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル('74年)
監督:テリー・ギリアム&テリー・ジョーンズ
出演:グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、エリック・アイドル、テリー・ジョーンズ、マイケル・ペイリン




私がこの映画に出会ったのは、ヨーロッパのとある安いシネコンだった。
ついでにいえば、モンティ・パイソンとの出会いでもあった。

それはいまだかつてないほどの衝撃だった。
映画が終わったときには、スタンディングオベーションしたいほど感動していた。
「何て徹底的に色んな人をナメくさった映画なんだ!!!」と。

神の命を受けたイギリスの王アーサーは、従者と円卓の騎士たちとともに、聖杯探しの冒険に出る……
という話のはずなのだが、アーサー王も騎士たちも聖杯探求とは関係のないエピソードにばかり巻きこまれるので、話の本筋を見失いつつある。しまいには、「……そこで終わり!?」と責任者(誰だか知らないが)のもとに押しかけたくなるほど、唐突で強引な結末を迎える。
もちろんその間、元ネタとなったアーサー王伝説、ひいては英国人をバカにしきったギャグ満載。TVシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』同様、農民から貴族様までコケにする。2011年現在も何かと揉めているご近所、フランスだってボロクソな描かれよう。
さらには、映画の始まりの始まり(本編が始まる前ですよ!)から終わりの終わり(フィルム/ディスクが止まるまでですよ!)まで、観ている人を徹頭徹尾バカにした小ネタを盛りに盛っている。

人によってはあまりにシュールすぎてついていけないかもしれないし、観客をナメた演出にイラっとするかもしれない。
逆に、このユーモアについていける人は、『空飛ぶモンティ・パイソン』や『ライフ・オブ・ブライアン』も観て、晴れてパイソニアンデビューできる……はず。

TVシリーズで各自さまざまなキャラクターを演じてきたパイソンズだが、この約1時間半の映画の中だけでも、1人が複数の役を受け持っている。
一番役の少ないグレアム・チャップマンでも、メインのアーサー王を含め3役。最多はマイケル・ペイリンの1人10役。テリーGとテリーJは、監督業も兼任している。
パイソンズを知っていれば、どのキャラクターが誰かはぱっと見て分かるが、中には「えっ、こいつって○○だったの!?」ってぐらい化けている場合もある。ある程度パイソンズに通じてきたら、改めてよーく見てみるのもまた楽しみである。

そんなメチャクチャ加減だが、実は時代考証はちゃんと考えられているらしい。(一部、意図的に時代考証がおかしくなっているところはあるが)
というのも、監督を務めたテリーJは、歴史学専攻であり、特に中世イギリスについては研究本も出しているほどの専門家。当時の衣装や生活状況などのディテールには割とうるさかったらしい。
これで全員ちゃんとした馬に乗っていれば……ねぇ。でも、結果的にはそれが笑いに効いたんだし、おかげで冒頭のアーサー王衝撃の登場シーンが生まれたんだから、むしろ良かった。

ちなみに、TVシリーズと同じ声優陣による日本語吹き替えも、相変わらず軽妙で聴きごたえあり。広川太一郎さんの「ちょんちょん」も聞けるし、アーサー王(グレアム・チャップマン)は山田康雄さんのおかげで、ときどき威厳が抜け落ちて世にも情けなくなる。
ただし、音楽の使用権利関係などで、吹き替え音声がない箇所があるのでご注意を。

あ、もしハマったら、この映画を基にしたミュージカル『スパマロット』もご覧になってはいかがでしょうか?
それが無理なら、お茶碗など活用して、「ココナツ乗馬法」の習得でも……。

ロッキー・ホラー・ショー@神奈川芸術劇場

フランク・N・古田新太。

リチャード・オブライエンズ・ロッキー・ホラー・ショー
2011.12.23. 神奈川芸術劇場
出演:古田新太、岡本健一、ROLLY

個人的に軽犯罪とみなしている駄洒落がサブタイトルになってしまったが……
出演者もファンも「フランクン・フルター」と「古田新太」の名前の相似を指摘しているが……
本当にそういう表現が、今回の舞台にはぴったりだったと思う。古田さんは、フランクのキャラクターを完全に自分のものにしていた。映画版『ロッキー・ホラー・ショー』のティム・カリー=フランクそのものとはちがうようでいて、とてもフランクらしかった。

10月末の川崎ハロウィンのロッキー・ホラー上映会では仮装参加者が多数だったが、この日は受付近くでマジェンタを1人見かけただけで、思いのほか仮装がいなかった。当日の寒さを思えば仕方ないのかも。
場内では、メイド服風の衣装を纏ったお姉さんたちが、ポップコーンを売っている。買った人にはもれなく、お姉さんによる「こちらのお客様お買い上げでーす!! ありがとうございまーす!!」という大々的アピールと、周りの人の拍手がついてくる。
上映会のときよりはおとなしめの会場だが、やっぱりロッキー・ホラー特有のどこかぶっ飛んだ雰囲気は保たれているのだ。

ちなみに、神奈川芸術劇場の3階席は、ステージを見下ろすと武道館よりも急に感じる。
高所恐怖症の人はちょっと注意が必要かもしれません。

ロッキー・ホラーの上映会では、スクリーン前で有志のファンたちがキャラクターを演じるのがお約束。小道具があったりなかったり(あってもパイプ椅子で代用だったり)のチープ&ラフ感と、溢れかえるキャラクター愛が魅力だった。

今回は本格的な舞台なので、セットも小道具ももちろんきっちり作られている。舞台背をスクリーン映像で演出するところもある。特に、後半の「物体転送装置」のくだりは、装置のセットが大々的に作られていたため、映画本編よりも筋の通った場面になっていた。

しかし、これだけ大がかりになっても、映画にあったチープ&ラフ感が保たれているのが良い。スクリーン映像のCGはどこか安っぽく描かれているし、ブラッドとジャネットが乗った車も2人がぎゅうぎゅうに詰まるほどの小さい(おそらく1人乗りの電気自動車)。大々的セットと上述した物体転送装置だって、昔のB級SF臭漂うローテク感丸出しデザイン。
B級エンターテインメントに関しては、安っぽさも魅力のうちである。

ところどころカットされたシーンがあったり(冒頭の結婚式シーンや、ロッキーをいじめるリフラフのシーンなど)、新しく付け加えられたシーンがあったりはしたものの、流れの妨げにはなっていないし、新しい演出を楽しめる余裕すらある。
当然、最大の魅力である音楽はカットされることなく順番通り。Rollyさん(エディ役で出演。エルヴィス風の出で立ちがアホかつ愛らしい)による和訳歌詞が、ぶっ飛んでいたり空耳っぽかったり、ロックファンがニヤリとする小ネタを挟んでいたりとこれまた楽しい。

最大の焦点はキャスト。全員キャラクター像を新しく築き上げつつ、オリジナルの「らしさ」はきっちりと踏まえているのだが、このクオリティが想像以上だった。
例えばロッキー。映画と違って喋るキャラクターだが、筋肉アピールと性欲中心に生きているあたりがロッキーたる所以。
個人的お気に入りであるリフラフも、映画より内股でカクカクした動きながら、本来のカッコよさはしっかり魅せてくれる(元祖リフラフ、リチャード・オブライエンはもともとカッコいいのだとこの場を借りて主張したい)。特に、「タイムワープ」でギターをかき鳴らす姿には感動すら覚える。映画版以上にフランクにボコられる姿も、かわいそうなような可笑しいような。
そして、古田新太さんのフランク! リフラフだけじゃなく、コロンビアやジャネットにも容赦なく全力パンチをお見舞いするほどバイオレントだが、そんな横暴ぶりすら素敵に見えてしまうフランクならではの魅力全開。しかも、ときどき可愛らしく見える。冷静に考えたらボンデージに網タイツのおっさんだというのに。(それはティム・カリーも同じか)
キャラクター1人1人に愛着を持ってしまうというロッキー・ホラーの楽しみが、ここでも完璧に再現されたのは、やはり嬉しい限りだ。

お楽しみは舞台本編が終わったあとも続く。
キャスト全員登場のあと、「時間と財力があったらまた観に来て」とフランク古田。しかし、客席を見渡して「時間はあっても財力はなさそうね」と、毒と笑いの一蹴。(でも確かにその通り)
「だったら今日めいっぱい楽しみなさい!」との声に、客席全員が立ちあがる。ロッキー・ホラー・ショーで立ちあがったとしたら、やることは1つ。「タイムワープ」のダンスである! もちろん、川崎ハロウィンで覚えたばかりの私も、座席範囲の許す限り踊りましたとも。
そのあとも、ハンドクラップや雄叫びが飛び交い、ステージ上のダンスは続き、Rollyさんはサックス型ギターで「ジングルベル」を爪弾き……神奈川芸術劇場は、もはやライヴハウスの様相だった。
ようやく現実世界に帰って来たのは、3度のカーテンコールののち、フランク古田がロックスターよろしく口に含んだ水をぷーっと吹き散らしてから退場し、場内アナウンスが流れはじめたときだった。

キャストもスタッフも、ロッキー・ホラー・ショーファンが集って制作したといわれる今回の舞台。
その文句に違わず、キャストの全身から、舞台の隅々から、そして音楽から、ロッキー・ホラー愛がビシバシと伝わってきたのだった。

2011年12月10日土曜日

アタリ・ティーンエイジ・ライオット@恵比寿リキッドルーム

アクションを起こせ。ライヴでも、社会でも。

ATARI TEENAGE RIOT
2011.11.17. 恵比寿リキッドルーム

フジ・ロック'11最終日。観たい観たいと言いながら、諸事情によりレッドマーキーに辿り着いたのは終演15分前。
そのときできることといったら、15分で1時間分踊り狂うことと、「あとで単独来日してくれよ……」と節に願うことだけだった。
この体力的&一部精神的な消耗が報われたと知ったのは、約2ヵ月後にCD店でアタリ・ティーンエイジ・ライオット11月来日公演のフライヤーを手にしたときだった。

