2012年7月1日日曜日

フレディvsジェイソン

(何回)死んでもバカは治すなよ! 

フレディvsジェイソン('03)
監督:ロニー・ユー
出演:ロバート・イングランド、ケン・カージンガー



「あいつらバカ! バカもバカ! バカは死ななきゃ治らねぇってんだーっ!!」(『秘密結社 鷹の爪』レオナルド博士談)
博士のこの一言が正しいとしたら、死んでも死んでも復活する不死身の奴は、永久にバカが治らないことになる。
いや、別に治らんでもいい。おかげでこんな面白いことになるんだから。

エルム街の惨劇から10年。フレディの手が子供たちに及ばないようにと、大人たちは緘口令を敷いていた。おかげで、エルム街の子供たちはほとんどフレディのことを知らず、恐怖心を糧に力を得るフレディは思うような活動ができない。
そこで、フレディはクリスタルレイクに葬られた殺人鬼・ジェイソンの夢に侵入し、彼を操ってエルム街で殺人事件を起こさせる。突如として発生した残虐な事件に、人々は再び10年前の惨劇を思い起こし、フレディは徐々に力を取り戻していった。
しかし、ジェイソンはほどなくフレディの手を離れ、屋外パーティー会場で若者たちを次々と惨殺。ついには自分の獲物までジェイソンに仕留められたフレディは、ジェイソンの始末に乗り出す。
一方、フレディとジェイソンに脅かされる若者たちも、両殺人鬼を葬るべく画策を始めていた。

二大人気ホラーアイコンの対決という豪華B級(矛盾?)企画なので、ステージとなる脚本は、上記のプロットの通りまあまあ筋が通っている。80年代スラッシャーが元ネタにしては血しぶきや殺戮描写が甘いところがあるものの、「セックスする奴は死ぬ」「ドラッグやる奴も死ぬ」「無駄に女性陣の巨乳やヌードが多い」などスラッシャーのお約束ネタにはニヤリとできる。
フレディは忘れられると弱体化するといういきなりの新ルールやら、ほとんどゾンビも同然のジェイソンが夢を見るやら、エルム街とクリスタルレイクが近すぎるやら、整合性をざっくり無視した設定さえ、だいたいのB級好きには嬉しい大雑把さ。そもそも『エルム街の悪夢』も『13日の金曜日』も、続編ができるたびに新設定の追加や無茶な復活劇をやり遂げてきたシリーズだし。
なお、随所に挟むユーモアや音楽のセンス(ロック寄り)は、監督ロニー・ユーの才能です。

作品がB級ネタ企画なので、今回のフレディはエルム街シリーズ3~6のコミカル路線な性格。いちいち優れたブラックユーモアの才能を披露し、例によってロバートさんのアドリブで「怖いよぉ」「魚雷発射!」などの名言を誕生させた。
とはいえ、もともとはザ・変質者。ちょっとでも夢に出てこられたら嬉々として嫌がらせするし、気に入らない野郎(今回はジェイソン)はボッコボコにいじめ倒すし、何よりヒロインに対するセクハラはシリーズ最高(最悪)レベル。陰険で姑息で粘着質という悪質なかまってちゃんぶり(チャームポイントともいう?)で、前面に出ずっぱりでした。
ただ、お気に入りの子を後回しにしたり、時間かけていじめたりするから返り討ちに遭うってことは、相変わらずちっとも学習していないようで……。

急に叩き起こされるわ、アウェーに出張を命じられるわ、バカな若者にダサいと笑われるわ、仕事したらしたで駄犬呼ばわりされるわ、ボコられるわ、黒歴史を掘り返されるわ、同業者のみならず犠牲者候補の若者にまで利用されるわと、全編災難続きだったジェイソン。その腹いせ……ってわけではまったくないのだけれど、基本的にはナタ三昧(チェーンソーじゃないよ、念のため!!)。殺戮人数だけでいえば、圧倒的な勝ちである。
小首を傾げたり、少ししゅんとしたり、ママに弱かったりと、殺戮マシーンぶりとは相反するピュアな仕草やキャラからも人気を勝ち得たし。ファーストキス未遂まであったし。
ただ、猪突猛進がすぎるので、戦略練ってこられたらあっさりハマりがちということは、相変わらず学習してない……というか、あまりよく分かっていないようで……。

この2人をぶつけるとなると、切れたりもげたり刺さったり、案の定血みどろになるのだけれど、何せ死なない者同士なので「……ジャレ合いでしょ?」で落ち着いてしまいそうな安定感。殴り合いに至ってはもはやお笑いアクション。そしてお互い、見事な墓穴の掘りっぷり。
だからといって、「怖くないじゃん」なんて不満はナンセンスですよ。そもそもメインは恐怖よりも、不死身同士の泥仕合ならぬ血みどろ試合。何しろ本国では、ボクシングの試合よろしく、公開前にフレディ&ジェイソン対戦前記者会見なんて開いちゃったりしてるんだから(DVD特典映像参照)。
ここは美人・巨乳・強いと三拍子そろったヒロインの活躍も堪能しつつ、ベテラン殺人鬼2人の往生際の悪さを、暖かく……いやむしろ暑苦しく見守ってあげましょう。

2012年6月23日土曜日

エルム街の悪夢3 惨劇の館

夢の中ぐらいフリーダムでもいいじゃない。

エルム街の悪夢3 惨劇の館('87)
監督:チャック・ラッセル
出演:ロバート・イングランド、ヘザー・ランゲンカンプ



フレディ嫌いと思しきマイPC&周辺機器の皆様、あともう少しだけこのプチフレディ祭りにお付き合いください。「プチ」の証拠に、2作目をすっ飛ばして3作目をお勧めに挙げてます。さすがにシリーズが長いと、出来にも波がね。ダメそうなやつも嫌いとは言い切れないんだけどね。

本作は、ホラー映画の続編がやりそうなことを一気にぶちまけてくれている。続編がやりそうなことの詳細は、『エルム街の悪夢』オリジナル監督のウェス・クレイヴンが、のちに『スクリーム』シリーズで語ってくれている。

まず、犠牲者増加。今回は精神病院が舞台なので、悪夢に悩まされる子供たちがフレディと対峙。同じ脅威にさらされている者同士団結はできるものの、親や医者が理解してくれない孤立無援の状況は変わらず。

次に、殺害手口がより残虐に……と言いたいところだけど、フレディの場合残酷さよりもユーモア先行なので、「より面白く」と言ったほうが正しい。冷静に考えたら結構ムゴい手段ですが。

そしてファンには嬉しい、キャラクター再登場。1作目のヒロインだったナンシーが、悪夢を専攻とする医学研究生として、子供たちの味方に。そしてフレディに打ち勝つために、自分たちもまた夢の中で思いのままの特殊能力を活かすことを提案し、犠牲者側も少しパワーアップ。

こうして考えてみると、「夢の中なら最強」なフレディの能力は、「空想の中なら何でも自由」なオタクの夢発想をさらにバージョンアップしたもののような。それもまたフレディ人気の一因なんだろうか?

