2011年11月11日金曜日

ノーカントリー

世界の終わりのおかっぱ男。

ノーカントリー('08)
監督:ジョエル&イーサン・コーエン
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム



世界は核戦争によって終わるのではない。地球の内部崩壊で終わるのでもない。隕石の衝突でも、宇宙人の襲来でもない。
世界を終わらせるのは、世界の片隅にわずかに入ったヒビ。この場合のヒビとは、1人のおかっぱ頭の殺人者だった。

80年代のテキサス。ベトナム帰還兵のハンター、ルウェリン・モスは、狩りの最中に複数の死体を発見する。銃撃戦の痕跡、トラックの荷台いっぱいの麻薬、そして大金の入ったバッグ。
ヤバい金と知りつつも、モスはバッグを持ち逃げしてしまい、麻薬組織に雇われた得体の知れない殺人犯、アントン・シガーに追われるはめになる。
一方、モスが発見した銃撃戦跡地の事件と、シガーによる一連の殺人事件を担当することになった保安官エド・トム・ベル。彼はモスが窮地に陥っていることを悟り、モスとシガーの2人を追跡する。

ここまでは、優れた逃亡/追跡劇サスペンスである。しかし、終盤に行くにつれ、物語はそこから逸脱していく。サスペンスと呼ぶには、あまりにも不条理に満ちた映画だ。
不条理を具現化したようなシガー、不条理に正面から立ち向かうモス、不条理に翻弄されるベル。サスペンスに重点を置いて観ていると、それぞれが迎える結末に納得できないかもしれない。

不条理に覆われた映画だけに、不条理の具現化たるアントン・シガーは、映画全体を食いつくさんばかりの存在感である。
国籍不詳。欲も怨念もトラウマも快楽もない。コイントスで生死を決めるなど、本人にしか分からないルールで生きているものの、基本的にはただ突然やってきて、突然命を奪っていくだけ。
特徴は七三分けのおかっぱ頭。ときに酸素ボンベ付きの蓄殺用エアガンを持っていたりする。その佇まいはいかにも滑稽なはずだが、実際のところ、そこにいるだけで怖い。恐怖は、滑稽さというフィルターに通すと、増幅するらしい。

ベルは、しばしば最近の犯罪の異常性と、正義と秩序が失われつつある世の中を嘆く。しかし、シガーによる殺人事件は、秩序の乱れや異常犯罪だけで測ることができない。ベルもモスも、昔ながらの正義や戦場の経験など、それまでの価値観や信念ではどうにもならないものに出くわしたのだ。
とはいえ、この話は80年代のテキサスに限ったことではない。今も昔も、どこの国のどの場所でも、大した理由のない殺人や暴力が起きる。ベルの言う「世の中の崩壊」は、この当時に始まったことではないのだ。

物語の結末はあまりにも唐突に訪れ、観客は映画のキャラクターともども、希望があるのかないのか分からないこの世界に残される。もとよりコーエン兄弟は通好みの監督だが、通の間でも賛否両論あるかもしれない。
もし、この作品に魅了されたなら、最高にとんでもない不条理と、笑ってしまうほどの怖さを味わえるだろう。

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