2021年2月10日水曜日

マンソンによる虐待事件に寄せて

ファンは本当に盲目であった。

2021.02.10.

『カセットテープ・ダイアリーズ』を昨年極私的ベスト映画に選んだとき、「思想や詞に影響を受けまくったアーティストのいる人間として、全く他人事として観られない」とツイートした。
たちまち他人事に変わってしまうまで、1ヶ月ちょっとのことだった。

エヴァン・レイチェル・ウッドが、過去マリリン・マンソンから心理的虐待を受けていたことを告発した。交際当時18歳だったエヴァンは服従するようコントロールされ、絶えずマンソンからの報復や中傷に怯えながら生きてきたという。
エヴァンの告発を受けて、90年代末にマンソンと婚約していたローズ・マッゴーワンは彼女をサポートする声明を出している。また、エヴァン以外にも少なくとも4人の女性が、マンソンから精神的・性的虐待、脅迫、暴力を受けたと明かしている。
マンソン自身はインスタグラムにて否定のコメントを掲載している。

してみると、『イート・ミー、ドリンク・ミー』は血塗られた御伽噺のラブストーリーではなく、実際にエヴァンを犠牲にして作られていたのか。
"Running Through The Edge Of The World" のMVは、自身のイメージに対する皮肉ではなく真であったか。
"Blood Honey" は倒錯したロマンスではなく、本当に差し向けられた暴力であったか。

昔からマンソンにはいかがわしい噂話がついて回っていた。噂を裏付けするような過激すぎるステージパフォーマンスも多々あった。
ただ、その過激さは知性に裏打ちされたものでもあったし、自らの悪評を逆手に取って過剰になる節もあった。そういうところもファンを惹きつける所以だった。
噂の範疇を飛び越えて、現実に誰かの人生を一方的にズタズタにしてどうするのだ⁉︎

私もまた上記のようなマンソンの過激さと知性に惹きつけられたファンであった。自伝、語録、インタビューを読み漁り、とりわけ彼の知性に心酔していた。勝手に「人生の師匠」と位置づけるくらいに。
だから、新譜の評判が芳しくなかろうと「私には意味がある」と思って聴き込んでいた。ライブで歌い方がグダグダであろうと「まぁ師匠だから仕方あるまい」と不満に思わなかった。MVのビジュアルが手抜きのようでも「素敵」が印象第一位に押し上げられていた。

要するに、何をやらかしていようとポジティブに捉えられるぐらいには盲目的だったのだ。その一方で、「まぁ、アホみたいにファンだから高下駄履かせた評価してしまうのだけど」と、盲目的である自分のことも見えているつもりでもあった。
数週間前までは。

虐待の記事を目にした瞬間は「まさか」と思った。だが次の瞬間から、思い起こした数々の事実が「まさか」を覆い尽くしていった。
トゥイギー・ラミレズの2回目の脱退は元交際相手に対するレイプ事件が理由だったこと。その元交際相手はマンソンとも友人だったので、マンソンの語る「知らなかった」は真実だったのかということ。
インタビューやレポートに、きつめの性的ジョークを口にするくだりがあったこと。
ローズ・マッゴーワンにしろ前妻ディタ・フォン・ティースにしろ、女性との別れが常々円満ではなかったこと。だからエヴァンと別れたときも「またか……」ぐらいにしか考えていなかったこと。

こうした事実を私は見てはいた。だが今の今まできちんと認識してはいなかった。知ってはいたがそれがいかに悪辣であるか気づいていなかった。
勝手に人生の師匠と崇めていた人間の愚行に落ち込むのみならず、自身の盲目さ加減にもひどく落ち込まされることとなった。

この件で、マンソンはレーベルとの契約を切られ、今後いかなる仕事もすることはないと宣言された。
『アメリカン・ゴッズ』からも放り出された。
長年マネージャーを務めたトニー・チウラとの縁も切れた。
ウェス・ボーランドやフィービー・ブリジャーズからは、過去の振る舞いについて批判的コメントが出ている。

レーベルやドラマ製作やマネージャーの対応は正しい。最初のころは「ファンとしては悲しいが」と枕詞を付けていたがそれはもう相応しくないだろう。
こうなった以上マンソンは音楽界・芸術界から見限られるべきだ。
エヴァンたち被害者を責めるなどもってのほかだ。


「俺は特別じゃない/壊れているだけ/直されたくなどないんだ」
昨年最も感銘を受けたマンソンの詞を、今となっては突っ返さなければならない。
マンソン、あなたは絶対に直されなきゃならない。

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