1作目でその恐怖を知らしめ、2作目でちょっとダレたり道を踏み外したりして、あとはお笑いも交えて自由にどうぞ! というのが、だいたいのホラーアイコンが歩む道。そこへいくと、初っ端からフレディのキャラクターが最大の魅力な『エルム街の悪夢』をシリーズ化するなら、フレディを放し飼いにせずして何とする!? ってなもので。
そんなわけで、フレディはブラックジョークもビビらせ方法も殺害方法も、ここへきて一気に冴えわたり始める。巨大蛇やらセクシーな看護師やらに変幻自在だし、たくさんの鏡の中で大増殖もできる。
殺害方法なんぞ、人形造りが趣味の子を操り人形にしてしまったり、テレビのてっぺんから登場したり、自分の両手を注射器に変えてしまったり、もはや右手の鉤爪を使うことが少ないぐらい。

ちなみに、テレビからの登場時に生まれた名ゼリフ「Welcome to prime time, bitch!」は、ロバート・イングランドのアドリブとのこと。やはり、フレディとの一体化は順調に進行していた模様です。

そうそう、1作目でジョニー・デップがあえなく血柱と化していたのはファンの間で有名な話ですが、3作目にものちのスターが。
本作のヒロイン、クリスティンは、『トゥルー・ロマンス』のアラバマ、または『ヒューマンネイチュア』の毛深い女ライラことパトリシア・アークエット。けばけばしくてバイオレントでありつつピュアだったり、驚愕の体毛とどうにもならない性欲をさらしたりするのちの姿が想像できないほど、影があって少し幼げな美少女で、まず間違いなくフレディ好み。そりゃ結構な頻度でイジメに来ますよね。

さらに、子供たちのケアをする(しきれてないけど)医師の1人は、モーフィアスことローレンス・フィッシュバーン。当然このころは仮想現実世界へ移動する能力もシステムもないので、夢の世界でフレディとご対面することはなかった。

それから、俳優じゃないけど、本作の脚本はフランク・ダラボン。のちに『ショーシャンクの空に』(監督・脚本)、『プライベート・ライアン』(脚本)、『グリーンマイル』(監督・脚本・制作)を生み出している。
映画界の定石だけど、ホラー映画は思わぬ才能発掘の場なのである。(才能に行き当たるまでに、数々のポンコツにも出会うのだけれど)

一応ホラーに分類されてはいるものの、本作以降は怖さがどうこうよりもフレディのやりたい放題がメインと化していく『エルム街』シリーズ。怖くないホラーなんて……という苦言も出てくるのは免れない。
しかし、フレディの優れたユーモアセンス、セルフプロデュース能力、演出力をさらに活用するという意味では大成功。特に本作は、残酷さとユーモアのバランスもちょうどいい。何より、楽しそうなロバート・イングランドを見ていると、ファンとしては殺人鬼なのにうっかり微笑ましくなってしまうのですよ。

2012年5月28日月曜日

エルム街の悪夢

世界一需要の高い悪夢。

エルム街の悪夢('84)
監督:ウェス・クレイヴン
出演:ロバート・イングランド、ヘザー・ランゲンカンプ

 


私事ながら、こいつについてどう語ろうかとああだこうだ考えていた矢先、先代PCが突如ブラックアウトしてしまいました。
そこからデータを救出したり、新規PCを探したり、iTunes移行やプロバイダ変更でいろいろトラブル生じたりしながら、1か月越しでようやく活動再開。
PC界隈の機器&ソフトウェア諸君、そんなにこいつがキライですか?

その名はフレッド・クルーガー。(『フレディ』という呼び名が定着するのは3作目から)
生前は幼児連続殺人犯、死後は高校生連続殺人犯。
焼けただれた皮膚、帽子に赤と緑のボーダーセーターという出で立ちで、右手には鉤爪。
犠牲者はじわじわ追い詰めるのが好き。恐怖心やトラウマをつっつくのも好き。
特にお気に入りの標的(=女の子限定。特にヒロイン)は、時間かけていじめるのが大好き。
羅列してみると、ことごとくゲスな変質者である。しかし、そんな奴が主役のシリーズものが7作も作られ、グッズもたくさん作られ、もう1人のホラーアイコンと対決という名のジャレ合いを繰り広げる番外編まで作られちゃうんだから、世界一愛されてる変質者かもしれない。

フレディの最大の強みは、出没ポイントが夢の中ということ。ひとたび眠りに落ちれば、そこから先はフレディの独壇場。生前のフレディと因縁深いボイラー室に誘い込むこともできるし、好きなところから出没できる。夢でケガを負わされれば現実でも傷が付き、夢で殺されれば現実でも死ぬ。
死なないためには眠ってはいけない。しかし、人間眠らないわけにはいかない。授業中や入浴中にウトウトした隙に、フレディの術中にはまってしまう。
さらに、「すでに死んだ男に夢の中で殺された」なんて状況は、大人たちには到底信じてもらえない。かくして、親友たちを次々と殺されていったヒロインのナンシーは、最後の手段としてフレディを夢から現実に引きずり出し、トラップにかけようとするが……。

一応スラッシャーものに部類されているとはいえ、近年のホラーに比べれば特殊効果はシンプルだし、グロ度は低いし、異常に空気が張りつめてるわけでもない本作。ただ、味方がほとんどいない中、相手のフィールドで孤立無援の戦いを強いられるという程よい緊張感、天井を転がる犠牲者やベッドから吹き出す血柱などCGがないなりの面白い演出もある。
どこからが始まりなのか分からない悪夢の不気味さも普遍的だ。特にクライマックスは、夢と現実の境が限りなくあいまいで、ある種現実的な不安感すら漂う。

とはいえ、エルム街シリーズにおいて、フレディのキャラクターほど普遍的なものはない。
前述の通り、フレディはどこをどう切っても最低な変質者だが、変質者にしてはブラックユーモアのセンスが優れている。後のシリーズに比べれば口数は少ないほうだが、口を開けばベロベロ舌か、うっかり感心してしまうほど悪趣味なセリフが出てくる。そのため、回を追うごとに残酷さよりもコミカルさ寄りのキャラになっていった。演じるロバート・イングランド自身のキャラクターが、だんだんフレディと同化していったのだろうか。
また、腕を異常に伸ばしてみせたり、神出鬼没だったり、死んだ親友の幻を見せつけたりと、恐怖心を突く演出上手でもある。特に、姿を見せずに鉤爪の引っ掻き音だけ響かせるビビらせ効果は、その後のシリーズに脈々と受け継がれた。
こうした特技がより活きるのは、やはり相手が女子の場合。しかも、バスタブの中から出没したり、受話器から口元をベロベロしたり、自ら飛びついて殺しにかかったり、ほとんどセクハラの域じゃないかいとツッコみたくなるほどの高いモチベーションを見せてくれます。
ちなみに、歴代男子勢の中でフレディが仕留めた一番の大物は、本作でナンシーのボーイフレンドを演じていたデビューしたてのジョニー・デップ……というのは映画好きの間で有名な話。

もちろん、こいつのそういう姑息でお喋りで陰険なとこが嫌いって方も多いだろうけど、好きな人にとってはそういう性格も含め、ブラックユーモアやセルフプロデュース能力、ややもするとグロテスクなあの見た目さえチャームポイント。(ロバートさん自身の魅力のおかげって面もありますが)
私のPC周辺機器やソフトには嫌われてるかもしれないけど、私は好きですよ。

