2012年9月13日木曜日

キャンディマン

一緒に居てあげて。

キャンディマン('93)
監督:バーナード・ローズ
出演:ヴァージニア・マドセン、トニー・トッド



「ヒロインvs殺人鬼」は、ホラー映画鉄板の構造。たいていは、ヒロインが殺人鬼から逃げきったり、返り討ちにすることが望ましい。
そんな中、数少ない例外といえるのが、この映画である。

鏡の前で5回名前を唱えると現れる、右手にフックを付けた男「キャンディマン」
都市伝説に関する論文を作成する大学院生ヘレンは、キャンディマンの噂の発生元の1つとなった団地を調べていた。その最中、ヘレンが面白半分に鏡の前でキャンディマンの名を唱えてしまったがために、キャンディマンが彼女の前に現れ、犠牲者も出てしまう。
事件は傍から見ればヘレンの犯行にしか見えず、彼女は味方を失い孤立していく。

一見して怖い/ヤバい感丸出しのジェイソンやフレディやマイケルら有名どころのホラーアイコンズとちがって、右手の生々しい切断痕とフックを除けば、古風なロングコートをまとった長身黒人青年にすぎないキャンディマン。
現れたからには犠牲者が出るものの、セックスしたりドラッグやったりする奴をメッタ殺しするわけでもなければ、お気に入りの子を楽しそうにねちねち追い詰めているわけでもない(ヘレンについては結果的に追い詰めているが)。
演じるトニー・トッドの顔立ちとディープボイスも相まって、ホラー界屈指の気品に溢れたアイコンである。

キャンディマンが多くのホラーアイコンと一線を画するのは、都市伝説として語り継がれなけば、自分は無になってしまうと知っているところだ。
この設定は、子どもたちの恐怖がなければ活動できないという『フレディvsジェイソン』のフレディと似ているが、キャンディマンにはフレディのような快楽性やブラックユーモアがなく、むしろときどき哀しささえうかがえる。あくまで自分の存在のために、義務的に殺戮を行っているとでもいうようだ。

そんなキャンディマンが唯一執着を見せたヒロイン、ヘレン。もちろん、自身の存在が「過去に起きた恐ろしい事件と、悪質な不良の蛮行に基づくただの噂」と論じられてしまってはたまったものではないから出てきたのだろうが、それ以上に、あまりにも悲惨な彼の過去によるところが大きい。そのへんを知るにつれ、無責任ながらヘレンに「そこは逃げないであげて!!」と言いたくなってしまうこともしばしば。
そうなると、気になるのがあのラスト。あれはやっぱりバッドエンドなのだろうか。それとも誰かにとってのハッピーエンドなのだろうか……。

あからさまなゴア描写がなく、ラストに向けてのカタルシスもさほど強くはないので、スプラッター/殺人鬼ものホラーとしてはやや物足りない。その代わり、誰からも理解されずに孤立していく怖さや、都市伝説を生み出す結果となる群衆の行動の怖さ、そして全編に漂う物悲しさは、キャンディマンの傷口のように生々しく、じわじわと響いてくる作品である。


↓物悲しさの最たる貢献者であるテーマ曲(音声のみ)

2012年9月3日月曜日

アベンジャーズ

本当に、これが映画だ。

アベンジャーズ('12)
監督:ジョス・ウェドン
出演:ロバート・ダウニー・Jr.、クリス・エヴァンス



ヒーロー大集合、世界の危機、敵とも味方ともスケールでっかくバトル、ガジェット使います、スーパーパワー使います、常人離れした身体能力も駆使します、ユーモアとロマンスを効かせることも忘れません……。

文字に起こすとベタ度が増すが、でっかいスクリーンと最高の音響で観るという映画の醍醐味をひたすらに乗せると、こういうことになるように思える。
日本だけじゃなくて、世界に向けて「これぞ映画だ!」って言っちゃってもいいんじゃないか?

国際平和維持組織S.H.I.E.L.D.が保管する四次元キューブを奪い去り、異世界の扉を開けて地球侵略を目論むアスガルドの神ロキ。世界の危機を阻止すべく、S.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリーは、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルク、そしてS.H.I.E.L.D.エージェントのホークアイとブラック・ウィドウらヒーローを集結させた「アベンジャーズ計画」を発動する。
しかし、ホークアイは洗脳でロキの支配下にあり、ヒーローたちも強いエゴと不信感のため、チームは簡単にはまとまらず……。

ざっくりいえば「ヒーロー大集合祭り」がメインテーマの本作。当然、全員に活躍の場を与えなくては不満が残るというもの。
こういうとき、特殊能力組はわりと心配いらない。ソーはムジョルニアと雷を操るパワーを見せつけられるし、『マイティ・ソー』のころに比べれば、分別も身につき安定感のある存在に。
ハルクは大暴れするだけじゃなく、変身の瞬間の緊迫感や、バナー博士としての日頃の苦悩も描ける。ノーマルな状態の天才科学者ぶりも、わりと長めに見ていられる。
アイアンマンは特殊能力とはちょっと違うが、パワードスーツのカッコよさと頭脳とユーモアが特殊といえば特殊。そのくせ協調性がないあたり、一番「成長するヒーロー」として描きやすいキャラクターだ。