オープニング・アクトは9mm Parabellum Bullet
なぜエレクトロニック系/政治的・社会的メッセージ濃厚なアタリに、生音ハードコアな9mmというジョイントなのかと思ったら、彼らがライヴのオープニングで必ずアタリの「Digital Hardcore」をかけているかららしい。
また、特に滝(G)と中村(B)はアタリの大ファンらしい。
さらに、韓国のフェスでアタリと会い、対バンの約束を交わしたという背景も菅原(Vo./G)が明かしてくれた。憧れのバンドとジョイントライヴ……音楽オタク憧れのシチュエーションである。
菅原いわく、「ウォームアップじゃぬるいし、ヒートアップじゃヒートテックみたいだし、バーニングアップで」。その言葉に違わず、ロックンロールも歌謡曲ばりのメロディも、ゴリゴリにハードな音でかき鳴らし、フロアが熱を帯びていた。滝に至っては、ときどきギターそっちのけで暴れ出していたが、こういうバカかってぐらいのエネルギー、個人的には大好物である。

9mmがバーニングアップなら、アタリは灰すら残さないぐらい燃え尽きる勢いだった。
開始直前ぐらいからフロアの人口密度と温度が上昇していたのだが、最新作『Is This Hyperreal?』のトップを飾る「Activate!」でステージが幕を開けた瞬間、フロアは突然サウナと化した。1000人近い人々が一斉に踊り狂い、一部の人はアタリのフラッグやステイトメントを書いたプラカードを掲げ、アレック・エンパイア(Vo./Programming)、ニック・エンドー(Vo./Noise)、CX・キッドトロニック(MC)と共にシャウトするのだから、熱くなるのも当然か。汗だくになるペースが予想以上に早く、わずか2曲目で体力が持つかどうか怪しく思えた。
……だというのに、アタリの面々のエネルギッシュなこと! どれほど時間が経過しても、疲れた様子がカケラも見えない。ちょっとオーディエンスがヘタっていると、アレックがガンガン煽ってくる。サウンドもぶっとく容赦なくガンガン鳴り響いていて、実はノイズの衝撃でフロアの壁に亀裂が入ってるんじゃないかとさえ感じる。
これほどのパワーがあるからこそ、「Are you ready to testify?」(証言する覚悟はいいか?)「How much blood will it take!?」(どれだけ血を流せばいいんだ!?)といった叫びが、恐ろしいほどリアルにぶつかってくるのかもしれない。そしてオーディエンスも、同じ叫びをぶつけかえすパワーを引き出されているのかもしれない。

フジのステージでは「今日本に行くのは危険だっていうけど、今こそ日本でプレイするときじゃないか」と叫んでいたアレックだが、今回は明確なステイトメントを語ることはなかった。
しいていうなら、オーディエンスが持っていた「ANTI 原発 RIOT」(裏面は『原発反対! 責任トレ!』)のプラカードを受け取って高々と掲げたことが、自らの姿勢の表明だろうか。
声明文を読み上げるような「Is This Hyperreal?」の詩を叫ぶ姿も、新旧のファンを前に、改めてバンドのステイトメントをぶち上げているように見えた。
しかし、アレックがここまで言い切って/やり切っているにも関わらず、悪化の一途を辿っている現状では、アタリに合わせる顔がないように思える。オーディエンスがどの程度原発に否定的なのかは分からないが、「今のままじゃヤバいんだ!」というパワーに突き動かされて拳を振り上げていた人は多いんじゃないだろうか。

メタルを彷彿させるノリと性急なビートの「Speed」で本編が終了したかと思いきや、ほどなくしてメンバーがステージに戻り、ほぼ燃え尽きたかに見えたオーディエンスを「Start the Riot」で再燃させる。最後の「Revolution Action」は、前述した「今のままじゃヤバい」パワーをオーディエンスが出しきった最骨頂だろう。
曲が終わってなお、アタリは延々サウンドをぐわんぐわんと響かせ、リキッドルームをノイズの洪水で呑み込んだ。オーディエンスの大半は、ノイズに呼応するように拳を掲げ続けていた。この音の波が何分間続いていたのかは分からない。終わりがないようにさえ感じられるほどだった。
轟音が消えてフロアの照明がつくころには、ニックとCXはステージを去っていたが、アレックはしばらく残って握手をしたり手を振ったりしていた。
アレックの姿はアルバムアートワークや雑誌の写真で知っていたものの、明るいところで比較的近くから見ると、改めて「普通の好男子」だと思う。ただ、人混みに紛れたら分からなさそうなこの普通の男のメッセージが、世界を揺さぶり続けているのだ。

90年代にアタリが作ったサウンドは今でも生きている。普遍的にカッコいいことは単純に素晴らしいと思う。
その一方で、アタリが発したメッセージが今でも効力を発揮しているということは、世界の政治的・社会的変革はまだまだ進んでいないし、提起された問題もまだ解決していないと言われているようで、どこか歯がゆい気持ちにもなるのだった。

2011年フジロックのアタリのステージ。
自分ほとんど見逃してましたが……↓

2011年11月23日水曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第2シリーズ第4話



サナギから蝶へ!
テリーGのアニメーションから始まるオープニングはパイソンズ初。イモムシの顔が、テリーGによく使われる変質者の顔なのは謎だが。

建築コント
今回、第1シリーズ第9話から登場のガンビーたち(テリーG以外の5人)が番組司会を務める。もちろんアホのおっさんたちなので(それ以前にパイソンズなので)、マトモな進行はやってくれない。
まずはマンション建築プランのプレゼンを巡るスケッチ。1つは蓄殺場専門業者による設計、もう1つは超絶欠陥設計、建築業者は「とりあえず庶民には安い家叩き売ってりゃいいや」スタンス、そのうえフリーメイソンまで絡ませ……パイソンズが見る限り、建築業界はロクなとこじゃないらしい。

フリーメイソンを見分ける方法
フリーメイソン同士は独特の握手をするという話がよくあるが……こんなに分かりやすかったらもう秘密結社じゃないって。

悪質保険業者コント
パイソンズに関わらず悪者扱いされることの多い保険業者。金は払ってくれないが、裸の美女はたくさんサービスする保険に「悪くないじゃん」と思ったあなたは幸せかもしれない。
ちなみに、最初にあしらわれる顧客(グレアム)に表示される「Straight man(脇役)」のテロップ、まさかグレアムがゲイであることにかけて「ストレート」というギャグでは……。

ザ・ビショップ
主教(テリーJ)が、教会で起こるさまざまな事件の現場に駆けつける……けどいつも手遅れなハードボイルドミステリ風映画。日本でも、住職や尼僧が事件に関わるミステリものがあることはあるが、ここまでギャング風ではない。聖職者茶化しは前回もやっていたが、主教のガラが悪い分こっちのほうがいろいろ問題ありそう。
なお、映画のオープニングのテロップ「EのC映画(C of E films)」とは、「Church of England(英国国教会)」の意らしい。いっそ本当に教会が作ったらおもしろいのに……という意見は危険だろう。

ドキュメンタリーなんてくそくらえ
BBCはドキュメンタリーを多く制作していて、評価も高い。最近話題の自然・野生動物をテーマにしたドキュメンタリー映画の多くはBBCの作品。
かといって、自分たちの生活を勝手に住宅難問題ドキュメンタリーの題材にされたら、たいていは怒る。もっとも、この夫婦(夫マイケル、妻グレアム)の住環境にツッコむなってほうがムリだが。

一家に一台・詩人をどうぞ!
本来なら、ご家庭にワーズワーズなどの詩人が置かれているというコンセプトにツッコミを入れるべきだろう。しかし、詩人点検係(マイケル)にやたら積極的に迫る若奥様風テリーJのインパクトが強すぎて本筋を忘れてしまった。

5匹の呪われたカエル
カエルの呪いは魔法で解きましょう。しかし、カエルから人間に戻った実体がこれでは……呪いは解けていないのでは?

薬局
薬を渡しがてら盛大に病名をバラす薬剤師(ジョン)は絶対に嫌だが、「香り(原語ではrequisite)」の一単語だけ発音をおかしくする薬剤師(マイケル)も何となく避けたい。
スケッチの間に挟まれた「何のアフターシェーブローションを使っているか」街頭インタビューでは、回答者にガンビー、枢機卿(第2シリーズ第2話登場)、ケン・シャビー(第1シリーズ第12話登場)となじみの顔がいたりする。

空飛ぶモンティ・パイソン 第2シリーズ第3話



主教のリハーサル
パイソンズおなじみ権力者茶化し、今回のターゲットは高位聖職者。何のリハかは想像力で補うこと。
動物のはく製が次々に爆破されるネタは、過剰な動物愛護精神への挑戦状らしい。

飛ぶ教室
飛行訓練教室のロケーションがそもそもおかしいとか、飛ぶ訓練って飛行機じゃなくてそっちですかとか、ツッコミどころに欠かさないスケッチ。が、最後に英国旅客機操縦士協会の男(エリック)から寄せられたツッコミは、「そこですか!?」という細かいポイント。
第1シリーズでは、スケッチ同士のつなぎとして「道徳的によろしくない」「職業差別だ」といったクレームの手紙をネタにしていたパイソンズだが、今回はムダに細かいクレームをテレビ番組に寄せる視聴者をネタにしているらしい。

英国航空ハイジャック
ハイジャック事件が多発していた70年当時、というか現代から見ても、世界一ソフトなハイジャック犯(マイケル)。いや、ハイジャックの内に入れてはいけない。