2012年4月17日火曜日

マキシマム ザ ホルモン@渋谷AX

濃厚激うま異質空間。

マキシマム ザ ホルモン Master Of Territory ~俺たちにマスはある!~
2012.03.24. 渋谷AX

オールスタンディングのライヴ行ってると、隣の人とゴンゴンガシガシぶつかって、暑苦しかったり痛かったりするわけですよ。そういうとこも楽しんでるけど。
かといって、座席指定だと思いっきりジャンプしたりノったりできなくて、一抹の物足りなさを感じるわけですよ。見晴らしの良さを楽しんでもいるけど。
そこへいくと、このライヴはそういった点を解消する大変に面白い試みですよ。まさか本当にやる奴がいるなんて思わなかったけど。

以前から、「30歳以上限定」「女子限定(ただし全員強制すっぴん)」など、個性的すぎるライヴ企画を実施してきたマキシマム ザ ホルモン。首謀者はおもにマキシマムザ亮君(歌と6弦と弟)。
今回の企画は、1人1メートル四方のマスが与えられ、その中で好きに暴れたり踊ったりできる「マスター・オブ・テリトリー」だ。
上述の個別マスだけでなく、ぶつかり合っても暴れたい人専用「カオスエリア」、ステージに向かって叫びたい人専用「ガヤピープルエリア(1マス3人)」、2人専用「カップルエリア」、親子専用「おかあさんといっしょエリア(2階席)」がある。さらに、抽選にギリギリ通った方々のための「補欠エリア」がPAの後ろにある(ただし、スズランテープと障子越し)。
当選者は会場へのドリンク代だけで入場できる、ファンにとっては夢のような企画である。もちろん、レコード会社には痛すぎる企画。ライヴ中のMCで、ナヲ(ドラムと女声と姉)が「バップ傾いてます!」って言ってましたっけ。

ちなみに私がいたのはガヤエリア。うっかり黙ってるとステージからご指摘を受ける。周辺からは「上ちゃーーん!!」「ダイスケはん目を開けてーーっ!!!」(目が細いので……)などのガヤが飛び交っていた。我ながら健闘したと思うのは、「ピーチクパーチクうるせーぞ!!」というダイスケはん(キャーキャーうるさい方)の一言に、本当に「ぴーちくぱーちく!!」と叫び返したことか。

ところで、このライヴには地雷がある。万一引いてしまうと相当恥ずかしいことになるマス「トラップシート」である。運悪く(ある意味では運よく?)当たってしまった人は、マスに置いてあった着ぐるみや、風船付きヘッドギアや、パンスト(ペアで頭に被る)を着用して、ライヴに参戦しなければならない。
……というわけで、当日の会場では、バナナヘッドさんや大根さんや白鳥さんをちょくちょくお見かけしました。あと、アクティブスイングでエクササイズしながら参戦の方も。

一般的に、ライヴ本編の前にあるのはゲストアクトのライヴだが、今回は「前座」。お笑いの方が、トラップシートのお客さんをイジったり、空席となったマスに補助エリアの方が繰り上げられるくじ引きを実施する。さらに、追加トラップとして、2名にドクター中松のジャンピングシューズが渡された。(ちなみに、マスの中に地味~~に小っさいドクター中松シールが貼られている人がトラップ該当者だ)
とてもこれからライヴが始まる会場とは思えないノリだが、「まぁ、相手はホルモンだもんな」と思うと、たいていのことは受け入れられてしまう。面白いやら恐ろしいやら。

そして実際、フロアが暗転すると、その場はいとも簡単に熱い熱いライヴ会場に戻ってくる。
ステージ前の幕をスクリーン代わりに、嘘PV「小さな君の手」(ホルモンらしからぬポップ風)が流れた。笑い混じりに会場が盛り上がったところで、幕が落ち、「maximum the hormone」が始まったところで、ついに本番。重低音とデスボイスに、オーディエンスが激しくヘッドバンギングし、テンポの変化をもろともせずに踊り狂う、いつものホルモンらしいボルテージになる。
が、そうやって激しく暴れるオーディエンスが、きっちり等間隔に並んでいる光景は、やっぱりどこか不思議。ナヲちゃんも「演奏中だけど、客席見て吹きました」と語っていた。
もちろん、マスの中の我々は、変な状況を察しながらも、人にぶつかるのを気にしないライヴ観戦を満喫。ただ、「F」「ぶっ生き返す!!」「絶望ビリー」「シミ」「What's Up, People?!」と、ホルモンの中でもメジャーかつ大暴走曲が集中した中、余裕を持ってヘッドバンギングできたので、首にダメージが来るのも早かった。

かといって、MC中も気を抜いていられない。ライヴ中も、まだトラップは発動し続けるのである。
例えば、スクリーン上のスロットで当たった人が、追加で白鳥(首の長さがそれまでの2倍!しかもベースの上ちゃんとおそろいのモヒカン)着ぐるみを被る。一番応募の多かったマス(最前列の7番)に当たった幸運な人に、マイクスタンドとお立ち台付きで「恋のスウィート糞メリケン」を歌わせる。
一番異色のトラップは「退場」。ただし、このトラップ該当者はMUSICAの鹿野淳さん(ホルモンいわくエライ人)と、ホルモンのスタッフさん。本当に強制的に外に出されていった。
挙句、ダイスケはんの「本日は痴漢は無礼講です!! ただし、痴漢していいのはこいつらだけです!!」のMCとともに、巨乳付き全身タイツを着用させられた状態で場内に戻されていた。しかも、カオスエリアに放り込まれ、みなさんの頭上をゴロゴロ転がっていた。ホルモンのライヴじゃ、スタッフも取材陣も一筋縄ではいかないんですね……。

最後のトラップは、補欠エリアから選ばれた1人が、ステージの上で観戦できるという「成金マス」。スロットの結果、吉井くんという男性が選ばれ、見事補欠の星に。
ただ、本編残すところあと1曲というタイミングで、ステージの端で金の座布団に座って観戦というあたり、ホルモンらしいお茶目なイジワル。「恋のメガラバ」で、みんなが踊ったりヘドバンしたりの中、吉井くんは座布団に正座しながらヘドバンしてました。偉い。
ちなみに、「メガラバ」前の「恋のおまじない」。いつもは全員で「麺カタこってり!!」と叫ぶところだが、今回は「俺たちに! マスは! マスラヲ……コミッショナー!!!」だった。
(*マスラヲコミッショナー:パンクバンド。2007年に解散)

いったんメンバーが退場すると、そのままスポットライトを浴びたままステージに取り残された吉井くん。オーディエンス(特にガヤエリア)が調子に乗って、「吉井! 吉井!」とコールを始める。当の吉井くんも、どんどんコールを煽り出していた。(後に、ダイスケはんに『おまえ何調子乗ってんねん!』とツッコまれることとなる)