一方、影が薄くならないか心配だったのが常人組(といっても人並み以上の身体能力あり)だが、蓋を開けてみれば心配値を軽く上回る活躍。下手な人が描けば魅力が「紅一点」ばかりになりがちなブラック・ウィドウは、涼しい顔して無茶にもほどがあるアクロバティックな戦いぶり。
ホークアイの一見地味な弓技も、クライマックスに向かうにつれて思いがけぬ大活躍を見せ、初っ端に洗脳で敵陣に回ってしまったぶんを軽く取り返していた。

一番予想以上にいい描かれ方だったのが、キャプテン・アメリカ。「超人ソルジャー」がキャッチフレーズだが、スポットが当たっていたのは「超人」よりも「ソルジャー」としての側面
いざというときには進んでチームの指揮を執り、居合わせた警察官にも的確な指示を出し、巻き込まれた民間人を助けることを忘れない。キャップの強みは、真面目さと正義感と軍人としての経験であることを再確認させられる。

そして、彼らと違って戦いの表舞台にはなかなか出てこないが、司令官ニック・フューリーの冷徹な態度とヒーローへの信頼感も、埋没することなく存在を示している。
『アイアンマン』シリーズ、『マイティ・ソー』に登場し『アベンジャーズ』への布石を敷いてきたエージェントのコールソンは、今まであまり見せなかったヒーロー愛を今回ばかりは隠さず。影どころか堂々たる功労者としてヒーローたちを支えた。その功労者にアレはなかろうという気もするけれど。
ただただお祭り要素を乗せまくるだけじゃなく、それぞれの魅せるポイントをしっかり押さえて描く。エピソードを詰め込みすぎず、テンポの早い流れにしたのも、この場合ポイントが高い。監督ジョス・ウェドンの完璧な仕事ぶり、あるいはオタクぶりに感謝である。

そうそう、ヒーローを引き立てる悪役として、ロキの貢献を忘れちゃいけません。
これだけヒーローが集結したら、悪役は宇宙から襲来したエイリアンクラスのやつかと思ったら(それも間違いではなかったが)、トリックスターの神だった。
確かに『マイティ・ソー』からソーと義兄弟にして愛憎半ばする敵ではあったが、その動機は「親に認められたい」「兄の陰に隠れっぱなしだからちょっと仕返ししたい」「少しは兄と対等になりたい」と、極めてネガティヴでコンプレックスに溢れていてミニマル。紹介文ではしょっちゅう「邪神」といわれているが、邪悪どころか、ソーの豪快さとお人良しぶりとはまた違った親近感が湧いてくる神である。

今回は地球侵略という大規模な陰謀に打って出た……と思ったら、根本は相変わらず「兄への対抗と仕返し」というミニマルさ。このスケールの小ささが、世界を壊滅の危機に晒しておきながら、ロキを憎めないキャラクターにしている所以。また、発想が単純なようでいてときに予測不能な行動に出る駄々っ子は、実は結構な脅威であることを知らしめてもいる。

一応神なので「死んで終わり」という最期もなかなかつけられないし、『マイティ・ソー』の続編にも演じるトム・ヒドルストンの名がクレジットされているらしいロキ。あれだけ悲惨な(そして笑える)目に遭ったにもかかわらず、反省しているのかいないのか微妙なところだったので、彼のはた大迷惑な反抗期は、まだ続きそうな気がする。

もちろん、アベンジャーズもまだ続く見込み。観ていれば分かることだが、すでに次の悪役がセッティング済みである。スタートダッシュは上々も上々だったマーベルヒーローチーム、次の課題は「続編にありがちな中だるみをいかにして避けるか?」のようだ。

2012年8月31日金曜日

ザ・コンヴェント/ゾンビキング/処刑山 デッド・スノウ

残暑だ! ゾンビだ!! ボンクラだ!!!