ケチな詩人、ユアン・マクティーグル
これもまたパイソンズがよくやる、スコットランド人偏見ネタ。いわく「金に関してケチ」。
もちろん、あらゆる偏見に手を出すパイソンズなので、「差別だ!」といったところで今さら。そもそもこの番組にゴーサイン出してるプロデューサーがスコットランド人だし。
ついでに、ケチなスコットランド人(テリーJ)が出した「金貸してくれ」手紙が「素朴さが売りの斬新な芸術」と解釈されるというネタで、芸術をバカにすることも忘れない。

手の世界
手を植物や動物に見立てる手法は影絵でおなじみ。それが妙に毒々しく映るのは、テリーGの「ギリアニメーション」の成せる技か。

牛乳配達人スタイルの精神科医
牛乳配達は労働者階級の仕事、精神科医は中流以上の階級の仕事のはず。でも、パイソンズにとって階級差はネタにするためにあるようなものなので問題なし。ある意味問題大ありだが。

精神世界番組~デジャヴュの世界~
デジャヴュを検証するはずの番組で、司会者(マイケル)が何度もデジャヴュに遭う。というよりむしろ無間地獄に近いものがあり、見ようによっては怖い。

2011年11月14日月曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第2シリーズ第2話



人力飛行機
オープニングからサイレント形式のブラックな笑い。吹き替え版でアナウンサー(ジョン/納谷さん)が「責任持てんよ」と言うのも納得。

スペイン異端宗教裁判
15世紀末ごろから、カトリック以外の宗派を異端とし、凄惨な拷問と惨殺をくり広げたスペイン異端宗教裁判。今回の放送では、誰かが「スペイン宗教裁判」と口にするたびに、「まさかの時にスペイン宗教裁判!」を決めゼリフに3人の枢機卿(マイケル、テリーJ、テリーG)が来てしまう。
……が、数を数えられないわ、セリフを噛むわ、間違った小道具を持ってくるわと、その実力は新人俳優さん以下。かくして、異端審問をめぐる血みどろの逸話は遠くなりにけり。

BBCのジョーク「訪問販売コント」に出演
第1シリーズ第10話「あなたもコントに出ませんか?」に近いものがあるスケッチ。BBCから突然「チョイ役で出演お願いしますよ」と言われ、詳細も伝えられないままスケッチの現場に行くことになり、結局ネタが成立しない状態で帰される。この男(グレアム)は無事に帰されなさそうなので、第1シリーズのスケッチよりヒドいかも。
ちなみに、「本当は編成希望なんですが、高学歴が邪魔してね」と語るBBCスタッフ(ジョン)。イギリスでは、コメディアンおよびコメディ番組上層部は、高学歴人間が占めるところらしい。実際、パイソンズも全員高学歴。

税金問題
税金審議会の場で、次に税がかけられようとしている「アレ」。さらなる増税傾向にある現在の日本では、「アレ」の正体がなおさら気になる。

スペイン異端宗教裁判(その2)
いろいろと残念なザ・枢機卿ズ再登場。老婦人を拷問にかけるはずだが、その内容は……。
こんな親しみやすい異端審問だったら、歴史はメチャクチャ違っていただろう。

「嵐が丘」手旗信号バージョン
読んで字のごとく。パイソンズは、大作を茶化すために、顔芸も下ネタもドタバタも必要としない。

ジェスチャー刑事裁判
陪審員の判決や、次の被告の呼び立てをジェスチャー当てゲームで。「そこジェスチャーするまでもなく分かるんじゃね?」というツッコミは禁句。
まぁ、ちょっとした英語の勉強にはなるかもしれない。被告は「defendant(ディフェンダント)」、魚のエラは「gill(ギル)」、結び目は「knot(ノット)」、無罪は「Not Guilcup(ノット・ギルカップ)」……いや、最後のは違うか。
そして、最後の最後にまた「スペイン宗教裁判」の一言が。ザ・枢機卿ズの出番となるはずだが、番組はもう終了間近。枢機卿ズ最後の戦いは、エンド・クレジットとの競争だった。

空飛ぶモンティ・パイソン 第2シリーズ第1話

第2シリーズに入ったところで、面白さを伝えるために、できるところは動画を添付することにします。



オープニング
第2シリーズから、オープニングにはジョン演じるアナウンサーが登場する。イッツマンお決まりのセリフが「It's...」なら、アナウンサーお決まりのセリフは「And now for something completely different」(それでは、お話変わって)。
吹き替え版の場合、ときどき「責任持てんよ、ワシは」になっていたりもする。実際、パイソンズはかなりヤバそうなネタで幕を空けることもしばしばあるので、間違ってはいないはず。

内務大臣を迎えて
文字通り、内務大臣(グレアム)を迎えて住宅政策についての意見を訊く、普通の報道番組。
大臣が素敵なドレスをお召しになっていることと、本題にまったく入っていないことを除いて……。

新型ガス調理器コント
シリーズ1回目にしてテリーJのおばちゃん的魅力が活きるコント。
ただし、ここで問題なのは、正式な書類がないとガス調理器1つ取り付けられない労働者たちの方。杓子定規なのはお役所だけではないらしい。

空軍パイロットのヒゲ剃り
同じく、シリーズ1回目にしてテリーGのブラック過ぎるセンスが活きたアニメ。こんなヒゲ剃り、スウィーニー・トッドもびっくりです。

新聞販売店のエッチな客
アダルト商売の広告を、隠語を使って普通の売り込み広告に見せかけ、新聞販売店の掲示板に貼るという手口は実際にあったらしい。読む人が読めばピンとくるそうな。
しかし、この客(エリック)のように何でもかんでもそっち方面に解釈するには、相当な煩悩パワーが必要と思われる。

シリー・ウォーク
パイソンズを代表する傑作スケッチにして、究極の脚技。あまりに人気すぎて、あちこちで「バカ歩きやって」とリクエストされることにジョンは嫌気がさし、バカ歩きを封印してしまったのだとか。
ジョン演じる「バカな歩き方省」の大臣によると、当時イギリスのバカ歩きは国防に次ぐ予算を投じられていたらしい。しかし、これでも予算は削られたほうで、バカ歩きを申請する場合にも、よほどバカでないと補助金を出してもらえないらしい。
ちなみに、残念ながら補助金申請を却下された男(マイケル)は「ピューティーさん」と呼ばれている。第1シリーズ第2話「結婚カウンセラー」で、妻を他の男に取られても文句を言えないお人よしバカのアーサー・ピューティーと同一人物の可能性が高い。
とりあえず、このインパクトは一度見ていただきたいので、下に動画を添付しました。脚が長く関節が柔軟なジョンならではの凄技です。

蛙のエセル
何でこんなタイトルになったのかは分からないが、とりあえず報道特番。トピックは、最近逮捕されたばかりのギャング、「ピラニア兄弟」ことダグとディンズデール兄弟。
ピラニア兄弟の関係者たちが取材に答え、2人の人物像に迫っていく形式だが、肝心の兄弟は最初に写真がちらっと出てくるだけで(しかもパイソンズメンバーではなく、誰か分からない)、実物が姿を現すことはない。
関係者の中でも強烈なのが、弟ディンズデールの恋人(ジョン)。「(ディンズデールは)女形の扱いを心得ていたわ」と語るように、「ガールフレンド」とは言い切れない……。ただし、ジョンの女装キャラの中では、当社比で一番可愛げがあると思われる。
なお、弟を含めたみんなが恐れ、ルイジ・ヴェルコッティ(マイケル。第1シリーズにたびたび登場したイタリアン・マフィアの男)すら怯えさせた兄ダグの最大の武器は、「比喩、隠喩、パロディ、風刺などあらゆる表現を使った皮肉」。
あらゆる皮肉で人々を脅かすって、モンティ・パイソン自らのことでは……?

バカ歩きの動画はこちら↓

2011年11月11日金曜日

カンパニー・メン

上を見る前に、足元を見て歩け。

カンパニー・メン('10年)
監督:ジョン・ウェルズ
出演:ベン・アフレック、トミー・リー・ジョーンズ



日本人って好きだよなぁ、上を向いて歩くのが。確かに、3.11のような悲劇を目の当たりにして、それでも生きていくには大切なことだとは思う。
でも、上を向くのがいつも正しいってわけでもないだろう。上ばかり見てると、実は泥沼に足突っ込んでたことに気づかないかもしれない。

リーマン・ショックによる不況を機に敢行された、企業の大規模リストラ。クビを切られた1人、販売部長のボビーは、家族のためにも再就職先を探そうと努めるが、高給エリート精神が仇となってなかなか仕事にありつけない。勤続30年の重役フィルも、年齢のため再就職は難しい。やがて、CEOとは起業仲間で、会社のリストラ策を苦々しく思っていた重役ジーンにも解雇通知が。

「どんなときも、上を向いて歩こう」というキャッチコピーや映画予告を見る限り、日本の配給会社は「苦境でも前向きに頑張ろう」をコンセプトとしたいらしい。しかし、各キャラクターの動向を見ていると、配給会社が宣伝しているほど彼らはポジティヴではない。
例えば、ボビーは失業してなお子どもに高額なプレゼントをしたり、ゴルフクラブに通ったりと、高給エリートのステータスにしがみつこうとしている。彼よりよほど現実を見ている家族に支えられて、ようやく動き出し、慣れない肉体労働を始める。
逆にフィルは、一か八か元の会社の海外部門への就職を打診する行動力はあるが、家族には「失業したとバレるから早めに帰ってこないで」と邪険に扱われ、次第に行き場をなくす。
ジーンは、起業したばかりの頃を思い出し、当時とは変わってしまったCEOに幻滅し、原点に戻ることを考える。
進む道が決意であれ虚無であれ、彼らはみんな上ではなく、足元を見て歩いていた。そして足元を支えるものとは、家族であり、働くということの原点であった。