と、そこへ場内に「緊急ホルモン警報」が鳴り響き、ジャンピングシューズやアクティブスイングなど、一部トラップが撤収され始める。
「おい、もしかして……」とオーディエンスがざわつく中、戻って来たホルモンメンバーが「全マス開放」を宣言。「やっぱり!!」と、1階エリアの人々は我先にとステージ前へ押し寄せ、2階席からも親子が降りてきて、もはや原型を留めていない障子の向こうの補欠の皆様もずずずっと前方へ。ぎゅうぎゅうになりながら熱くなっている姿は、これぞホルモンライヴという光景。
ちなみに、一応のセーフティーゾーンとして、それまで「カオスエリア」として使われてきたスペースが提供されているので、もうヘタってる人もぎゅうぎゅうになりたくない人も安心。
「卑猥な言葉とか叫びたいかーーっ!!」のMCで始まった「My Girl」と「握れっっ!!」で、オーディエンスは最後の肉弾戦。終了後の「ロッキンポ殺し」SEまで、きっちり踊って盛り上がっていきました。

どう見ても普通じゃないライヴの光景だったし、普通じゃない体験だった。「たまにはこんなのも面白いよね」程度のノリではなく、「ガチでスゲェことやったぞ!!!」という全力投球で。この異質で熱くてこってりな感覚が、ホルモンライヴの醍醐味である。
今回もお腹いっぱい楽しみました。ごちそうさまでした。


↓入場時確認サイン、亮君スタンプ。

2012年3月31日土曜日

マーダー・ライド・ショー

殺人屋敷へアドベンチャーに行こう。

マーダー・ライド・ショー('03年)
監督:ロブ・ゾンビ
出演:シド・ヘイグ、ビル・モーズリィ



ロブ・ゾンビ。実はベジタリアン。……って、名が体を表わしてないじゃん。
でも、音楽とアートワークを見れば、真性ホラーオタクって点で体を表わしていることは丸分かり。
映画にもなると、もういいってぐらいさらに表れまくっております。

ハロウィン前夜。たまたま田舎町を車で通りかかった若者たちが、たまたま怪しい見世物小屋に立ちよって伝説の殺人鬼ドクター・サタンの話を聞き、好奇心から車を走らせて、うっかり美人ヒッチハイカーを拾ったが最後。誰かに車をパンクさせられるわ、不気味な一家につきあわされるわ、しかも一家の正体が殺人鬼だわで、次々と殺されていく。

……って、どっかで見たような。
そう、話の大筋(特に導入)は、『悪魔のいけにえ』とほぼ同じ。ただし、色彩鮮やかな画面、カラリとした空気、ブラックユーモアは『悪魔のいけにえ2』に近い。狂気じみているのに、いつも明るくにぎやかで、ケンカするほど仲が良い殺人一家も、『いけにえ』のソーヤー一家と一緒である。

レザーフェイスみたいな分かりやすい大型殺人鬼こそいないが(この一家の末っ子タイニーはマスク被った巨人だけど、あまり殺人に加担していない)、一番凶悪でマッドな芸術家肌の司令塔オーティス、セクシーで可愛くて残虐なベイビー(実は監督の嫁さん)、男好きっぽいママ、下品なグランパなど、個々の家族のキャラが立っている。
ちなみに、ポスターやジャケットのトップを飾っているピエロ=キャプテン・スポールディングは、殺人鬼というより殺人ショーの案内人。
ゾンビ監督の『いけにえ』大好きパワーがよーくうかがえる設定だ。

このほか、スラッシャー映画でお約束の「犠牲者はチアリーダー」ネタもあり、警察はやって来ても役に立ってくれないネタもあり、しまいにはゾンビ(っぽいもの)、マッドサイエンティスト、ロボトミー、改造人間、死骸の山、儀式まで絡んでくる。ついでに、『ロッキー・ホラー・ショー』を彷彿とさせるやりとりも入っている。
いろいろ詰め込み過ぎて、どこに向かいたいのかよく分からなくなりそうだが、その手の映画マニアにしてみればお腹いっぱいになれるフルコースだろう。カニバリズムは入ってないけど。

殺人と拷問が趣味、というよりもはや生活習慣の一家なので、それなりにサディスティックでエグいところはある。ただ、前述の通り比較的カラリとしているので、ゴア描写もさっくり、というかざっくり、あるいはばっさり、ぐっさり程度。そんなにドロドログシャグシャはしていないので、そこそこホラー慣れしている人なら余裕を持って観ていられそう。
犠牲者の若者たちも、大してカッコ良くも可愛くもなく、適度にウザったくと、あまり感情移入させない描かれ方で、監督の「死んでもあとくされなし」狙いがうかがえる。
『マーダー・ライド・ショー』という邦題の通り、この映画そのものがアトラクションなのだ。映画の前半、若者たちがキャプテン・スポールディングのホラーハウスで殺人鬼ツアーに行ったように、観ているこちらもイベント感覚で殺人一家の世界を巡る。そういう意味では、スポールディングは我々観客にとっての案内人でもあるようだ。

監督がもともとミュージシャンなだけあって、音楽の使い方は絶妙。ゾンビ作曲のいかがわしげなロックはもちろん、殺人シーンでコモドーズのファンクなんか流された日には、うっかり恐怖を忘れてカッコ良さが先走ってしまう。特に保安官殺しのシーンは、古風なポップスと計算されつくしたスローモーションのおかげで、凶悪なサイコのはずのオーティスがヒーローのようなオーラを発している。
ときおり挟まれる、あまり意味のないサイケデリックなイメージ映像も、ロブ・ゾンビのPVを彷彿させる。そこが少々くどくなることもあるのが難だが。

ホラー好きが、そのまた一部のホラー好きのために作ったような映画なので、ファンへの門は結構狭い。その狭いゲートをうまいことくぐってしまうと、監督とハイタッチした気分になれそうだ。
ただ、うっかり映画の中の若者よろしく「ロブ・ゾンビ最高!! ひゃっほー!!」なノリではしゃいでると、彼らとは違った意味でもう後戻りできなくなる……かもしれない。

2012年3月21日水曜日

ジーザス・クライスト・スーパースター(1970)

ジーザス・クライスト・ロックスター。
ANDREW LLOYD WEBBER
Jesus Christ Superstar('70年)



「イエス・キリストは一番最初に出現したロック・スターっていうふうに見ることもできる」とは、人生の師匠(と勝手に決めている)マリリン・マンソンの言葉。この記事を読んだときは、「面白い見解です!」と師匠に感心してましたが……。
実は、約30年前にそう考えていた人がいたんですね。作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーと、作詞家ティム・ライスが。しかも、その思想でロック・ミュージカルをつくっていたんですね。まぁ、上記の発言が師匠のオリジナルじゃなかったからって、敬意は揺らがないけど。

このミュージカルに関しては、日本語でもイエス・キリストを「ジーザス・クライスト」と呼称しているので、ここでも以降の表記を「ジーザス・クライスト」とする。

描かれるのは、ジーザス・クライスト最期の7日間。エルサレムに入ったジーザスは、ユダヤ教の司祭たちから「民衆を扇動する危険人物」としてマークされる。やがて使徒の1人イスカリオテのユダの密告によりローマ兵に捕えられ、ローマ総督ピラトのもと裁判にかけられ、磔刑となる。
作詞家ティム・ライスは、聖書をちょこっとでも読んだ人ならたいてい知っているエピソードを、おもにジーザスとユダを通して掘り下げていった。

