2015年11月6日金曜日

キングスマン

マイ・フェア・ジェントルマンになんかなるものか。

キングスマン('15)
監督:マシュー・ヴォーン
出演:コリン・ファース、タロン・エガートン




えっ、秘密基地作って世界征服をたくらむ悪のボスとガジェット持ったスーパースパイが戦う映画はもはや現実味がない? 
その割に、スーパースパイがちょっとだけ死んですぐ甦ってきたり、超高層ビルを登ったり、飛行機にしがみついたまま離陸しちゃう現実味のなさは、比較的許容されてますよ。
トム・クルーズパワーともいうけど。

サヴィル・ロウの高級テイラー「キングスマン」。その裏の顔は国から独立した秘密諜報組織だった。
諜報員ハリーは、ロンドンで暮らす労働者階級の青年エグジーを、殉職したメンバーの欠員を埋める新たな候補生としてスカウトする。エグジーの父はかつてキングスマン候補生であり、活動中にハリーたちを助け命を落としていたのだった。
その頃、世界各国で科学者や著名人が行方不明になる事件が発生していた。調査に当たっていたキングスマンは、黒幕がアメリカのIT大富豪リッチモンド・ヴァレンタインであることを突き止める。環境保護活動に端を発し「人間こそ地球を蝕むウイルスだ」と結論づけたヴァレンタインは、慈善活動と称し、人類の大半を抹殺する計画を練っていた……。

武器が内蔵されたライターや靴、通信・記録機能付き眼鏡、店の奥に秘密のエレベーター、アーサー王と円卓の騎士を模したコードネーム、エコを盾に人類抹殺を目論む悪のボス、身体欠損があり義手義足が武器になっている悪の殺し屋、氷の地の巨大洞窟に悪の本拠地……
と、ロジャー・ムーア期以前(ピアース・ブロスナン期もちょっと入ってるけど)の007映画でみかけた要素が満載。つまり、現在のダニエル・クレイグ版ボンドのテイストではまずできないことが満載。
「昔の007は好きだ。最近のはシリアスすぎる」とセリフにまで出しているし。

しかし、007ものを始め往年のスパイ映画を彷彿させる設定をちりばめておきながら、「これはそういう映画じゃない」と言ってあっさりとこちらの期待を裏切る展開もしばしば。
単に観客を驚かせよう、懐古趣味とは一線を画そうというだけでなく、「007の監督やりたかった」「『ナポレオン・ソロ』のロバート・ヴォーンが本当のお父さんだったら良かった」という、マシュー・ヴォーンのスパイ映画にまつわるちょっとした闇が顔を出したようにも思える。

キングスマンは紳士である。そして英国紳士といえば、一般的に貴族階級(中産階級の上のほうが入ったり入らなかったり)である。そこに労働者階級のエグジーを入れるとなると、まず言葉のアクセントから教えなければならないんじゃないか? 礼儀作法や教養は? と思ってしまうのだが、そういう展開ではない。
というか、これはそういう映画じゃない。

ハリーがエグジー(およびその父親)をリクルートしていたのは、基本的に上流階級のみで構成されていたキングスマンの形態に危機感を覚えていたからだ。
多くのキングスマン候補生たちのエグジーに対する態度を見れば分かる通り、上流階級には下の階級を見下すところが多分にある。政府や国とのしがらみはなくとも、自らの優位性にしがみつきたいがために他の者を蹴落とすようでは、世界を救うことはできない。実際、その優越感がキングスマンにとんでもない事態を招くところでもあった。

ちなみに英国上流階級については、「親の資産と名前を傘に贅沢かつ甘やかされて育っているので、中身は大バカ野郎である」と、モンティ・パイソンに何度もバカにされている側面もある。(特に『第127回上流階級アホレース』コントに顕著である)

だから、ハリーはエグジーに紳士らしいスーツを与え、基本的なマナーはするが、言葉を矯正しようとはしない。候補生たちの教官であるマーリンも、筆記試験を課したり身体能力の強化訓練をさせたりはするが、エグジーその人を変えようとまではしない。
ハリーが語る通り、「Manners Maketh Man.(マナーが紳士を作る。マナーが人を作るとも訳したい)」。強い者には強気で弱い者には優しく、仲間を励まし仲間のためには決して口を割らず、機転に優れたエグジーの振る舞いは、彼自身を良い人間に、また良い紳士に作り上げていたのである。

嫌な上流階級に代表される「自分たちだけ良ければ庶民なんてどうでもいいスノッブな奴ら」への恨みつらみは、あるとき最高の形で昇華されることになる。しかもその瞬間のBGMがクラシックの「威風堂々」
さらに、「自分たちだけが正しくてあとの連中(特に社会的マイノリティ)なんて天罰が下ればいい」と思っている南部のプロテスタント白人まで、ついでのように爽快なほどメッタ殺しにされる。しかも土臭いサザンアメリカンロックたるレイナード・スキナード「フリーバード」がBGM。
趣味が良いとも意地悪ともいえる選曲である。

そうそう、エグジーvsブレード義足の殺し屋ガゼル(ダンサー出身のソフィア・ブテラ。ブルース・リー似で可愛い)の戦いと、並行して起きる世界中のカオスに、80年代ダンスチューンな「Give It Up」を流すセンスも忘れちゃいけない。
さすがマシュー・ヴォーン。『キック・アス』でヒットガールの薙刀殺戮BGMに「Banana Split」(ナッナッナーナーナナッナー♪)を選ぶ男。

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