暑いときには怖い話……とはいうものの、自分の体験だけでいうと、ホラーのびっくらかし演出にかえって手に汗握っちゃって、あまり背筋が凍ってくれなかったりすることが多い。あと、希望をいえば、話があんまり重苦しいと観終わったあとダウナーになっちゃうので、多少のスッキリした感はほしい。
じゃ、半分ぐらいダレながらまったり観れるおバカ系(褒め言葉)なホラーならいいんじゃね? 
そんな単純な連想のもと、残暑のお供として、個人的に選定した「3大バカゾンビ映画」をまとめて紹介させていただきたい。

ザ・コンヴェント('00)

監督:マイク・メンデス
出演:エイドリアン・バーボー、ジョアンナ・カントン



40年前、クリスティーンという少女が神父と尼僧を皆殺しにし、火を放ったといういわくつきの修道院。そこに肝試し感覚でやってきたクラリッサら学生たちだが、同じころ忍び込んでいた悪魔崇拝者の若者たちが儀式によって死霊を復活させてしまう。
仲間たちが次々と取り憑かれ、弟も捕らわれたクラリッサは、今も修道院の近くに居を構えるクリスティーンに助けを求めにいく。

咥えタバコに酒フラスコの不良女子高生が礼拝堂に殴り込み、バットで尼僧をなぎ倒し、マシンガンを連射し、放火。緊迫のシーンのはずだが、BGMの「You Don't Own Me」のおかげで実にユルいテンションのオープニング。この時点で「ああ、この作品アホなんだ」と気づかされる。
その後出てくる若者たちも、不良ゴス少女、いじめっ子ジョックス、チアリーダー、セックスしか頭にないアホ男、なんちゃって悪魔主義者など、鉄板の犠牲者布陣。
後半活躍する、現在不良おばさんのクリスティーンを演じるのは、ジョン・カーペンター監督夫人のエイドリアン・バーボー。かつてカーペンターのホラー映画『ザ・フォッグ』で活躍するヒロインを演じた彼女に、また戦うヒロインをやってもらいたい……という監督の夢の投影なのだろうか。死霊相手に戦いを挑むわりに、武器がほとんど銃器・火薬頼みなのはご愛嬌。

そうそう、実は『悪魔のいけにえ2』のチョップトップことビル・モーズリィも警官役でちらっと登場する。そこにいるだけで「こいつロクな警官じゃないな」と思わせるオーラはにじみ出ているものの、本当に「そこにいるだけ」だったのはちょっと残念。

ちなみに、パッケージに「ゾンビ、走る。」(注:尼僧と書いてゾンビと読む)と書いてはあるが、、サブタイトルに「死・霊・復・活」とある通り正確には死霊。取り憑かれると、なぜか顔面蛍光ペイント、血が蛍光ピンクになり、早送りロボットダンスのようなカクカクした動きになる、愉快で華やかな死霊。そして最終的には、男女を問わず尼僧の格好になる。つまり、これは尼僧ゾンビではなく、死霊の尼僧コスプレなのだ! 
……どっちもイヤか。



ゾンビキング('03)

監督:ステイシー・ケイス
出演:ジュールス・デローム、ジェニファー・トーム



なぜか近未来。人気No.1ヒーローレスラー(覆面)のユリシーズは、恋人(覆面レスラー)のメルセデスとその弟(覆面レスラー)ブルーセインツと海辺の家で再会し、自分の弟子でもあった一匹狼レスラー(覆面)・ティキの試合を観に行く。
試合はゾンビと戦うという触れ込みであったが、実態はティキが自分で飼いならしたゾンビを利用した八百長試合。しかし、その最中、屋外で人がゾンビに食い殺される事件が発生し、ティキの飼いゾンビに容疑がかかる。
ティキの無実を証明するべく、事件解決に乗り出したユリシーズは、まもなく事件の背後に悪役レスラー(覆面)・ゾンビキングの存在をつきとめる。

たぶん監督さんは、「元WWEやWWFのプロレスラーさんたちを集めてゾンビ映画を撮りたいっ!」って、なんか思い立っちゃったんだろう。
で、ゾンビ映画のルールよりも、プロレスのルールを優先したんだろう。
だから覆面レスラーは絶対マスクとらないし、マスク取られたら負けだし、ヒーローレスラーは問答無用で尊敬されるしモテるし警察に信用される。
もちろん見どころはすべてレスラー同士のプロレスバトル(ケガしない程度の技)。
一応、ゾンビとも素手で戦うんだけど、「ゾンビか! よし、首を落としてしまえばOKだ!!」とばかりに、マネキン……もといゾンビの頭をちぎっては投げちぎっては投げで、人間相手よりはるかに余裕の勝利。
ちなみに、この世界のゾンビたちは、洗脳さえ解いてしまえば(解き方もかなりアレだが)人を襲わない無害な存在になるので、すべてが一件落着したら、一緒にパーティーまでできちゃう間柄。

まぁ、ツッコミどころには事欠かない一本なんだけど、とりあえず、初っ端にでかでかと表示される「George A Romero Presents」にだけは「嘘つけーーーーーーーっ!!!」と叫んどこう。


処刑山 デッド・スノウ('10)

監督:トミー・ウィルコラ
出演:ヴェガール・ホール、ビョルン・スンクエスト



バカンスを楽しみに雪山へやってきた医学生グループ。実はその山は、蛮行と残虐さで知られたナチスの一団、ヘルツォーク大佐率いるアインザッツ部隊が、奪った財宝を手に終戦後隠れ住んでいた地だった。
その財宝を医学生たちが偶然山荘で発見し、手に取ってしまったがために、ナチス兵士の冷凍ゾンビが次々と復活、襲撃をかけてくる。