ジーザスというと、少ないはずのパンと魚を多くの人々に分け与えたり、触れるだけで病人を癒したり死者を蘇らせたりといった奇跡の話が有名である。
しかし、ここではペテロの離反とユダの裏切り、自らの死を予見する以外、奇跡を起こす描写はない。人々に教えを説く描写も少ない。

M9(Disc1)「The Temple」では自分に群がる病人たちに「自分で治せ!!」と言い放ち、M2(Disc2)「Gethsemane (I Only Want To Say)」では神に「私の死は本当に無駄ではないのか? なぜ私に死んでほしいんだ?」と悲痛な叫びをあげる。一方で、マグダラのマリアには、母親か恋人に対するような信頼と安心感を寄せている。

人間的というにしても、ここで描かれているジーザスの人間性は、未熟で弱い。だからこそその姿は、オーディエンスの思いを背負ってステージに立つことに苦悩し、覚悟を決めるロックスターのように映るのである。


ユダは一般的に「裏切り者」だが、キリスト教の思想の中には、ユダは裏切り者どころかもっとも忠実な使徒、もしくは親友であったという解釈もある。ティムの解釈も後者に近い。
ユダは、ジーザスを救世主ではなくただの人間とみなし、彼の影響力が強まるほど司祭や民衆の怒りを買うだろうと危惧する(M2(Disc1)「Heaven On Their Minds」)。その思いから、ジーザスと彼を取り巻く人々の目を覚まさせるため、わざと司祭たちにジーザスを引き渡すが、彼が弁解もせずに磔刑への道を進むのを見て、自分の行いに耐えられなくなる。救世主に祭り上げられていくジーザスの苦悩と並行して、ジーザスを守りたいがためのユダの苦悩も描かれているのだ。

ジーザスより先に死んだはずのユダだが、この物語でもっとも有名な曲M9(Disc2)「Superstar」で、磔刑前のジーザスに「あなたは何者なんだ?」と語りかけている。この曲の歌詞は、キリストという存在に対する宗派を超えた疑問といえるだろう。


本サントラのキモは、何といってもジーザスのパートをディープ・パープルのイアン・ギラン=本当のロックスターが歌っていることだ。突き刺さるようなハイトーンに、ジーザスの感情の高ぶりが乗り移っている。特に「Gethsemane (I Only Want To Say)」など、人間的なジーザスが描かれているはずなのに、神々しささえ感じられる。
一方、ユダのパートを歌うマーレイ・ヘッドはソウルフルな歌声だが、M7(Disc2)「Judas' Death」の悲痛さが最骨頂に達したときのハイトーンも美しい。
マイク・ダボが歌う、名ばかりの王ヘロデのM6(Disc2)「King Herod's Song (Try It And See)」も推したい。コミカルでありながら、王の独裁ぶりがうかがえる。
キャストの中でも、マグダラのマリアを歌うイヴォンヌ・エリマンは、アンドリューをして「理想のマリア」と言わせしめている。ティムの描くマリアは、マグダラのマリア、ベタニアのマリア、キリストの母マリアそれぞれの性格を併せ持っているのだが、イヴォンヌの声にはジーザスに対する優しさも、彼に対する複雑な思いも柔らかくこめられていた。

『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、もともとサウンドトラックのみの作品として作られていた。その後各国で何度も舞台化され、サントラも作られ、映画化もされた。(もっとも、'73年にノーマン・ジュイソン監督が映画化したバージョンは、アンドリューに不評のようだが)もちろん、演出や俳優/シンガーによって、登場人物の性格は微妙に異なってくる。
本作は1つの完成形ではあるが、まだ始まりにすぎなかったのだろう。

2012年3月20日火曜日

コーンバグズ/Rest Home For Robots

「音楽はオレの人生だ!」(いや、ホントに。)

CORNBUGS
Rest Home For Robots('05)




俳優があまりにもインパクトの強い役を演じると、たいていそのイメージから脱却するのに苦労する。インパクトの強い悪役となるとなおさらである。一時期のゲイリー・オールドマンなんか、『レオン』のスタンフィールド刑事のイメージが強くて、色んなところでブチギレ系の悪役やってたもんなぁ。
そんな中……インパクトの強い悪役から、こんなに脱却する気のない人に出会ったのは初めてです。ビル・モーズリィ。

奴の名はチョップトップ。『悪魔のいけにえ2』で、ギャーギャーわめいたりケタケタ笑ったりしながら、人を殺したり追い詰めたりしていたサイコ男。
頭からむき出しになったプレート(ベトナム戦争で負傷した痕跡らしい)の周りの皮膚/肉を、炙ったハンガーでカリカリしながらつまみ食いする癖も猟奇的。
そのくせ、音楽好きだったり、ふざけすぎて長男に怒られてたり、ほかの兄弟同様グランパ大好きだったり、「やんちゃ」で済まされてしまいそうな可愛げまで持ち合わせている。(賛否というか、否のほうが多そうですが)
一応、『2』のラストで倒されてはいるものの、死んだかどうかは定かではない。死んだとみなされていたり、その後逮捕されて精神病院に幽閉されたという設定もあったが、未公開に終わっている。
そういうわけでホントの詳細は不明だが、とりあえず奴は生きていた。しかも、新しく仲間を作っていた。
そして……1999年にコーンバクズとしてCDデビューしていたのである。

いくら一部で人気キャラとはいえ、『2』から13年越しでチョップトップを表舞台に出したところで、大きな意味はない。ファンはもちろん喜ぶけど、それ以外で誰かが得するわけでもない。
おそらく、チョップトップを演じたビル・モーズリィ自身、チョップトップが大好きなのだろう。実際、ビルのオフィシャルサイト、マイスペース、ツイッターユーザー名はチョップトップ名義である。
なおかつ、ビルとタッグを組んだギタリスト、バケットヘッドも、チョップトップが好きだからこそこのプロジェクトを動かしたのだろう。バケットヘッドは、ケンタッキーのパーティーバーレル頭にのっけて白マスク被った正体不明ギタリストだから、チョップトップと一緒にいても違和感ないし。

本作は1999~2001年までの曲を集めてリマスターした盤。CDは現在だいぶ高値なので、ダウンロードのほうが入手しやすいようだ。
見た目はイロモノ/腕は技巧派なバケットヘッドのリフと、ピンチフェイスのドラムが音楽の基盤。このギターリフがいかにもカッコいいロックで、しかもキャッチー。シンプルにして妖しげなリフの「In A Gadda Da Vida」(Iron Butterfly!!)好きなチョップトップのレーダーにも引っ掛かりそう。
そこに、ビルが安っぽいホラー的な歌詞をがなりたてて乗っける。いかにもチョップトップがその場で楽しく適当に歌っちゃったようなノリで、相手がサイコ野郎ということを忘れて微笑ましくなってしまう。(実際、曲はほとんど即興でつくられていたらしい)
短いM6「Ed Gein」で、「エド・ゲイン(『悪魔のいけにえ』のモデルとされる殺人鬼)はよく俺と間違われるんだよ」とブラックジョークを飛ばし、気色悪くエヘヘヘヘと笑うところも、いかにもチョップトップ。
M8「Pigs Are People Too」では「弟ババ」(=レザーフェイス)に言及するところもあり、いけにえファンをニヤリとさせる。
お遊び色の強さがリスナーを選ぶところだが、そもそもボーカルが知る人ぞ知るチョップトップという時点で、どういったリスナーをターゲットにしているのかよく分かるので問題ないだろう。

