2019年3月4日月曜日

トム・ヨーク/サスペリア

Don't Burn The Witch.













トム・ヨークが映画音楽を担当する? ジョニー・グリーンウッドじゃなくて?
……という驚きはあった。


ついこの間まで "Burn The Witch" って歌ってた人が、超有名な魔女映画のリメイクの音楽をやるの!?(Radiohead『A Moon Shaped Pool』M1参照)
……という、全くもってどうでもいい驚きもあった。


だが何より嬉しい驚きがあった。
劇中のダンスのイメージから、『Kid A』や『The King Of Limbs』のようなポスト・ロック~アヴァンギャルド路線でもやるのではないかという、漠然とした予想とはだいぶ違っていたのだ。むしろ『Kid A』を経たあとの、シンプルで静かでオーガニックな路線だった。
とりわけメインテーマは『In Rainbows』の "Videotape" のように優しくも物哀しい。
個人的には『キャンディマン』のメインテーマを思い出したものである。


暗黒舞踊曲 "Volk" や、"Belongings Thrown In A River" "The Inevitable Pull" に使われるもう1つのメインテーマは、やはり『サスペリア』の旋律であるからして不吉さをはらむ。その不吉の最骨頂が "Sabbath Incantation" だろう。 
それでも、極力装飾を削ぎ落としたサウンドにしているのは、実験精神に富んだオリジナルのゴブリンのサントラから距離を置こうとしているからにもどことなく思える。


そして最後の嬉しい驚きが、トム自身がボーカルを入れている曲が重要な局面で流れていることである。
こうなると、歌詞内容が少なからず映画とリンクしているのではないかと勘ぐりたくなってしまうのが、ルカ版『サスペリア』にハマった人間のサガというものでして。



以下、本編のネタバレに関する記述あり。
また、私が持っているサントラが輸入盤であるため、以下に記述のある歌詞は自力調べ&対訳なので、正確ではありません。








1.Suspirium


まず、メインテーマたる "Suspirium" がボーカル入りという点でも予想外だったが、歌詞を見ると思い切り本作のマザー・サスピリオルムのことである。


「これは我が身(体)を考えるワルツ」
「私たちの救済に何の意味があるのだろうか」

「全ては上手くいく。今ここで、壁の背後で(他を)見捨てて踊り続けていれば」


ベルリンの壁と対峙しながら、ダンススクールの中でマルコスを中心とし舞踊に生き続ける魔女たち。ここまでは彼女らの生き様だが、最後になると急に視点が変わる。


「私がここに着いたら、あなたが見つけてくれる」
「それとも一員として集団に紛れているの」
「彼女の傍らで孤独を感じてる? 平穏な明日なんて来ない」


まるで、現状を憂いながらもマルコスと肩を並べて留まっているマダム・ブランに宛てた言葉のようだ。この時点で、マルコス体制の現状を良しとしないマザーはブランにシンパシーを抱いていたのかもしれない。



2.Has Ended"


ここで繰り返されている「もう同じ失敗はしない」は、そこだけ聞く限り「マルコスの転移の儀式をパトリシアのときのように失敗はしない」ことのように思えた。だが、他の部分を読んでみると、第二次大戦とファシズムの終焉が描かれているようだ。


「兵士たちが帰ってきた」
「エゴは終わり、大口叩きも消えた」

「踊るパペットの王様のもと、ファシスト達は恥じた」


その一方で、劇中で描かれているように時代はバーダー/マインホフ事件のさなかで、「鏡も電話も、炎に包まれる」。「もう同じ失敗はしないと言いながら」が「鏡と電話」に掛かる語句ならば、この言葉はRAFのステイトメントにも転じる。

だが、その前には「魔女たちは笑い、水は灰色に変わる」ともある。ファシズムが終わりながらも新たな混沌に包まれる世界の中、ただ笑い、水を濁らせていくだけ。
ここで思い出したのが、「なぜ人々は、最悪のときは終わったと思うの?」というスージーの言葉だ。最悪のファシズム時代が終わった後も、バーダー/マインホフはナチス政権の失敗を蘇らせるまいと過激な行動に走った。それと同じように、マザー・サスピリオルムは、世の中と同様魔女の世界も「マルコス体制の失敗を繰り返してはならない」と考えてこの地に降りたのだ。



3.Open Again


この曲はマダム・ブランの歌に思える。マザーの思うところにも通ずるものがあるが、もともと "Open Again" のタイトルでダンスの課題を持ってきたのはブランだ。


「新たな岸辺で私たちは再び息づく」
「洗い流され、私たちは再び生きる」


今のように外界と断絶せず、またリーダーのために犠牲を強いない新たな生き方もあると、ブランは考えていたのではないだろうか。結果、彼女は理想の世界をその目で見ることはなく、現在の魔女たちの世界はマザー・サスピリオルムが大量の血でもって洗い流すことになるのだが。



4.Unmade


これまた劇中屈指の美しいナンバーが、よりによってこの血の浄化のシーンで流れるという最高の使われ方。そしてこれもまたマザーの歌だ。


「小鳥たちよ、私の庇護のもとにおいで」
「不完全な者たちよ、私は誓って何も企んでいない」
「回帰していくものなどない」


遂に姿を現し、旧体制を維持せんとする者たちを粛清し、人柱にされていた少女たちを死をもって解放する。禍々しくも最高に美しいシーンだが、本当に魔女たちはマザーの庇護のもとに行けば幸せなのだろうか。
マルコス支持者は本当に抹殺されなければならなかったのだろうか。
死ぬことすら許されなかった少女たちを解放するには、(彼女らが自ら口にした望みとはいえ)死しかなかったのだろうか。
クレンペラーの愛した人の記憶は消してはならなかったのではなかろうか。
ナチスの残り火を爆弾で消そうとしたマザー・マインホフのように、マザー・サスピリオルムも今後の世界にとって危険性をはらんだままなのだ。


ただ、それでもマザー・サスピリオルムのしていることに希望を見出してしまうのは、あのベルリンの壁に触れたと思しき謎のラストカットのおかげかもしれない。
何せ2019年の今だって、壁によって世界が分断されかねない時代なのだから。