2016年2月18日木曜日

私はゴースト

幽霊だって恐怖する。

私はゴースト('14)
監督:H.P.メンドーサ
出演:アンナ・イシダ、ジニー・バロガ



「幽霊=時間が止まった人」(映画秘宝2013年6月号『クロユリ団地』評より)。
なら自分が幽霊になったら、毎日のようにやってることを怪現象として起こしちゃうんだろうな。夜中にDVDプレーヤーをオンにしたり、マリリン・マンソンを勝手に流したり……いやそれ怪現象っていうかただの迷惑行為じゃん! と一人ボケツッコミをやってて気づきました。
そもそも、そんな幼児向けプールよりも浅い業ごときじゃ、幽霊にならないって。

ある屋敷で、いつも同じように目を覚まし、同じように朝食を作り……と、常にまったく同じパターンの生活をくり返している女性エミリー。あるとき母の寝室に入ると、どこからか女性の声がする。
「エミリー、私のあとに続けて言って。“私はゴースト”、“私はゴースト”、“私はゴースト”……」
声の主はシルヴィアという霊媒師。エミリーは何年も前に死んでいて、幽霊となっていたのだった。そしてシルヴィアはエミリーの除霊を何度も試みているのだが、なぜかうまくいかないのだと言う。
なぜエミリーは死んでしまったのか。なぜ成仏できずにいるのか。シルヴィアの声に導かれながら、エミリーは自身が死に至るまでのことを思い起こしていく……。

タイトルの通り、幽霊の視点から描かれた物語。それ自体は映画史において珍しいものでもないのだが、上記の「幽霊=時間が止まった人」の定義に沿うように、エミリーの同じ生活パターンを執拗なほど繰り返し映し出す点は新しい。
屋敷そのものがどこか古風であり、白いドレスに長い黒髪というエミリーの古典的な出で立ちがありながら、何とも新しいものを観ているように思える。

物語が動き出すのは、エミリーが霊媒師シルヴィアと出会ったとき。といっても、シルヴィアは声だけの存在でエミリーには姿が見えない。普通は姿が見えないのは幽霊のほうだが、逆に幽霊に生者の姿が見えないという点もまた斬新に思える。
エミリーが次第に自らの死を自覚し、記憶を手繰っていくと、状況に次なる変化が生じていく。幽霊が除霊されていく過程がこんなにもシュールでユニークとは……と感心すると同時に、自分がこんなシュールなものを体験するのはゴメンだなとも思わせてくれる。

ここまでは、物語はひたすら淡々と進められていき、ほとんど大事が起こらない。これはホラーじゃなくて実験映画じゃないか? ……と思ったところで、ラストの15~20分、突如本作は身の毛もよだつホラー映画と化す。
幽霊が主人公ということは、生きている人間のほうが怖いという結論になるのか? というのが大方の予想になりそうだが、実は本当に怖いのは「自分の意識していない自分」なのだ。本作では、それがよりによって最も恐ろしい形で現れる。
そして最後に、「私はゴースト」の言葉がまた別の意味を持ったとき、恐怖は切なさで上塗りされていくのだった。