雪山を逃げ降りる女と、彼女を何かが追うオープニング。これまた緊迫のはずなのに、BGMが「山の魔王の宮殿にて」というベタさ加減に、『ザ・コンヴェント』と同じアホの匂いがする。
一応、血しぶきと臓物がふんだんに出てくるので、グロテスク度は3つの中で一番なのだが、臓物の手造り感と鮮やかすぎる画面からは自主制作臭さがぷんぷん漂ってくる。酸素の薄い雪山撮影だから、人間キャストのみならずゾンビキャストまで、あからさまに肩で息してるし。

何やら権利の都合なのか、日本版パッケージでは「ゾンビ」表記ではなく「ゾムビ」になっている。確かに、ただ疾走するだけではなく、陣形も組めるしグーで殴ってくるし、マウントポジション攻撃できるし、ナイフや双眼鏡などのツールも使いこなすし、軍人としての上下関係も活きてるし、あんまり人喰わないし、しかも一応喋れるみたいだし、明らかに従来のゾンビではないから百歩譲って「ゾムビ」でもいいのかもしれない?

「不死身の軍人vs一般人」の構図なので人間が圧倒的に不利なのだが、医学生らしく傷口を自力で縫い合わせたり、チェーンソーとハンマーで突撃したり、スノーモービルでゾムビを轢き逃げしたり、意外と健闘している。それでも両者いろいろ犠牲が出るあたり、ナチゾムビも若者たちもそこそこボンクラ。
ちなみに、パッケージのキャッチコピーは「海に行けばよかった……」。作中でも同じセリフが、しかも仲間が1人目の前で死んだ直後に出てくるのだが……そういう問題なのかよ。
海に行ったら行ったで、ヴァイキングゾムビ(?)が出てくるかもしれないじゃないかよ。



どうしたって好き嫌いが分かれる映画作品の中でも、ひときわ好きと嫌いの格差が激しくなりそうな3本。B級上等、多少のアラも上等、そしてゾンビ万歳、ボンクラ万歳!! な方にはぜひお勧めしたいのですが……そういう方に出会うのもなかなか難しいもんです。

2012年8月26日日曜日

フジ・ロック・フェスティバル'12(7月29日編)

幕切れは、静かに熱く。

Fuji Rock Festival'12
2012.07.29. 苗場スキー場

「……はい、何でしょう?」


早番だ! ……といっても今回は5時半起きの早番なので、前日ほどハードではない。仕事も、ゴミ箱清掃ではなく、キャンプサイト付近のゴミ箱ナビゲーション。
正直、朝のナビは、会場内のフードコートの飯どきナビより大変だ。なぜなら、昨晩のうちに溜まったゴミや朝食ゴミが、どどっとまとめて運ばれてくるからだ。つまり、ゴミを持ってきた来場者1人に、
「ペットボトルはこっちです! 紙コップは紙のお皿とは別にして右のほうです! あと、燃えるゴミと燃えないゴミはまとめて向こうのコンテナです!!」
ぐらいの説明が要る。来場者がゴミ箱の真ん前に来てから説明するのも手間なときには、「紙のお皿はこっちでーーーす!!」「燃えるゴミ燃えないゴミは一番左でーーす!!」と手を挙げて宣言したほうが早い。

ということで、ちょっとアドバイス。袋にまとめてゴミを持ってくるなら、
「燃える/燃えないゴミ」(注:フジではまとめて回収するシステム)
「紙の皿」
「割り箸・木製スプーン」
「紙コップ」
「ペットボトル(ラベルとキャップを外す)」
「ボトルキャップ」
に分けてきたほうが便利かなと。ゴミ箱前で袋から資源をあれこれ引っ張り出す手間が省けますし。

休憩のあとは、グリーン・ステージでのゴミ箱ナビゲーション。おおむね、オアシスで何か買ってきて、移動途中で食べ終わった来場者が、残飯や紙食器を持ってくるケースが多い。そんなわけで、一番オアシスに近いところにあるゴミ箱が、一番バタバタしていたようで。
この間、グリーンではGalacticとtoeと井上陽水のステージがあったのだが、井上陽水が始まってしばらくすると、人だかりが通路にまで広がってぎゅうぎゅうに。ホワイト・ステージ側へ向かう人々と、ゲート側に向かう人々とが、列に並んだままなかなか動けなくなっていた。移動中のボランティアスタッフやセキュリティスタッフも巻き込まれていた。恐るべし、陽水パワーの大渋滞
ちなみに、ボランティア本部集合~解散の間、ステージに立っていたのはジャック・ホワイト。解散後にグリーンの通路を歩いていたとき、ステージの締めくくりとしてThe White Stripes時代の鉄板名曲「Seven Nation Army」を演ってくれたのが嬉しい。