『2』で「Music is my life!」という名言を残しているチョップトップ。曲を聴いたりレコード集めたりするのみならず、ミュージシャン活動までしてしまって、さぞかしはしゃいでいるに違いない。
その活躍はファンにとっても喜ばしいことだろう。「好きが高じてバンドデビュー」って、ちょっとした夢のシナリオだしね。

残念ながら、コーンバグズは2007年に解散。現在、ビルはスパイダー・マウンテンというユニットで音楽活動をしているが、チョップトップを名乗ってはいない。
ただし、上記したビル関連のWebページは相変わらずチョップトップ。そこはやっぱり譲らないらしい。今年か来年に公開される『Texas Chainsaw Massacre 3D』ではドレイトン・ソーヤー(オリジナルでいうところのコックの長男だが、まったく同じキャラクターかは不明)役だが、ファンにとっても自身にとっても、ビル・モーズリィは永遠のチョップトップなのだろう。

2012年3月15日木曜日

悪魔のいけにえ2

電ノコお笑い劇場(殺戮もあるよ)。

悪魔のいけにえ2('86)
監督:トビー・フーパー
出演:デニス・ホッパー、キャロライン・ウィリアムズ



「そこそこ話を押し広げてつまらない続編になるぐらいなら、オレ自身の手で潔く葬ってやる! 
いっそのこと『すごく怖い映画』ってイメージもぶっ壊してやる!!
突っ走れ! リブ・フリーキー&ダイ・フリーキー!!!」
……と、トビー・フーパーが言ったかどうかは知りませんが。
いや絶対に言ってないですが。

前回の事件から13年後。ラジオ局の女性DJストレッチは、番組に電話をかけてきた若者たちが、チェーンソーで惨殺される瞬間の音声を偶然耳にしてしまう。一方、13年前レザーフェイス一家に甥を殺された元レンジャーのレフティは、この事件に一家の痕跡をかぎつけ、単身捜査に乗り出す。
新聞でレフティのことを知ったストレッチは、証拠として殺人を録音したテープを提出し、レフティの希望に沿ってテープをラジオで公開放送する。そこへ、事件の痕跡を揉み消そうと、レザーフェイスらがラジオ局へ乗り込んできた。

スプラッター映画の続編のお約束として「残虐度アップ」があるが、そちらは『ゾンビ』の特殊メイクでおなじみトム・サヴィーニ先生が腕をふるってくれたおかげで踏襲。かなりぶっ飛んだ状況下でのゴア描写なので、「そんなアホな」的笑いも含んでいるが。
逆に、前作を覆っていた不快な空気はすっかり薄れ、グロさも不気味さも実にカラリとしている。BGMも、前回の不協和音から一転、ラジオから流れる陽気なロックである。
しかし、まさか残虐度のみならず、「お笑い度」と「ファミリー度」までアップして帰ってくるとは……。
さらに、ラブストーリー(200%片思い)まで突然始まってしまうとは……。

食肉処理場、死体インテリア、地獄の晩餐、チェーンソーダンスなど、前作をなぞったシーンも多々あるが、ブラックな笑いと明るいライティングのため、パロディのようになっている。
また、2作目ともなると、登場の際、畏怖の念よりも「待ってましたーー!!」感が強まってしまうのがホラーアイコンの性。監督がそのへんを意識したのかは分からないが、レザーフェイスは格段にコミカルになっている。ミイラ(前作で他界した兄ヒッチハイカー)と二人羽織りするわ、チェーンソーで突撃する前に必ず謎の腰振りダンスが入るわ、ある意味芸達者になり、こちらもパロディ感満載だ。

今回はレザーフェイスだけでなく、デニス・ホッパー演じるレフティも、「チェーンソー持ったアブナイ奴」として登場する。殺人一家に立ち向かうため、なぜか武器としてチェーンソーを選択。甥の復讐とばかりに、一家のアジトを破壊し、しまいにはレザーフェイスとチェーンソーチャンバラを繰り広げる。
ヒーローというよりバイオレントなお笑い担当だが、本来法の側にいたはずの人間が身も蓋もない破壊魔と化しているあたり、かなり狂気じみている。しかも、ヒロインを救うよりも、より悲惨な状況に突き落としていることが多い。「しょうがないですよ! 暴れん坊デニス・ホッパーだもの!!」という映画マニア限定の免罪符は一応有効かもしれないが……。

今回初めて名字が「ソーヤー」と判明した殺人一家。前作で次男のヒッチハイカー(本名ナビンズ)がお亡くなりになり、さぞかし団欒(?)風景は静かになってしまっただろうと思ったら、実はますます賑やかになっていた。
その最たる原因は、ヒッチハイカーの双子の弟チョップトップ。音楽大好きで、やかましさはファミリーいち。ベトナム戦争帰りで(よくこんな奴を徴兵したな)、そのときの負傷により頭に鉄のプレートがはまっているのだが、頭の皮膚をつまみ食いしてしまう悪癖のせいでプレートが一部むき出し。ヒッチハイカーのリアルな狂気と比べると、だいぶマンガ的なヤバい奴だが、コミックリリーフと化したレザーフェイスの脇にいると映えるキャラだ。
ちなみに、兄ヒッチハイカーはミイラと化して登場。ほとんどパペット扱いだが、あれはあれで家族に大切にされているらしい。

そんな弟たちに相変わらず振り回されている、食肉卸業者兼コックの長男(本名ドレイトン)。実は州のチリコンテストで最優秀賞を獲るほどの腕前。零細企業の苦労、家族を養う苦労をボヤく姿には哀愁が漂うが、食材の仕入れ元に関する倫理感はやっぱりズレズレだった。

そして、相変わらず家族みんなに愛されているグランパ(実は祖父ではなく父)は、御歳137歳と判明。その割に、前作より血色が良く、若干アグレッシブで、「ハンマー技」も再披露。
なお、レザーフェイスの本名はババ・ソーヤー。コミカルさといい気の弱い末っ子ぶりといい、「ババちゃん」という呼び名が似合ってしまいそうだが、呼んでもぶった切られること請け合いだ。

まず間違いなく今回の「マジですか!?」設定ナンバー1は、「ストレッチに恋するレザーフェイス」である。どうでもいいけど、絶対にあれは初恋である。
もともとオリジナルの『悪魔のいけにえ』で、お兄ちゃんに怒られてオドオドしたりグランパ大好きだったり、実はピュアな本質を見せていたわけだが、今回は思春期真っ只中のピュアさ加減が炸裂。ついでに、思春期の男子的なチェーンソー下ネタも付いてくる。ただしプロポーズは血なまぐさい。
彼女が好き/でも我が家じゃ人間は食材……の葛藤に苦しむレザーフェイスは、うっかりすると見ていて何とも切なくなってしまう。もちろん、ストレッチは恐怖でそれどころじゃないので、どう見ても思いは一方通行にしかならない。ある意味、そこいらのドラマ以上の悲恋である。