なお、リストラ社員の悲劇や復活劇がある一方、CEOが長者番付の上位に収まっているという、皮肉な実態がある。映画公開年を考えれば意図してやったことではないはずだが、ウォール街で大規模デモが起きている現在、実にタイミングのいい描写である。

ノーカントリー

世界の終わりのおかっぱ男。

ノーカントリー('08)
監督:ジョエル&イーサン・コーエン
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム



世界は核戦争によって終わるのではない。地球の内部崩壊で終わるのでもない。隕石の衝突でも、宇宙人の襲来でもない。
世界を終わらせるのは、世界の片隅にわずかに入ったヒビ。この場合のヒビとは、1人のおかっぱ頭の殺人者だった。

80年代のテキサス。ベトナム帰還兵のハンター、ルウェリン・モスは、狩りの最中に複数の死体を発見する。銃撃戦の痕跡、トラックの荷台いっぱいの麻薬、そして大金の入ったバッグ。
ヤバい金と知りつつも、モスはバッグを持ち逃げしてしまい、麻薬組織に雇われた得体の知れない殺人犯、アントン・シガーに追われるはめになる。
一方、モスが発見した銃撃戦跡地の事件と、シガーによる一連の殺人事件を担当することになった保安官エド・トム・ベル。彼はモスが窮地に陥っていることを悟り、モスとシガーの2人を追跡する。

ここまでは、優れた逃亡/追跡劇サスペンスである。しかし、終盤に行くにつれ、物語はそこから逸脱していく。サスペンスと呼ぶには、あまりにも不条理に満ちた映画だ。
不条理を具現化したようなシガー、不条理に正面から立ち向かうモス、不条理に翻弄されるベル。サスペンスに重点を置いて観ていると、それぞれが迎える結末に納得できないかもしれない。

不条理に覆われた映画だけに、不条理の具現化たるアントン・シガーは、映画全体を食いつくさんばかりの存在感である。
国籍不詳。欲も怨念もトラウマも快楽もない。コイントスで生死を決めるなど、本人にしか分からないルールで生きているものの、基本的にはただ突然やってきて、突然命を奪っていくだけ。
特徴は七三分けのおかっぱ頭。ときに酸素ボンベ付きの蓄殺用エアガンを持っていたりする。その佇まいはいかにも滑稽なはずだが、実際のところ、そこにいるだけで怖い。恐怖は、滑稽さというフィルターに通すと、増幅するらしい。

ベルは、しばしば最近の犯罪の異常性と、正義と秩序が失われつつある世の中を嘆く。しかし、シガーによる殺人事件は、秩序の乱れや異常犯罪だけで測ることができない。ベルもモスも、昔ながらの正義や戦場の経験など、それまでの価値観や信念ではどうにもならないものに出くわしたのだ。
とはいえ、この話は80年代のテキサスに限ったことではない。今も昔も、どこの国のどの場所でも、大した理由のない殺人や暴力が起きる。ベルの言う「世の中の崩壊」は、この当時に始まったことではないのだ。

物語の結末はあまりにも唐突に訪れ、観客は映画のキャラクターともども、希望があるのかないのか分からないこの世界に残される。もとよりコーエン兄弟は通好みの監督だが、通の間でも賛否両論あるかもしれない。
もし、この作品に魅了されたなら、最高にとんでもない不条理と、笑ってしまうほどの怖さを味わえるだろう。

2011年11月4日金曜日

ロッキー・ホラー・ショー@川崎クラブチッタ

今宵お集まりのユニークな皆様。

映画『ロッキー・ホラー・ショー』にハマった者たちの夢。それは、映画上映と舞台を同時に行い、観客も仮装してツッコミを入れたり小道具を使ったりするイベントに参加すること!
ロッキー・ホラー・ショーの真髄は、「観客参加型エンターテインメント」にあるのだ。

日本でロッキー・ホラーを体感できる数少ないチャンスが、10月末に川崎で行われるハロウィンイベント。ロッキー・ホラー上映会は、イベント開催当時からずっと続いている企画の1つである。
もちろん、観客は仮装の人が大多数。映画のキャラクターの格好の人もいれば、ハロウィンの流れでモンスターやコミックキャラ仮装のままの人もいる。
こんな出で立ちだからみんな玄人参加者なんだろうな……と思いきや、映画上映前に「初めての人ーー?」と訊かれて手を挙げる人が多数だった。

上映会の司会は、ロッキー・ホラー・ショーファンクラブ会長のBettyさん。ピンク・ルームの手術着フランクの仮装だ。上映会以前に、チッタデッラ広場のプレイベントも一度拝見している。(ちなみに、このプレイベントの「タイムワープ」ダンスも楽しかったし、キャスト陣の仮装のハイクオリティぶりに驚いたものです)

まずは、話題の海外ドラマ『glee』にロッキー・ホラー・ショーをテーマにしたエピソードがあるとのことで、gleeシーズン2のDVD告知。
続いて、12月から始まる舞台版ロッキー・ホラー・ショーの告知。フランクを古田新太さんが演じるあたりが興味大。
このときの告知映像に、リフラフ役にしてロッキー・ホラーの生みの親、リチャード・オブライエンの映像&コメントが映っていた。ロッキー・ホラーファンの神様の思わぬ登場に、場内は一気に拍手と歓声に包まれる。しかし、何より驚いたのは、このお方の容姿が70年代にリフラフを演じていたときからほとんど変わっていないことだった。

さて、告知も終わっていよいよ本題。といっても直ちに上映に移るわけではない。
ロッキー・ホラー上映会初参加となる人々(通称ヴァージン)の第一関門がここ。ヴァージン代表5名がステージに上がり、「誰が一番ヤらしくバナナを食べるか」を競うのである。……率直に言って、今回見た代表5名は、本当にロッキー・ホラーヴァージンか? と訊きたくなるほどハイレベルだった。優勝者に至っては「69」である。
初心者辱めイベントのお次は、初心者に優しい「タイムワープ」ダンスレッスン。この上なく妖しい執事&メイド兄妹リフラフ&マジェンタをはじめ、歌声とタップダンスがキュートなコロンビアらトランスセクシュアル星人たちの登場シーンで使われるダンスである。ファンなら覚えておきたいロッキー・ホラー名物だ。

「タイムワープ」のダンスシーンはこちら↓

こうした壮大な前振りを経て、ようやく映画本番。
ロッキー・ホラー・ショーが一般の映画と一線を画すのは、映画の場面に合わせて観客が小道具を使ったり、一緒に歌ったり、ツッコミ(ボケ?)を叫んだりできることだ。
小道具に関していえば、結婚式の場面では紙吹雪(海外ではライスシャワーだがここでは禁止)。雨の場面では頭に新聞紙(海外では水鉄砲使ってるけどここでは禁止)。我らがカリスマ、フランクの登場の場面ではクラッカーなどなど、パーティー感覚の楽しさである。
観客が何か叫ぶときは、「お約束のレスポンス」と「即興のツッコミ(ボケ)」がある。レスポンスでいえば、例えば平凡なカップルのブラッドに「asshole(バカ)」、ジャネットに「slut(アバズレ)」と叫ぶのが定番。
ツッコミ(ボケ)ができるのは、ある程度熟練のロッキー・ホラージャンキーだろう。しかも、他の人が笑って済まされるほどの適度なユーモアと毒気、それに度胸を必要とするのだから、なかなかに高度な技である。

せっかくなので、インパクトの強かった傑作ボケベスト5を挙げてみたい。
  1. 「ザキヤマーー!!」(犯罪学者の登場シーン。確かにチャールズ・グレイはアンタッチャブルの山崎並みに顔がデカイ)
  2. 「ズバリ、あんたはオカマでしょう!」(フランクの台詞『しかし秘密を発見しました』の直後)
  3. 「店長、万引きです!」(リフラフとマジェンタが、モニターでジャネットの部屋を覗き見する場面)
  4. 「惚れてまうやろーーっ!!」(ジャネットがロッキーの手当てをしてあげる場面)
  5. 「ごっつぁんです」(レーザー銃を持ったリフラフにスコット博士が片手を上げてたじろぐ場面)
スクリーン前でキャラクターを演じるのは、Bettyさん率いるロッキー・ホラー・ショーファンクラブ「LIPS」の皆様。1つのキャラクターにつき演者が複数いたり(マジェンタは3人いた)、誰一人演じてないキャラクターがいたり(スコット博士はフロア・ショーの場面まで不在)、小道具をパイプ椅子で代用していたり(ロッキーの鞍馬の代わり)と、手作り感に溢れている。しかしこのラフでチープな雰囲気が、小さな舞台で上演されていたころのロッキー・ホラー・ショーとダブるようで、不思議と味わいがあるのだから面白い。何より、有志の役者さんが嬉々としてキャラクターになりきっている姿は、「観客参加型」の極みといえる。

なお、密かに面白かったのが、スクリーンの真下で小ネタを見せるキャスト陣。カメラの移動に合わせて両腕を動かし、あたかも自分が画面を操作しているかのように見せる。あるいは物が投げ捨てられる位置に立ち、それにぶつかって倒れるかのように見せる。さらには稲妻の落ちる先に立ち、感電したかのように倒れる。
ラフなようでいて小技が効いている、コアな楽しみ方だった。

最後は再びタイムワープ。やはり、ロッキー・ホラーの魅力を全身でかみしめられるダンスだ。
かくして、「来年もまたやりたい!」という欲求は募り、ロッキー・ホラー中毒はさらに深まるのだった。

おまけ:ハロウィンパレードを牽引する巨大ジャック・オ・ランタン君。

2011年10月8日土曜日

ラムシュタイン/最愛なる全ての物へ

飴と鞭の間柄。

RAMMSTEIN
Liebe Ist Fur Alle Da('09年)