早番なので、今回も早めに班解散。というか、うちの班はフジでのボランティア活動自体がこれにて解散。せっかくだからちょっと乾杯しましょうかということで、オアシスでハイネケンやら日本酒やら、思い思いの一杯を飲むことに。夏フェスのハイネケンは格別美味しいように思えるから不思議である。もっとも、私を含めたハイネケン組の何人かは、夕飯を食べたあとのビールは余計お腹いっぱいになってしまうことに気付かされたのだが。

しばらく宿泊所で休憩し、荷物をきっちりまとめ終わったあとで、待望のRadiohead。
どうしたってヘッドライナーのころには人がぎっちぎちになってるグリーンだけど、この人ごみは3日間で一番じゃないの? とさえ思ってしまう。
最近のライヴ曲は『In Rainbows』('08年)『The King Of Limbs』('11年)中心。そしてツインドラム制。それはすでに音楽誌やネットでいろいろ聞いていたので驚くことではないが、その曲群がダンス・ミュージックとして機能していたことには、自分も踊っていながら驚いた。ときに「難解」のイメージがついて回るRadioheadに、そんな受け止め方があったとは今まで気づかなかった。でも、ツインドラムのリズムは確かに乗り心地がいい。まぁ、踊るとはいったものの、その多くはステージ上のトム・ヨークのようなぐねぐねかくかくした動きでしたが。

ちなみに、トムのぐねぐねダンスは一昨年のAtoms For Peaceで拝見済みだけど、やっぱり異様なようでいてとってもステージになじんでいる。同じく一昨年もやったMCの「いらっしゃいませー!!」宣言すらおなじみと化している。
あと、ヘアバンド&青いタンクトップが個人的に衝撃だった一昨年に比べ、今年のファッションは至って普通で、大してツッコミどころはない。ただ、なぜかポニーテールが遠目にも気になる。「これはKid Aです」と言ったとき、「ん? キレイです? キライです?」と空耳が続出したことも、強いていうならツッコミどころなのかなぁ。

どういうわけだか聴いていると問答無用で泣けてくる「Pyramid Song」と、コーチェラのDVDに収められていたのが貴重といわれていた「Planet Telex」がセットリストに組み込まれていたのが嬉しい誤算でした。トムの「何が聴きたい?」というMCに「"Bodysnatchers" !!」と叫んでいた外国人来場者がいたけど、2回目アンコールに演ってくれてよかったね。

とっても分かりにくいがRadioheadだ! トムは真ん中で歌ってるとこだ!






正直、彼らのライヴがどんな感じに盛り上がるのか、記事を読んでも今一つぴんとこなかった。今回が念願の人生初Radioheadとなったのだが、オーディエンスがやたら飛び跳ねるわけでもなく、大合唱するわけでもなく、コール&レスポンスがあるわけでもなかった。ただ、最後の最後のアンコール「Paranoid Android」まで、終始オーディエンスの熱気に溢れていて、心底満足できるステージだった。

フジ・ロック、今年も最高の空間と最高の音楽を提供してくれてありがとう!!
あ、あと最高の天候を提供してくれた山の神様もありがとう。来年もこんな感じでよろしく頼みます……ってのは無茶ぶりがすぎるか。


また会えるといいね。


この日のフェス飯&フェス酒記:
  • ハイネケン(フジで飲むハイネケンは格別だ! フェスの匂いだ! ……ここまで、かのキルゴア中佐の名言を改変しまくってきてすみません。)

2012年8月20日月曜日

フジ・ロック・フェスティバル'12(7月28日編)

その夜、グリーンが揺れた。

Fuji Rock Festival'12
2012.07.28. 苗場スキー場

おはようございますfrom木陰。

早番だ! 4時半起きだ! ゴミ箱片付けだ!
ということで、場外パレス・オブ・ワンダーにはじまり、オアシスやアヴァロンのゴミ箱巡り。
今年はそんなにゴミ山盛りでもなかったが、パレスはラーメン残飯ゴミにてこずる。ボランティア班メンバーの「メンラー(ラーメン)のるーしー(汁)がスゲーよー」というつぶやきが忘れられない。
ひとしきりゴミを片付けてしまった後になって、パレスのスタッフのおじさんが「これ捨てるとこない?」と、大量の割れたスイカと、大量の折れた蛍光灯を持ってきた。何をどうすればそんなゴミが出るのか、このときはまだ知る由もなかった。

ところで、今年はゴミが落ちている率が例年より多かったのだとか。道の脇の斜面のてっぺん付近に紙食器が捨てられていたケースも。そんなところに捨てに行く労力があるのなら、あと数十メートルなだらかな道を歩いてゴミ箱に持って行ったほうが早い気がするのだけれど。