何せ、もとの映画が極めて完成度の高いホラー映画なだけに、いくら映画会社が儲けを見込んで続編(あわよくばシリーズ化)を進めたって、なかなかあれを超えるものは出来ない。それならいっそセルフパロディにしてしまおうというフーパー監督の方針は、前作のファンの失望も買った。
しかし、この思い切りの良さと、各キャラクターのぶつかり合いで引き出される奇妙な魅力のおかげで、オリジナルとは別物の面白さが生まれたこともまた事実である。

2012年3月12日月曜日

マリリン・マンソン@新木場スタジオコースト

アンチクライスト・エンターティナー。

MARILYN MANSON
2012.03.10. 新木場スタジオコースト

セットリスト:
1. Antichrist Superstar
2. Disposable Teens
3. The Love Song
4. Little Horn
5. The Dope Show
6. Rock Is Dead
7. Tourniquet
8. Personal Jesus
9. mOBSCENE
10. Sweet Dreams
11. Irresponsible Hate Anthem
12. 1996
13. The Beautiful People

長年大好きで、しまいには勝手に師と仰いでいるアーティストに対してだって、今回のライヴ今一つじゃないかな……と思うときがある。
しかし、「ライヴどうだった?」と聞かれると、欠陥があったことを理解しながらもそれを差し置いて、心の底から「最高っす!!!」という感想が真っ先にやってきてしまう。
ムダに熱いファン精神の成せる業なのか、アーティスト自身の魔力なのか。

土曜ということもあって、チケットソールドアウトのスタジオコースト。開演前の緊張感がかすかに漂うフロアは割とぎゅうぎゅう詰め。そんな中、開演とおぼしき「The Beautiful People」のリフのアレンジのようなSEが響くと、オーディエンスが大挙してステージへ押し寄せ、冷たい外気に反して熱気がもわわわとたちこめる。

ステージを覆っていた黒幕が落ちると、40を過ぎて年々丸みが出つつも見まごうことなき長身シルエットが、スモークの奥から出現した。そういえば、最近やたらステージに幕を張る割に、ステージセットが地味っていうのは禁句か?
マンソンにしては珍しく、いつもは本編終了やアンコールに持ってくる「Antichrist Superstar」がライヴの幕開けだった。のっけからお約束のレスポンスも、お約束関係なしのシャウトもぶっちぎりレベルのオーディエンスのハイ・ボルテージぶりを見て、「昨日もここでライヴやったけど、今日の客は世界一最高だ」とのたまうマンソン。
PAバランスやバンドのコンディション以上に、本人の機嫌がいかがなものか毎回ヒヤヒヤさせられるマンソンのライヴだが、幸い本日は大変ご機嫌麗しい模様だ。

もはや毎年のようにメンバーが入れ替わるマンソン・バンド。現在の布陣はマンソン以下、右腕にして盟友トゥイギー・ラミレズ(G)、トゥイギーとはサイド・プロジェクト仲間のフレッド・サブラン(B)、サウンドガーデンのバックを務めたこともあるジェイソン・サッター(Dr)。トゥイギーは2001年以来の薄汚れた白ワンピース姿で、オープニングだけなぜかマイケル・マイヤーズ(映画『ハロウィン』の殺人鬼)のようなマスクを着用していた。
前任者クリス・ヴレナの脱退に伴い、現在ライヴにはキーボーディスト不在となっているらしい。キーボードの音はサンプリングで補われていたものの、いかんせん音が細かった。
その分リズム隊が健闘しているので、基盤はぶっとく安定しているのだが、バンド全体のコンディションが芳しいかというとそうでもない。例えば、トゥイギーのハウリングすれすれなギター・プレイは面白いが、決して技巧派ではないので、人によっては聴き心地が良くないかもしれない。
それは仕方ないとしても、マンソンに至っては、しょっちゅう歌い方がぐだぐだになったり歌詞をすっ飛ばしたりする。声が思うように出ないのか、はたまた単に雑なだけなのか。個人的には、後者の疑惑のほうが濃厚なのだが。

そんな調子でも、久しくライヴでお目にかかっていなかった曲が入ると、自然と嬉しくなるもの。「Little Horn」や、デペッシュ・モードのカヴァー「Personal Jesus」然り。トゥイギー脱退期の『The Golden Age Of Grotesque』から「mOBSCENE」がチョイスされたのも珍しい。サプライズというほどではないにしても、ファンとしては盛り上がる。
その辺りを除いては、セットリストのほとんどは『Antichrist Superstar』『Mechanical Animals』『Holy Wood』の三部作から。現時点の最新作である09年の『The High End Of Low』からは1曲も演奏されず、来日公演前日に発表された、新作収録予定の新曲もなし。今のところは「グレイテスト・ヒッツ」選曲のようだ。

欠点の目立つ音楽面をカバーしたのは、やはりマンソンその人のキャラクターだった。
しょっちゅう平然とオーディエンスにケツを向ける下品ぶり。
トゥイギーにもたれたり抱きついたり、花道に連行したりと、オーバーにベタベタアピールする仲良しぶり。
ステージ花道そばの観客のタオルをたびたび拝借し、返す間際に「その汗アブサンでできてるぞ」とぬかしたり、「The Dope Show」を歌いながら謎の粉をオーディエンスの頭上に撒き散らすブラックユーモア。
ステージ中にビールを要求し、いざ日本人スタッフが持ってくるとすべて飲み干さずに吐き散らし、「アルコールを飲むな。ドラッグをやるな。セーフセックスを心掛けろ」とのたまうマイウェイぶり。そう言いながら背中に回した手で中指立ててみせるクソガキぶり。
スタッフがマイクとスタンドをセットしたそばから、スタンドをぶん投げたりはっ倒したりする、迷惑なほどのオレ様ぶり。
最後には、星条旗タオルでケツを拭く「アメリカの悪役」ぶり。
マリリン・マンソンにどういう立ち振る舞いが期待されているのか、この人は把握しきっている。もともとステージ前のオーディエンスのボルテージは高めだが、こういうマンソンを見せられると、「そうそう、これを求めてたんだよ!!」とばかりに、余計に沸騰するのだろう。

今回のライヴにおいては、ミュージシャンとしてのマンソンの評価はやや低めかもしれない。しかし、妙な芸人精神といい、オーディエンスの心を掴む巧みさといい、エンターティナーとしては相変わらず優れている。そこからは、エンターテインメント精神に欠かせない、頭の回転の速さが窺える。
この知性があるから、何だかんだでどこまでもマンソンについていきたくなっちゃうんだろう。

2012年3月4日日曜日

悪魔のいけにえ

絶対に笑ってはいけないテキサス84分。

悪魔のいけにえ('74)
監督:トビー・フーパー
出演:マリリン・バーンズ、ガンナー・ハンセン



この映画、ときどき『13金』と混同して覚えられているのはなぜだろう。一応、念を押しておきたい。

チェーンソー持ってる殺人鬼はジェイソンじゃありません! レザーフェイスです!!
そして、レザーフェイスはジェイソンみたいな単独犯じゃありません! 家族ぐるみでスゴイのです!! 
まぁ、ジェイソンだって原点にはママの存在があったけどね。