2005年秋のアルバム『Rosenrot』からおあずけをくらうこと4年。いざ出された前菜(=リード・シングル)に飛びついてみたら、露骨すぎるアホとエロの連続で大脱力した。それでもしぶとくメインディッシュ(=アルバム)を待ち、再び飛びついたら、「おまえが孤独でひとりぼっちなら 俺たちがいるではないか スイッチを入れろ」(M1『Rammlied』)と諸手を挙げて歓迎してくれる姿があり、うっかり彼らが戻って来てくれたことに感動してしまった。ファンであれば、この後ヤバい世界がやってくると重々承知のはずなのに。

このアルバムは、特に新しい試みや挑戦というわけではなかったものの、ラムシュタインファンの期待には沿っていたといえる。実録犯罪ネタ、SM、死に彩られた危険な世界が、重厚で硬質なメタルサウンドと、硬質さに輪をかけるドイツ語ボーカル、そのくせキャッチーなメロディーで、やけに耳になじんでしまう。その一方で、哀切感漂うM6「パリの春(Fruhling In Paris)」やM11「赤い砂(Roter Sand)」の美しい側面にうっかり聴き惚れてしまう。こうした性質の悪さも彼ららしい。
特に問題なのはリード・シングルでもあるM8「Pussy」。タイトルそのままのど直球ヤりたい精神丸出しリリックのくせして、エレポップばりのノリの良さと明るさ。PVに至っては限りなく無修正AVに近く、完全版を見るにはアダルトサイトまで行かなければならない。思えばここのアホエロ路線が、一番想定以上だった。
セカンド・シングルのM2「Ich Tu Dir Weh」(=俺はお前を痛めつける)も同様、文字通りど直球のSMリリック。こちらのPVでは、ティル・リンデマン(Vo.)が頬にピアスホールを空けて口の中に電線を通し、まず自らが痛そうな目に遭ってくれている。
彼らも彼らだが、ファンもファンでこの悪趣味をもっともっとと求めている。音楽を介したラムシュタインとファンの仲も、歓喜と苦難が入り乱れたSMめいてきているように思えてならない。

確かに、ティルが「慎重に機を窺うものは 時が来れば報われる」(『Rammlied』より)と歌ったとおり、このアルバムの発表でファンの4年間の忍耐は報われたわけだ。しかし、ライヴについては、2005年の川崎クラブチッタ公演以来放置プレイが続く日本。
ファンの本音は「人生は短すぎるので俺は待てない」(『Pussy』より)。ラムの皆様、いったいいつになったら待ち構える時が過ぎてくれるのでしょうか。

エド・ウッド

才能の無さが才能だった。

エド・ウッド('94)
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ、マーティン・ランドー



ダメな映画はしばしば「迷作」と呼ばれる。しかし、エド・ウッドの映画には迷いがない。迷うことなく、それはもう気持ちがいいほど間違った方向に突っ走り、ゴールでも何でもない地点で、勝手にゴールインを喜んでいるのだ。

エド・ウッドは実在した映画監督。『グレンとグレンダ』『牢獄の罠』『プラン9・フロム・アウター・スペース』など、ストーリーも演出も破綻しまくった、B級の遥か下の「Z級」といえる映画を撮り続けた。あまりのメチャクチャ加減に、「史上最低の映画監督」という称号が与えられている。
『牢獄の罠』と『プラン9』は私自身DVDで観たことがあるが、その破綻具合たるや、観終わった後にとてつもない脱力感に見舞われるほどだった。セリフが下手だの話の流れがおかしいだのは当たり前。銃で撃たれる役の芝居は下手だわ、フィルムを使い回すから同じ場面が何度も出るわ、墓石やUFOは手作り感丸出しになってるわ、宇宙人はただの奇抜なコスチューム着た人間にしか見えないわ……。
エドには撮りたい作品のビジョンがあった。強い信念もあった。何より映画への、カット1つ1つに対する、尽きることない愛情があった。ただ、「映画を作る」という才能が、致命的なほど欠落していたのだ。

この映画は、エドがかつてのドラキュラ俳優ベラ・ルゴシと出会い、ルゴシの遺作(?)『プラン9』を完成させるまでの伝記物語である。ここで描かれているエドの創作活動を見るにつけ、なぜ彼の映画がこうもメチャクチャな出来になったかが少し分かる。
「最初のカットにこそ真実がある」の信念に基づいて撮影しているため、どんなアクシデントが起きていてもすべてワンカットでOKが出される。しかも「パーフェクト!」と恍惚の表情さえ浮かべている。
プロデューサーが「(ボール紙の)墓石が揺れた」と文句を言っても、「そんなこと誰が気にする?」と気にとめない。この人には映画の欠陥というものが見えていないらしい。
ついでに、女装趣味のあったエドは、ときにカツラとアンゴラのセーター着用で撮影を始め、何も知らない人々を唖然とさせる。
しかし、映画一筋なエドのぶっ壊れ発言は、資金や身内の出演を第一とするプロデューサーたちの真っ当な意見よりも、妙にうまいこと映画ファンの心をとらえてしまう。実は酷評に落ち込んでいるにも関わらず、キャストやスタッフの前では明るくポジティヴに振る舞う姿、麻薬中毒に苦しんでいたルゴシを助け、限りないリスペクトを寄せる姿に、妙な愛着が湧いてしまう。
才能にこそまったく恵まれなかったものの、異常なまでの映画愛で突っ走れたからこそ、エド・ウッドは一部でカルト的な人気を得たのかもしれない。

2011年10月2日日曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第13話

これでようやく第1シリーズ分が終了します。



インターミッション(しばらくお待ちください)
普通は芝居や番組の中盤に入るインターミッションの乱発。第1シリーズ最終回はこのネタを引っ張る。
ちなみに、パイソンズ映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』でも、間違ったインターミッションの使い方を披露してくれる。

変人の多いレストラン
ここはベジタリアン向けレストランなので、動物の内臓や脳ミソは食べられないが、人間はメインディッシュにしてもOKらしい。
従業員はもちろん客層も変だが、ここに初めてやって来たらしいジョン(夫)とエリック(妻)も十分おかしいので、基準となるマトモな人は不在。ただ、女装エリックはジョンが言うほどブスでもない。(パイソンズ内では一番美女だろう)
ちなみに、吹き替え版と原語版に多少ネタの違いがみられるが、エリックの吹き替え担当広川太一郎さんのマシンガントークに原因があるような気がしないでもない。

マフィアのレストランCM
ルイジ・ヴェルコッティ(マイケル)3回目の登場。
イタリアの中でも、シチリアは特にマフィアの巣窟として名高い。『ゴッドファーザー』のコルレオーネ一家もシチリアン・マフィア。また、イタリア国内外を問わず、マフィアがレストランを経営し、資金洗浄の場として利用していることは多い。そりゃここにいたら、忘れられない一夜になりますね。

アホウドリ
劇場内のアホウドリ販売と、ジョンの巨大売り子。どちらに先にツッコミを入れますか?

ロッティンデンの警官ナンパ作戦
このスケッチも、吹き替え版がなぜかナンパに関係ない話になっている。吹き替えのネタもそれはそれでおもしろいけど、そのままでも十分通用するおもしろさなのに。

ミー・ドクター!
エリック・アイドルの紛らわしいおしゃべりネタ。何が起きているのか正確に把握するには、英語字幕を読む必要がある。

歴史上人物のモノマネ・ショー
イギリス人以外には伝わりにくいであろう国内限定ネタは、吹き替え版で差し替えられている。例えば、ジュリアス・シーザーはラグビー実況アナウンサーの声マネをしているのだが、吹き替えでは単にオカマ。エリックの表情と仕草を見れば、それでも違和感はないのだけれど。
もっともブラックなのは、ナポレオンによる航空機墜落事故モノマネと、洗礼者ヨハネによるグラハム・ヒル(F1ドライバー)のモノマネ。

子どもインタビュー
第3話以来の子ども(エリック&マイケル)登場。
マイケルの言うラクエル・ウェルチは、『恐竜100万年』の毛皮ビキニが有名な女優兼グラビアモデル。写真を見る限り、小学生にとっても彼女はいい夢かもしれない。
この記事のためにラクエル・ウェルチを検索してみたところ、70歳をすぎた現在でもスタイルと美貌をキープしていることに驚いた。

警察のおとぎばなし
このあとにつづく報道特番ネタの前ふりネタらしい。それにしても、自分で犯罪者を空気で膨らませて作り、自分で追いかける警察というのは、妙なところでリアリティがある。

報道特番~魔法による警察の犯罪捜査~
非科学的とはいえ、これで検挙率上がるんだったら文句はない。魔法使いになりたいがための警官志願者だって増えるだろうし。

アッティラ大王の自首
歴史上の英雄とよばれる人々は、多くがイコール大量殺戮者。アッティラだろうとそうでなかろうと、逮捕・罪状追求しはじめたらきりがない。
そんな大量殺戮の英雄(……と同じような名前の犯罪者?)が、人畜無害の好男子(しかも公認会計士風)マイケルというあたりが最大のブラックジョークかもしれない。

不安な精神科医
吹き替え版のマイケル(青野さん)が指摘しているように、医者の不養生というやつか。精神不安定な精神科医(ジョン)に診てもらうのも嫌だが、精神不安定の気があるうえに猟奇趣味もありそうな外科医(本物の医者グレアム)に手術してもらうのもかなり嫌。

スクォッターズ
squatter=不法居住者。「不安な精神科医」スケッチの続きで、患者ノトロブさん(マイケル)が抱える問題の原因が明らかになる。明らかになったからどうなるという問題でもないのだが。
この頃から、山田康雄さんの吹き替えに「いーんだよなぁ」というセリフが定着してくる。やはり口調はどう聞いてもルパンだが、なぜかグレアムにも合っている。