朝清掃後の休憩時間には、奥地のストーンド・サークルやカフェ・ド・パリまで写真撮影に出向く。
しかし、8時ごろから上ってきた太陽がいかんなくパワーを発揮してくれちゃったので、奥地から戻ってヘヴンに着くころには、水筒のスポーツドリンクだけではもたない状態に。
というわけで、サムライジェラートのシャーベットルヴァンのジュース、しまいには昨日から食べたかった冷やしキュウリのお世話になったのだった。


朝のヘヴン。食事処やカフェのテントには、すでに冷たいものを求める行列が。


ところ天国の川辺に生息する「ゴンちゃん」。涼しげ。


さて、この後のシフトは、アヴァロンからオレンジ・コートにかけてのゴミ箱ナビ。昨日のオアシスみたいなフードエリアじゃないから、そこまでゴミも多くないか……と思うなかれ。
私がいたのはヘヴンだったが、ここではエリア後方のテントでご飯やドリンクを買って、まったりとステージ鑑賞する来場者が多い。ひとたびステージが終わると、紙コップや紙食器を抱えた人たちが行列をつくる。そうでなくとも、ヘヴンのゴミ箱はアヴァロン方面とをつなぐエリア出入り口にあるので、行き交う人がコンスタントにゴミを持ってくる。意外と、ゴミ袋も資源袋もすぐにいっぱいになる。
こういう状況だと、分別慣れしている来場者が、ゴミ箱にたどり着く前からさっさと資源を分けていることが、非常にありがたいのである。


この日は早番だったので、班解散時間も早め。できれば観たいノエルのステージまで、しばらく宿舎に戻って休憩。
……しかし、21:30までじっとしていられなかったので、日が落ちると、フジ最西端奥地の秘境、ピラミッド・ガーデンまで散歩に行ってしまった。2009年まではフィールド・オブ・ヘヴンのキャンドル・アートを担当していた、Candle Juneさんデザインのステージ。場内から足を運ぶにはかなり距離はあるが、そこまで歩く甲斐のある美しいエリアである。


ここで観るアコースティック・ライヴは幻想的。


さて、最西端から歩いて会場入りして、ようやくNoel Gallagher's High Flying Birds。ソロになったとき「俺はスタジアム向きのアーティストじゃないから」と言っていたばかりなのに、来日公演は東京ドームシティ、武道館を経て、さらにフジ最大メインステージの大トリと、すでにスタジアム級。
リアムがBeady Eyeの活動開始後しばらくはOasisの曲を封印していたのとは対照的に、ソロでも構わずOasisの曲をやっちゃうノエル。なんだったらリアムがボーカルとってたはずの曲も歌っちゃうノエル(終盤に披露された、アコギとキーボードアレンジの『Whatever』が忘れられない)。曲の90%を書いてたのはノエルなので、「元はといえば俺の曲!」と言われたらそれまでか。
でも、俺の曲であると同時に、みんなの歌でもあるのがやはりノエル印らしい。ソロ曲・Oasis曲問わず、オーディエンスのシンガロング率は非常に高い。ロックスターたるリアムのBeady Eyeはリズム、ソロになってますます吟遊詩人のようなノエルはメロディーがそれぞれ立っているようだった。


ノエルーーー!!!


バンドは非常にリラックスしたムードだが、どうもノエルはステージのフロントに立つことにいまだ慣れていないように思える。MCをしていたはずなのに、ふっと笑って黙ってしまうこと多々あり。ステージが進むにつれて少しずつじょう舌になっていったものの……まさか、照れ? それでも、最前列のオーディエンスから何か言葉が飛んできたら、仏頂面でスルーする弟とは対照的に、できる限り相手してあげる律儀な面も。

しかし、「結婚してーー!!」と叫んだ女性ファンに「俺と結婚したいの? じゃ2番目の奥さんに」と言って、周りからヒューヒューと冷やかしの声が聞こえてくると、完全にマジ照れ笑いになっていた。君は本当に、あのアーティストやこのアーティストを×××野郎呼ばわりしてきた、あのノエルなのかい? と、何となく疑ってしまった。
……と思ったら、途中でステージを離れようとしている来場者を見とがめて「おい、どこ行くんだよ! 信じられないな」と一蹴。さらには、「ピックちょうだい!!」と叫ぶファンに、
「くだらないな」
「これに生活がかかってるんだからやらない」
「じゃ2千円で」
「お前にピックやったら俺に何くれるの?」
「俺がここで演奏してやってること自体お前らへのギフトだぞ」
と、怒涛の切り捨て。
……うん、やっぱり間違いなくこの人ノエルだ。

最後の最後には、「お前らがほしいのはこれだろ」と、「Don't Look Back In Anger」を投下。このときグリーンに巻き起こった大地が揺れんばかりの大合唱は、ノエルのライヴ中でも最大規模、ひょっとしたら今年のフジロック全ステージ中でも最大規模だったかもしれない。
そんなボルテージ最高潮のオーディエンスを前にしたノエルの笑顔は、満足の笑みなのか、はたまた呆れて笑うしかなかったのか……。