テキサスにやってきた旅行中の若者5人が、たまたま不気味なヒッチハイカーに遭遇し、たまたまガソリンが足りなくなり、たまたま仲間の旧家の近くにとんでもない殺人&食人一家が住んでいたため、次々と殺される。
今や良作からポンコツまで大量生産される「ド田舎で若者大量殺戮」系スプラッターホラーのほぼ原形である。

スプラッターといっても、実はそんなに血糊やおどろおどろしいメイクは使われていない。重要なのはむしろ、映画から漂ってくる「不快な空気」だ。
例えば、真夏の暑さと車の中の湿度。
カーラジオから流れる嫌な事件のニュース。
蓄殺の話。
ヒッチハイカーの一挙一動。
適度にイラッとくる若者たちのやりとりと行動。
一見だだっ広くて開放感のあるテキサスの風景から、日本のホラー/サスペンスとはまた違った土着性と湿気を醸し出している。
そんな得体の知れない不快感に延々つきまとわれていると、非常に分かりやすい恐怖の権化であるレザーフェイスが登場したとき、変に安心してしまったり。もっとも、レザーフェイスVS女の子の地獄の追っかけっこシーンは、チェーンソーのエンジン音と悲鳴の音響効果で不快感が高まるけど。

ところでこの映画、思いこみで語られているところが結構多い。
まず、チェーンソーによる殺害シーンがほとんどない。殺害にはむしろハンマーが王道(?)らしい。チェーンソーはほとんどレザーフェイスが持って追っかけてくるだけだ。あと、実は使い勝手悪いだろうに、食肉(=死体)解体に使ってるシーンとか。
そのチェーンソー殺人シーンも含め、ド派手な血しぶきや切断などの直接的なゴア描写はない。せいぜい冒頭の腐乱死体の映像くらい。予算や技術の都合上難しかったのだろうが、そこは演出の巧みさでカバーされている。実際にエグいものを生み出しているのは、観る側の想像力だ。

一番予想外なのは、史上もっとも怖い映画とされている本作が、結構笑えるということ。それも、普通に考えたら恐怖真っ只中の、レザーフェイス一家のシーンに笑いが詰まっている。
食肉(……)の確保・解体プロフェッショナルのレザーフェイスだが、それ以外はあまり頭が回らないらしく、ややトロくてオタオタ気味。グランパ思いで、兄たちには頭が上がらない一家の末っ子。食卓では皮膚マスクに厚化粧。そんな姿をうっかり「可愛い……」なんて思ってしまったら最後、この映画にずっぱまること必至です。
家族も負けちゃいない。実は一家の次男坊だったヒッチハイカーは、一番のブチギレ兼やんちゃで、年の離れた長男を怒らせっぱなし。
長男は一番普通の人っぽいが、常識的な言動と非道な行動のギャップがどうしようもない。弟たちに比べて殺しは苦手だけど、料理(……)は得意ってあたりも何とも。
そして一家の長たるグランパは、超高齢すぎてほぼミイラ。でも家族みんなから尊敬され慕われている。一家の声援のもとヨレヨレの手でハンマーを持とうとする様子には、うっかりすると微笑ましさすら感じてしまう。

が、生き残ったものの運悪くとっ捕まり、こんな一家に延々付き合わされた女の子サリーの恐怖を思うと、本当は笑ってられないことに気づく。ましてや可愛いだの微笑ましいだのとは到底言ってられない。一家の住まいのシュールすぎる家具・内装だって、実際に起きた猟奇事件(エド・ゲイン事件)とほぼ同じなのである。怖いはずのときになぜか笑っていられることは、面白いのだけれども一周回って怖い。

なお、賛否はあるだろうが、この映画でもっとも怖いシーンは、サリーが逃げ切れたところだ。普通ヒロインが殺人鬼から逃れると安心するはずだが、あの瞬間のサリーの様子は安心からはほど遠く、むしろ映画前半のような嫌な雰囲気すら漂う。
逆に、獲物に逃げられ、朝日をバックにチェーンソーをぶん回して悔しがるレザーフェイスの姿は、そんな不快感をすっ飛ばし、芸術的にさえ映る。
そう思えてしまうあたりが、やっぱり怖いところなのかもしれない。

2012年3月3日土曜日

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド

何でこんなにどうにもならない。

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド('68)
監督:ジョージ・A・ロメロ
出演:ジュディス・オーディア、デュアン・ジョーンズ



基本的に、私は「走るなゾンビ!」派である。あんなもんがスピードアップ(モノによってはパワーアップ)して襲撃してきたら、勝てる気がしない。脚力と瞬発力に自信ない身としては、ハンデがほしい。
しかし、たとえゾンビがノロノロでも、誰もが生き延びられるとは限らない。それも、生き残れない原因はどちらかといえばゾンビではなく、人災ってところが厄介で……。

父の墓参りに行ったバーバラと兄のジョニーは、墓地で得体のしれない老人に襲撃される。ジョニーは殺され、バーバラはかろうじて近くの民家に逃げこんだ。
家にいるのは、地下室に逃げこんでいたハリー、妻ヘレン、娘カレン、若いカップルのトムとジュディ、そしてあとから逃げこんできた黒人青年ベン。
蘇った死者(=リビングデッド)が人を襲っているとのニュースを聞いた彼らは家に立てこもることになるが、ベンとハリーを中心に仲間割れが続き、その間にも家は死者たちに包囲されていく。

「ノロノロ歩く」「人肉を食べる」「脳を破壊しないと殺せない」「噛まれた人間もゾンビ化する」といった基本定義がつくられたという意味では、映画史上初のゾンビ映画。もっとも、作中で「ゾンビ」という言葉はまだ出てこない。
このころはキャラクターも観客も含め、みんながみんなゾンビど素人なわけだが、ゾンビもゾンビでたいまつの火にビビって逃げるヘタレぶり。のちの映画に比べればそこまで大群じゃないし、顔面の崩れっぷりもかなりソフト。ひょっとして、頑張れば勝てるのではとさえ思えてくる。

しかし、その期待を一気に台無しにするのが、人間同士の内輪もめである。窓やドアを塞いでゾンビの侵入を防ぎつつ、自分たちの逃げ道も確保しようというベン。絶対ドアが破られない地下室に避難しようというハリー。
いちいち揉め事に気を取られているうちに事態は悪化し、「あの時点でああしておけば良かったのに……」という後悔先に立たずの見本市のような展開に。
人間関係の面倒くささが取り沙汰されることは実生活でもよくあるが、それが最骨頂に達するのは、このような極限状況かもしれない。

そして、救いようのない展開のあとに待ち受ける、もっと救いようのないラスト。「本当に怖いのはゾンビだけか?」という問いを、シーンを冷やかに映し出すカメラと陰気な音楽でもって、これでもかと突きつけられる。観るときの気分によっては、やるせなさが倍増してしまうので要注意である。

ちなみにバーバラにいたっては、分かりやすいパニックぶりを見せていたのは最初ぐらいで、あとはほとんど放心状態という、ヒロインであることを忘れてしまうほどの放置され具合。あまりのお荷物っぷりにイラッとくる人もいるだろうが、実際にゾンビハザードが起きたら、パニックのあまり思考回路が途切れちゃうかもしれませんよ。