ロマンスと笑いのエンディング?
せっかくシリーズ最終回なので、ロマンスと笑いに走ってみました。ただし、テリーG流の感性で。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第12話



人事異動
……いやいや、こういうのは人事異動とはいいません。むしろ誰か止めろ。
それとも、王室すらネタになるイギリスでは、死も一種のギャンブルになるのだろうか。

訳のわからない報道特番
問題について考え、深く掘り下げるのが報道特番の面白味。しかし、考えすぎたり、掘るところを間違えたりするとこうなる。

ヒトラーのいる民宿
「実はヒトラーは生きていた!」という、実際にあったお笑い都市伝説的なデマを参考に作られたスケッチ。しかし仮に生きていたとしても、このザマでは……。

警察署コント
「話の通じない警官」をパイソンズ流に揶揄するとこうなる。ある特定のタイプの声しか認識できない警官たちの掛け合いは、吹き替え版で聞いても一級品。特に山田康雄さんの最後のセリフ「♪パトカー全車にぃぃぃつたぁぁええるぅぅぅっと」は絶品。

第127回上流階級アホレース
パイソンズの上流階級茶化しものの中で特に有名なスケッチ。登場する上流階級のアホたちは誇張がすぎるとしても、実際に「名家のはた迷惑なバカ息子」はいそうだ。
レースの障害物の中に、車のドアを閉めて騒音を出す「安眠妨害」があるが、これは昔、夜中に高級車でバカ騒ぎする上流階級の若者に大迷惑を被ったジョンの実体験に基づいているらしい。
ちなみに吹き替え版では、レース終盤に近づくにしたがって誰が誰だか分からなくなってしまったらしく、実況さん(青野武さん)が名前を取り違えている。

バラバラになる下士官
軍人の「咳払い」って男らしいんでしょうか? どっちにしても、ムリに男らしく振る舞おうとすると、痛い目に遭うようです。

ケン・シャビー
パイソンズはどんな人も平等にバカにする。労働者階級だって品はないし、上の階級に比べると学はない。というわけで生まれたのが、労働者階級的アホのケン・シャビー。

ウッド党の政見放送
元のネタではウッド党党首(グレアム)は地球の裂け目に落っこちたのだが、吹き替え版では「国民との深い溝」に落ちたことになっている。後者のほうが現実に即しているようで怖い。いったい何十年間、何千人の政治家がこの溝に落ちていることか。
ここでも山田さんが大活躍。「うわーー」「あらーー」といった絶叫に小技が効いている。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第11話



王立交響楽団、トイレへ!
コメディのレベルとしては低いイメージの「便所ネタ」は、高貴で格調高い女王陛下のオーケストラと掛け合わせるに限ります……ってことらしい。

歴史の世界(その1)
……というか、葬儀屋の世界。ペストや黒死病の時代は葬儀屋の黄金時代、交通事故多発地帯は葬儀屋のオアシスってか。
この回は葬儀屋ネタが続く。

アガサ・クリスティー風コント
格調高そうな邸宅、密室殺人という要素は一応アガサ・クリスティー風だが……。とりあえず、収束がつくなんて思っちゃいけない。

サッカー選手インタビュー
イギリスのサッカーは労働者階級のスポーツ→労働者階級の教育水準は低い→小さい頃から練習してるサッカー選手はあまり勉強してる暇がない→ゆえにサッカー選手はアタマ悪い! という偏見ネタ。そういえば、労働者階級訛り丸出しのデヴィッド・ベッカム選手が、昔日本の報道では「貴公子」扱いだったのは皮肉な話。
ちなみに、何かと高圧的キャラの多いジョンだが、どんぐり眼でキョトン顔になると非常に愛らしい。

インタレスティング・ピープル
「奇人変人ショー」のことらしい。身長1cmの男、猫にインフルエンザをうつす男、煉瓦を眠らせる男など、色んな意味でスゴい人々が出てくるが、そんな人々を受け流しつつ、拍手ボタンを押しては笑顔をふりまき続けた司会者(マイケル)が、実は一番スゴいのかもしれない。

葬儀されてしまう葬儀屋
色んな人の棺を墓場まで送ってきた葬儀屋。自分たちは棺に入っても自力で墓まで向かいます?

歴史の世界(その2・セクシーバージョン)
姿はキャロル・クリーブランド(セクシーな女性)、声はジョン・クリーズ(ゴツい男性)。こんなタイラー教授の「18世紀の法制度講義」、集中できますか? それどころじゃありませんか?

歴史の世界(その3)
第9話に登場したチョビ髭のおっさん、ガンビーが初の増殖。マイケル、テリーJ、エリック、グレアム、ジョンが順番に演じている。この頃になって、ガンビーは「アブナイおっさん」から「アホのおっさん」キャラで定着。そんなガンビーだらけなので、トラファルガーの海戦を巡る議論は行われない。
一方、バトリー町婦人会は、真珠湾総攻撃の再現劇を実施。戦争は、おばさん同士がハンドバッグで殴り合って泥仕合くり広げるだけのものであってほしい。

2011年9月30日金曜日

チェンジリング

あなたなら、どう生きるか。

チェンジリング('08)
監督:クリント・イーストウッド
出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチ



事実は小説より残酷で悲しい。それでも事実を生き抜いた人がいることを、イーストウッドは観客に知らせる。そして、「あなただったら……?」と、壮大な問いかけを投げる。

1928年のロサンゼルス。電話交換手として働くクリスティンの息子、ウォルターが失踪する。5ヵ月後、ようやく息子が見つかったとの知らせが警察から届く。喜んで駆けつけたクリスティンだが、そこにいた「息子」はまったくの別人だった。
人違いを訴えるものの、警察はこの少年が彼女の息子と主張して譲らず、逆にクリスティンを異常者扱いし精神病院へ閉じこめる。しかし彼女は、警察の不正摘発に熱心なブリーグレブ牧師の手を借りて、警察のずさんな捜査体制を訴えに出る。

悪徳警官や権力者の横暴は、これまでも映画でさんざん描かれてきたが、ここではおおむね事実であるだけに恐ろしい。逆に、クリスティンの母親愛と芯の強さは、事実であるだけに痛ましくも素晴らしい。
クリスティンと警察との戦いだけを見れば、弱い立場の一市民が権力に立ち向かっていくドラマだ。しかし、ウォルター失踪事件には、世間を震撼させるもう1つのおぞましい事件が関わっていることが分かるため、権力をやっつける痛快さはない。たとえ進展があっても、一応の解決があっても、そこには常に冷たく重たい事実が影を落としている。
ただし、イーストウッドは最後にひとすじの光を残した。それは決して安易なハッピーエンドではないし、極めて不確かなものだ。それでも、クリスティンにとっては確かなものであり、それがあったからこそ彼女は生き続けたのだろう。

アメリカの歴史には、本作で描かれている事件のような闇がある。それでいて、闇に光を当てる本作のような映画を認め、大々的に公開する懐の深さもある。
イーストウッドは、祖国の懐の深さと暗い歴史の間で絶妙なバランスをとりながら、深い人間ドラマを描くことに秀でた監督である。

2011年9月28日水曜日

レッド・ドラゴン

人食いを食う男。

レッド・ドラゴン('02)
監督:ブレット・ラトナー
出演:アンソニー・ホプキンス、エドワード・ノートン



女性を殺して皮膚を剥ぐバッファロー・ビル(『羊たちの沈黙』)。顔を破壊された復讐に、おぞましくも面倒な殺害計画を企てるメイスン・ヴァージャー(『ハンニバル』)。いずれもインパクトを残す残虐なキャラクターのはずだが、シリーズの中心たる御仁には存在感を食われっぱなしだった。
本作の殺人鬼レッド・ドラゴンは、一家殺害という犯行は残忍にしても、グロテスク度においては前二者にやや劣る。だが、その存在感は御仁に劣らない、もしくはそれ以上だった。

『羊たちの沈黙』のように、レクター博士は監房からすべてを操る。かつて自分を逮捕した捜査官グレアムに、殺人鬼のプロファイルを依頼され、ヒントを送る。
その一方で、密かに殺人鬼とコンタクトをとり、グレアム殺害の指示を送る。世間を騒がせる凄惨な事件も、御仁にかかっては、追うものと追われるものに知恵をつけて高みの見物という一種の娯楽。グレアム殺害指示さえ、自分を逮捕した復讐という感覚はなく、監房でディナーのセッティングをしてくれたシェフを一瞬ビビらせるのと同じ、レクター流「お茶目」のようである。事の顛末を思えば、ずいぶん猟奇的なお茶目もあったもんだが。

助言を求めてレクターの監房を訪ねるのは、元捜査官のウィル・グレアム。レクター博士の殺人を見抜き、傷を負わされながら逮捕に至ったものの、その後FBIを辞めていた。しかし、元上司のクロフォードの要請で、2件の一家惨殺事件の調査に乗り出す。レクターと対峙するシーンの緊迫感が『羊たちの沈黙』ほどではないのは、カメラワークのせいか、はたまたクラリスに比べると幾分「レクター慣れ」しているせいか。
レクター博士はグレアムに、「なぜ君は私を逮捕できたか分かるか?」と尋ねる。その答えは、グレアムを優れたプロファイラーたらしめるものであり、実はグレアムが非常に危うい存在であることの表れでもある。

そして、御仁を食う勢いの存在感を見せつけた、レッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイド。
小説の映画化に当たって、大部分を省かざるを得ないのが、ダラハイドの幼少期である。彼のトラウマがレッド・ドラゴンを生み出すベースになるという重要なポイントなのだが、それを事細かに描くのは無理がある。
そのためにレイフ・ファインズが起用されたのではと思う。次に目をつけている一家の映像を見つめるときも、いけ好かない新聞記者を始末するときも、常に目元は哀しい。レイフの目の色は澄んだ青なのに、深い陰があるように見える。トラウマを刻みこまれたと分かる目元であり、レクターとはまた違った、人を惹きつける目である。そのため、残酷な殺人犯と分かっていても、完全なる怪物として見ることができないのだ。
トラウマと殺人計画のために交流を避けてきたダラハイドの心に唯一近づいたのが、盲目の女性リーバ。レクターがクラリスに出会う前のこの物語では、ラブストーリーの中核にいるのはレッド・ドラゴンと、ダラハイドにとっての太陽を纏う女だった。

ストーリーの流れはおおむね原作に忠実で、改変したポイントもそう悪くない。ダラハイドの過去がカットされている点を除けば、ここぞというポイントは映像化してくれている。音楽がいかにも緊張感を煽るようで少々気に障るところがあるものの、俳優たちのやりとり/ぶつかり合いは興味深い。監督は、いっそ主要キャスト1人1人が関わり合いになるシーンを撮りたい……! という欲求にかられなかったのだろうか?