ノエルの余韻に浸りながら、オアシスで夜食にありつき、さらにパレスに寄り道。毎年パレスでは人間大砲やら曲芸やらのショーが行われていて、今年はどうやらインド人が出てるらしいとのことだったので、気になって足を止めていた。
時間になると、パレス中央部のドームテント風ステージに、ターバンを巻いて髭をもしゃもしゃ蓄えたステレオタイプインド人が10人近く登場。バトルのような剣の舞を始めた。なるほど今年はインド剣舞か。
と思ったら、剣舞をやっていた人たちが退場し、今度は別の人が棒術を披露。
と思ったら今度は蛍光灯噛み砕き芸! 
と思ったら今度は網を回転させて花のような模様をつくる舞! 
と思ったら頭でスイカ割り!(朝のゴミの正体はこいつか……) 
と思ったら人の胴体に敷いた板の上をバイク渡り!! 
極論を言ってしまえば、超絶一発芸の連続だったインド人ショー。今年観たインド映画『ロボット』を彷彿させる過剰にたたみかけるノリ、個人的には好物です。


これはまだ、全ての始まりにすぎなかった……。

この日のフェス飯&フェス酒記:
  • ブラッドオレンジシャーベット(灼熱の朝っぱらの贅沢品)
  • しそジュースのペリエ割り(フジで飲むルヴァンのドリンクは格別だ!)
  • 冷やしキュウリ(フジで食べるルヴァンの以下略!)
  • 佐世保バーガー(ベーコン・卵・パテ・野菜全部乗せでおなか一杯です)
  • ウォッカトニック(1つ前の人がやたら追加注文してたり軽く揉めてたりしたので、この一杯にたどり着くまでの所要時間約10分)

2012年8月16日木曜日

フジ・ロック・フェスティバル'12(7月27日編)

一番の楽しみは場外にあり。

Fuji Rock Festival'12
2012.07.27. 苗場スキー場


初日は昼前からシフト。すでに、太陽光で消し炭になってしまいそうなほどの暑さ。
そんな中、スマホ・携帯問わず、auの電波が入りにくいという今年の難点が浮き彫りに。
ツイートできないのはともかく、万一の時にボランティアチームと連絡とれんのは困るよ。

本日前半の仕事は、グリーンステージエリアのecoアクションキャンペーンブース。
来場者の資源分別参加の受付、呼び込み、クイズ出題などである。ちなみに、分別した資源のうち、ペットボトルはゴミ袋、紙コップはトイレットペーパーにリサイクルされて、来年のフジロックに使われる。それ以外では、割り箸や木製スプーン&フォークがベンチなどの木版、ペットボトルキャップがプラスチック材に。
実は毎年結構な数の来場者が参加してくれるので、運搬する分別済みペットボトルや紙コップも、自分たちの仕事時間だけで相当な資源袋が完成。
ただ、これやってると、ステージからのライヴ轟音との戦いで、毎年喉がガラガラになるんだけど。

グリーン・ステージ。Owl Cityライヴ中。


後半はオアシスにてゴミ箱ナビなのだが、ここでしばし休憩。オアシスの苗場食堂で冷やしキュウリでも食べたい……と思ったのだが、あまりの行列に断念。安くて美味いからなぁ。

先ほどは休憩に行ったオアシスで、今度は仕事。ゴミ箱にて、資源とゴミの分別をナビゲートする。
結構分別は細かいのだが、こちらが指摘しなくてもペットボトルの分別を進んでやってくれる来場者が、ボランティアに参加し始めた年から着々と増えている。慣れた、というよりは、主催者・来場者込みで、フェスが進化しているなと思わされる。

さて、タイムテーブルを見る限り、オアシスのゴミ箱ナビが終わるころにはステージが始まっているBeady Eye。しかし、比較的グリーン・ステージに近いところにある、ボランティアスタッフのテントに集合したとき、ライヴの音は一切聞こえず。
それもそのはずで、資源袋を抱えて本部に戻る際にステージを見てみたところ、まだバンドが登場してもいなかった。おいおい、この次はあんたらの大先輩のThe Stone Rosesだろう。大先輩のステージを前に自分らのステージ遅刻って。リアム・ギャラガー、やっぱあんたはスゲェ。

……と思ったそばから、ようやく登場し、「Four Letter Word」で幕を開けたBeady Eye。私はほとんど本部で音楽だけ聞こえていただけで、本日の班活動解散したあとに最後の3曲ぐらいを生で観たのだが、どうやら昨年サマーソニックに来たとき同様、マイペースで悠々とステージを進めていたようだ。あれからライヴも数多くやって、ますます余裕が出てきたんじゃないだろうか。そのわりには、リアムの声が本調子じゃなかったようだが。
それでも、相変わらずのでかい態度でステージにふんぞりかえる姿はやっぱりロックスター。最近はBeady EyeもOasis時代の曲を解禁しはじめたようで、「Rock'n'Roll Star」「Morning Glory」を披露。やっぱり、「今夜俺はロックンロール・スター」って歌って様になるのは、断然リアムですよ。
そういえば、確認できただけでもリアムとクリス(Ds)が、プリティグリーン(リアムのファッションブランド)のTシャツを着ていた。ロゴがなかなかカッコよかった。