2011年9月24日土曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第10話



あなたもコントに出ませんか?
夫(マイケル)と一緒に朝飯を食い、コートを着せてあげ、ついでに髪を整えてあげる。一連の動きがあまりにもおばちゃんとして自然体なテリーJは、コント出演を渋る夫の背中を押してあげるところといい、ある意味理想的な妻?

間違えた銀行強盗
意図せずしてお茶目な強盗(ジョン)なんだから、ブルマーぐらいくれてやりなよ。

お寒い番組司会者
うっかり「私を古いモホだちと思って…」と口走ったり、後に再登場したときはマッチョ男写真集を見ていたり。オープンゲイであるグレアムの自虐ネタか?

アーサー・ツリー
出演者全員が木(またはプラスチック版)で、しかも口だけがついていて喋る。スタジオ美術と技術の偉大なるムダ使い。

職業カウンセラー
株屋と並ぶ、パイソンズ的「退屈で面白味のない職業」は、公認会計士。街頭インタビューネタに利用される二大職業でもある。面白味のありすぎるマイケルは、なぜか気弱な公認会計士役が似合う。

ドーバー海峡をジャンプする男
無茶な企画に駆り出されながら、意気揚々と破滅へ突っ走る男ロン(テリーJ)。ここまでアホだと、悲惨な人生も充実して見えるんじゃないだろうか。
無茶企画の考案者として、イタリアン・マフィア風の男ルイジ・ヴェルコッティ(マイケル)が、第8話に続き再登場。

ペット・ショップ
ここに登場する店員は、「死んだオウム」の店員とほぼ同一人物じゃなかろうか。マイケルだし。やってることは「死んだオウム」の店員よりヒドいけど。

ゴリラの図書館司書インタビュー
ゴリラの中身(声)はエリック。中身エリックのゴリラなら採用してもよさそうに思えるけど、喋り出したら止まらなさそうだしな。

深夜の訪問者
なぜか異常にモテるテリーJ奥様。無理があるように見えても、テリーJのペッパー・ポットを見慣れるとだんだん女装に違和感を感じなくなる。うっかりすると可愛らしくさえ見える。
一方、アホのつくお人よしでいかにも退屈な男だけど、ある程度の下心とズルさは持っているマイケルの旦那。先の「あなたもコントに出ませんか」スケッチといい、この2人は結構いい夫婦かもしれない。

2011年9月23日金曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第9話



ラマ
偽スペイン人たちがフラメンコ風に教える偽ラマ情報。多少真実が含まれていたとしてもアホな情報のみ。試験に出しても試験対策にしてもいけない。

鼻にテープレコーダーが入った男
鼻から国家(ラ・マルセイエーズ)が流れるという不謹慎さを取っ払えば、単にマイケルが(後にはグレアムも一緒に)鼻に人差し指をさしているだけ。しょうもない場面を知性で引き伸ばすパイソンズの技。

乱視のキリマンジャロ登山隊
素人が単独で富士山に挑むのと、この登山隊に参加するのとでは、どちらが危険だろうか。

百科事典をセールスする神父
パイソンズ流・ヤな奴と権力者同時潰し定理=セールスマン+神父÷色欲。

散髪恐怖症の床屋さん~ランバージャック
散髪を恐れるあまり殺人衝動まで抱える床屋。ティム・バートン映画で有名になった殺人理髪師スウィーニー・トッドのパロディ?
と思ったら、「本当は木こり(=ランバージャック)になりたかった」という床屋さんの一言から、スケッチの流れは一転。森林警官隊と一緒に「ランバージャック・ソング」を歌い出す。しかし、男らしい木こりの歌のはずが、最終的には……。このアイディアは床屋さん役のマイケルの発案らしい。ランバージャックもまた、パイソンの人気スケッチの1つ。

ガンビー教授のTV番組批判
頭にハンカチを被り、メガネ、ちょび髭、サスペンダーつき半ズボン、ゴムブーツ……という出で立ちのややアブナイおっさんがガンビー。近所のおっさんをモデルに作り上げたらしい。このときはグレアムが演じているが、他のメンバーもたびたびガンビーに扮して増殖していたりする。メンバーで一番ガンビーが定番化したのはマイケルだった。

ナイトクラブの司会者
おしゃべりエリックによる長ーーーい前口上。いくら尊敬してやまないお方でも、ここまで紹介を引き延ばしてその素晴らしさを語れるだろうか。

アッパー・クラス・バカ狩猟コント
いまだ階級社会が生きているイギリス。ヒエラルキーの頂点に立つ上流階級をパイソンズがコケにしまくるのは、もはや当然。

招かれざる訪問者たち
階級を1つ隔てれば、言葉の訛りも生活様式も大きく異なる。また、上の階級ほど下の階級を見下す傾向にある。というわけで、お宅に勝手に上がりこんでくる労働者階級の軍団は、住人の中流階級男(グレアム)にとってはほとんど悪夢。特に、テリーJおばちゃんと、マントとパンツ一枚のテリーGがいる場合は……。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第8話



1970年いまどきの軍人
入隊しておきながら、「危ないんだもん」「死んじゃうよ」「大きな戦争になったらケガするよ」と、上官に辞める宣言を出す新兵。自称「臆病者」だが、ある意味勇敢な行動にも思える。
スケッチ終盤に登場するヴェルコッティ兄弟は、「イタリア=マフィアの温床」という偏見ネタキャラ。マイケル演じる弟ルイジ・ヴェルコッティは、今後も第1シリーズのスケッチにたびたび登場する。

正面ストリップ
コラージュアニメとはいえギリギリです、テリーG。

欲求不満の美術評論家
スケベ精神丸出しのキャラでも、どこか可愛らしく映るのは、「ザ・いい人」マイケルの特権。

ベッド売り場
数字を10倍で言ったり、特定の単語に反応して袋を被ってしまったり。そんな癖のある人を差して「それ以外は正常です」と言われても……。実際めんどくさいよ。

世捨て人
俗世間を捨てて山暮らしをしてなお、洞窟の住居設計や食料調達について、主婦の世間話感覚で語る人々。しかもなぜか一方(エリック)はオネエ系。

踊るビーナス
第6話の『ダビデ』に引き続き、ボッティチェリの名画もパイソンズに(テリーGに)かかれば……。

死んだオウム
『空飛ぶモンティ・パイソン』で、最も有名かつ人気のスケッチ。
ペットショップで死んだオウムを売りつけられた男(ジョン)がクレームをつけに来るも、店員(マイケル)は笑顔で言い逃ればかりして絶対に謝らない。これは、マイケルが欠陥車を売りつけられた際に経験した実話がベースらしい。現在の店員さん事情はおそらく当時より改善されているだろうけど……多分まだ生き残ってるんだろうな、この手の厄介な人。
ちなみに、ジョン演じるクレーム客には「エリック・プラライン」という名前がついていて、第2シリーズにも再登場する。字幕上は「プラライン」だが発音は「プラリーヌ」で、要するに「ヘーゼルナッツクリーム」のこと。パイソンズのふざけた名字シリーズは、挙げだしたらキリがない。

露出魔の正面ストリップ
なぜ変質者ファッションは大陸を超えるのだろう……。

恐怖の不良集団グレバッバ族
正式名称は「ヘルズ・グラニーズ」。このスケッチは行き過ぎにしても、実際先進国では高齢者のパワーが増してきていると思われる。この際、巣鴨あたりで落ち着いていられるより、ハーレー(ベスパでも可)に乗ってあちこちを荒れない程度に疾走していただいたほうが、日本も活気づくのでは……というのは危険な発想だろうか。

クローム・ディヴィジョン/3rd・ラウンド・ノックアウト

悪魔だってパーティーしたいんです。
CROME DIVISION
3rd Round Knockout('11年)



ウィスキーとタバコと美女とハーレー。
ロックンロールの定番……というには、あまりにど直球すぎて引っくり返りたくなるアイテムである。
逆にいえば、そういうアイテムをさらりと着こなし、タイトなロックンロールにしてしまうバンドはカッコいい。だからモーターヘッドは偉大なのだ。

クローム・ディヴィジョンは、偉大なるモーターヘッドへの敬愛をエンジンとして突っ走っている。それでいて、モーターヘッドより幾分アタマの悪そうなポジションをとっている。
2006年に1stアルバムをリリースし、本作3rdに至るまで、メンバー交代劇などはあったものの、音楽性はあまり変わっていない。酒飲んでバカ騒ぎ、バイク暴走、喧嘩上等、女遊び上等、ロックンロール最高! 的な歌詞が、大したひねりもなく恥ずかしいほどストレートに書かれている。そいつを図太いビートに乗せて突っ走らせれば、モーターヘッド直系疾走ロックンロールの完成。
というと簡単な話のように思えるが、実は結構デリケートな作業である。本家モーターヘッドに近すぎてはただのコピー、うかつに奇をてらったことをすればただのパロディ、そもそも本家とは一線を画す個性が何かなければただの二流。
クローム・ディヴィジョンの場合、モーターヘッドよりも歌詞の洗練度を落とし、ブルージーな曲を加えることで(『ゴーストライダーズ・イン・ザ・スカイ』のカバーがその最骨頂だ)、より野暮ったさを醸し出している。それでいて、サウンドにはメタル的な鋭さと重さがある。その音楽は、装飾品をムダにつけまくり、ムダにチューンアップした、カッコよさとダサさ紙一重の改造ハーレーのようだ。

コアなメタル好きにしてみれば、クローム・ディヴィジョンは、ディム・ボガーのシャグラットのサイド・プロジェクトとして名が知れているだろう。ノルウェーブラックメタル界のトップクラスに位置するディム・ボガーは、宗教・人間の闇を描く歌詞、キーボードを多用した哀愁漂うメロディ、オーケストラを起用した重厚かつ荘厳なサウンドで知られている。
そのボーカリストが、荒くれパーティー野郎丸出しの曲を書くとは、にわかには結びつけにくいかもしれない。しかし、ディムのツアードキュメンタリーで、ホテルの部屋で悪質なイタズラに精を出し、バス内では酒飲んでふざけて、延々パーティーを繰り広げている様相を見ると、案外自然な流れのように見えるのだった。


2011年9月20日火曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第7話

やっとVol.1が終わります。



 ラクダマニア
ここでいうラクダとは、ナンバーがあり、エンジンがあり、食堂があり、車掌がいて、つまり……

株主総会
1ペニー(小銭レベル)の横領ぐらい見逃してやれよ。しかも相手は初犯で、「ザ・いい人」マイケルだよ。

SFコント
パイソンズ的SF。すなわち、宇宙人の策略でイングランド人がスコットランド人に変身して、宇宙人の正体はブランマンジェ(お菓子)で、その背後にはウィンブルドン優勝という野望が……
……非常にエド・ウッド的なお話である。バカらしさとプロットの妙はエドの遥か上を行っているが。
なお、パイソンズがTVシリーズで長編スケッチをやるのは、今回が初。TVシリーズ終盤には、テリーJ&マイケルのオックスフォード組がさらに長ーいネタを提供してくれる。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第6話



芸術の時間 ヨハン・ガンボルプティ…
……ともあれ、皆さんよくこの名前をすべて言えたよ。本気でこのペースでドキュメンタリーを進めたら、一体どれくらいの月日がかかってその間に何人死ぬことか。

ダビデ
ええ、ミケランジェロの有名作品だって容赦しませんよ、パイソンズは。というかテリーGは。

法に律義なマフィアたち
この調子じゃ『ゴッドファーザー』をはじめとする名マフィア映画は生まれない。マフィア絡み犯罪の現実を思えば、これぐらい大人しければどれほど良いことかとも考えられる。

ウィゾ・チョコレート株式会社
このスケッチを見ると、ハリー・ポッターものに「蛙チョコ」が登場するたびに気色悪い気分になれる。

静かな株屋の一日
マイケルの人畜無害っぷりが存分に活かされているサイレント・コメディ風スケッチ。
ちなみに株屋は、パイソンズ的「退屈で面白味のない職業」の1つ。

劇場のインディアン
背後のお客さんに注目。そりゃこの状況下で笑うなってほうが無理だ。

馬上のスコットランド人
映画『卒業』のパロディ。ただし、式に乱入した男が盗んだのは……。

男を襲うベビー・カー
テリーGの描く乳母車や赤ちゃんには要注意。うっかりすると命の保証はありません。

20世紀ハタネズミ映画会社
元ネタはもちろん、サーチライトに「ぱんぱかぱーん」のファンファーレで有名なあの映画会社。
グレアム演じるユダヤ人プロデューサーに「ゴマすり野郎!」と真っ先に叩き出される脚本家が、現在パイソンズで一番映画監督として成功しているテリーGという点が皮肉。
書籍『モンティ・パイソン・スピークス』によると、意見を求められて切羽詰まったテリーJが答える「Splunge(スプランジ)」という単語は、グレアムが考えた造語らしい。「良い」とも「悪い」とも言い切れず、かと言って優柔不断だと思われたくないときに役立つ回答?
テンポの良さとドタバタ加減は、日本語吹き替え版でも上手いこと再現されているので、そちらも拝見願いたい。山田康雄さんのノリだと、このプロデューサーは田舎者の成金権力者ってところか。

ちなみに映画・舞台の世界では、トップクラスのクリエイターや強い権力を持つ製作者サイドにユダヤ系の方々が多い。一番有名なところではスティーヴン・スピルバーグ。末尾にバーグ(berg)が付く名字はユダヤ系の特徴。
というわけで、今回のエンドクレジットでは、全員名前の終わりに「berg」が付いている。

2011年9月18日日曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第5話



ネコさま悩ませ有限会社
……という邦題のスケッチだが、実際は「猫混乱隊」と言っている。
猫一匹にここまで気を使うか……というぐらい気を使って猫に接するネタを出すかと思えば、後には散々な猫いじめネタも持ってくる、動物愛護精神を茶化しまくるパイソンズである。

スイス時計の密輸犯
ここでは弁解下手な犯人を演じるマイケルだが、後のシリーズではクレームをのらりくらりと笑顔でかわす曲者店員役も多い。どちらにしても、彼のいい人キャラが魅力になって憎めないのだが。

犯罪とモラルについて考える
社会問題を論ずる番組といえば、知識人の論争の場。でもパイソンズに言わせればろくでもない奴らというわけで……。特別知識人というわけでもない街頭の人々も小馬鹿にするのは、ある意味平等な扱い?
ちなみに、ジョン演じるハンカチを被って文句を並べ立てるアブナイ男は、後に定番キャラクターの1つとなる「ガンビー」の原型かもしれない。

アナウンサーが容疑者か?
BBCアナウンサーからかいネタ。スタジオと背後の映像との巧みな構成が妙。

ロマンチック映画のハイライト
塔、小魚の群れ、乳牛、倒れる大木、爆破……と、大人には分かる「象徴的」フィルム。

筋肉増量マシーン「ダイナモテンション」
なんでこの手の筋肉至上主義は、アメリカで際立った発展を見せているんだろう。そして、筋肉にも勝る武器、銃が多く流通しているのもアメリカ。

おねむちゃん
こんな面接のある会社には就職したくないような、してみたいような……パイソン好きなら就職するのも悪くない?

職業紹介所
自分が希望の職に就けなかった過去を引きずっている所長に職業を紹介してもらって、果たして希望はあるのか……。

百科事典のセールスマン
おしゃべりネタが得意のエリックは、確かにセールスマン向き。しかし、訪問したお宅にいるのが女装版ジョンだったら、普通は逃げ出す。
ここで描かれているような強引な商法からか、パイソンズ的にセールスマンは強盗以下の存在らしい。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第4話



リビアのカーディフ・ルームから
クーデターでカダフィ政権が事実上崩壊した今、当時に輪をかけてヤバいロケーションネタになった。

アート・ギャラリー
196cm(ジョン)と192cm(グレアム)の巨大ペッパー・ポット。もとより迫力満点のおばちゃんがここまでサイズアップすると、もはや敵なし。
最終的に絵画を食べちゃうのは、お約束の芸術こき下ろし。

男の生きがいはリビアのカーディフ・ルームから
ここで強引にスケッチに割りこみ、「軍をバカにしている!」と止めさせてしまう軍人は、第1シリーズにたびたび登場。「くだらん!」「品がない!」と理由をつけてはスケッチを中断させている。エリックの長髪に文句をつけることも多い。
横柄な権力者役を得意とする、グレアムの人気キャラでもある。

男の生きがいは公衆の面前で裸になること
なぜか全裸/半裸キャラが定番化しているテリーJ。『空飛ぶモンティ・パイソン』で初めて脱ぎネタを披露したのは、サイレント・コメディ風のこのスケッチから。
言葉なしで笑えるネタなので、下に動画を貼りました。

フルーツから身を守る方法
なぜか果物を目の敵にしている、ジョン演じるハイテンションな護身術教官。吹き替え版では納谷悟朗さんが同じくハイテンションで演じている。怒鳴るキャラの声はほとんど銭形警部になっているが、意外と違和感なし。また、通常トーンの納谷さんの声は、比較的ジョンの地声に近い。
そして知っている人は知っているけど、グレアムの吹き替えの山田康雄さんはルパン三世の声でおなじみ。グレアムの声もほとんどルパンだが、こちらも意外と違和感がないという不思議。手足が長いという点では、ジョンもグレアムもモンキー・パンチの絵みたいだし。
中盤にテリーJを押しつぶす16トンの重りは、これ以降「強引なオチ」のしるしとして落とされることに。

熱心な執刀医たち
手術の度がすぎて患者をバラバラにする医者たちを描くアニメーション。パイソンズの「茶化すべき権力者リスト」には、医者も含まれている。

男の生きがいはイングランドの緑
ジョンの最後のセリフ「二度とプロデューサーとは寝ないぞ」を、「あんなプロデューサーもう愛してあげない!」に訳したのは、吹き替え版製作の妙。そこだけちょっと女性的な口調になった納谷さんの技の妙でもある。

英国歯科医師会こそ男の生きがい
本屋、歯医者、ボスのビッグ・チーズ……が、スパイ/ギャング劇風に入り乱れて、第1シリーズ屈指の謎なストーリーになったスケッチ。しかし、全員が銃や対戦車砲まで持ち出して、必死こいて探しているのが「歯の詰め物」ってだけで、バカらしさが一気に増すのであった。

テリーJの脱ぎネタはこちら↓