このあとは、今年もバニーフィーバー(下写真参照)だったボードウォークを通り抜けて、オレンジ・コート、フィールド・オブ・ヘヴンまでひと歩きする。
再びグリーンに戻ってくると、ちょうどThe Stone Rosesが「Fool's Gold」をやっているところだった。ローゼスになじみのない私だが、唯一この曲だけは映画サントラでよく知っていた。フェードアウトするだけだった終盤は、スリルのあるセッションになっていた。また、私はPrimal Screamでのマニ(B)しか知らないが、ボビー・ギレスピーと一緒にいるときとはまた違った、マニのリラックスした笑顔が印象的だった。

去年もボードウォークに生息していたバニーたち。
夜のヘヴンは今年も美しい。


フジロック深夜のお楽しみは、レッド・マーキーやオレンジ・コートでのDJイベントだったり、ところ天国での映画上映「富士映劇」だったりとそれぞれ。個人的には、場外のパレス・オブ・ワンダーのイベントが一番の楽しみである。
今年はどうやら、毒々しくいかがわしいカーニバルがコンセプトらしい。不気味な顔の口めがけて人形の首手足を投げ入れるゲームやら、ハンマーを使った力試しゲームやら、見世物小屋やら、チープなホラーハウス臭さがたまらない。特に見世物小屋は、見た目も仕掛けも手造り感と安さが溢れていて、映画オタクの自主制作ゾンビ映画みたいな微笑ましさがあった。

派手で不気味で素敵なアトラクション。

案内係さんいわく「期待しないでね」。

この日のフェス飯&フェス酒記:
  • ルヴァンのバタハチ(バターとはちみつをつけたカンパーニュ。フジで食べるルヴァンのメニューは最高だ!)
  • ブラックベルベット(ギネスとスパークリングワイン。やっぱり、ぼやけたような感じであまり好きではない)

2012年8月10日金曜日

フジ・ロック・フェスティバル'12(7月26日編)

まだ幕開けですよ。

Fuji Rock Festival'12
2012.07.26. 苗場スキー場



実は2007年からフジに参加し続けて6年目。といっても、ボランティアスタッフとしての参加ですが。
今年もまた、このシーズンに苗場に「ただいまーー!!」と言うことになりました。
それにしても、今年は現地スタッフをして「どピーカン」と言わせしめるほど日差しが強くて暑かった。

とりあえず、この日の仕事は、東日本大震災義捐金の呼びかけ&リストバンド渡し。去年もたくさんの義捐金が集まったが、今年もあわや箱の底が抜けるかというぐらいだった。

この日は前夜祭。16時ごろからオアシス(フードコート)で苗場音頭、抽選会が始まり、20時ちょっと前からオープニングダンス、そして開幕の花火が上がる。
毎年毎年、それでもまだオープニングかってぐらい盛り上がる前夜祭。今年は快晴ということもあってか、一昨年、昨年以上に賑わっていたように思えた。蓋を開けてみれば、今年は来場者数過去最多だったので、当然といえば当然だったのかもしれないけど。

前夜祭だけでなく、フジロック開催期間中ずっと会場にいる大道芸人の皆さん。個人的には、フジの影の楽しみでもある。
この夜も、オアシスで炎のジャグリングや火吹き芸をしているおじさんに遭遇。いわく、
「フジは前夜祭が一番好きなんです! なぜなら、最終日ぐらいになるとお客さんも芸を見飽きてきちゃうからです! ・・・・・・正直に言っていいですか? 本当は前夜祭が一番皆さんお金持ってるからです!!
大道芸の見どころは、こうした合間の喋りでもある。

同じくフジ開催中通してのちょっとした名物が、ちょっと違うベクトルで張り切ってる来場者さん。
義捐金仕事中、ノーラン版バットマンのマスクをかぶった軽装ダークナイトを発見したのを皮切りに、おにぎりの被り物や、うさぎの着ぐるみ(去年も見かけましたよ)を続々発見。全身タイツ(今回は金色を発見)など、もはや毎年いて当たり前。そこまでの発想と行動に至らない自分は、毎年感心させられっぱなしである。(褒めてますよ!)
ちなみに、この6年間で最大のインパクトを誇るのは、2007年にみかけた、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「股間靴下」でゲートを通って行った男性である・・・・・・。

この日のフェス飯&フェス酒記:
  • 苗場食堂のぶっかけそうめん(シンプルイズベスト)
  • 鮎の塩焼き(今年も美味い!)
  • HMVスペシャルカクテル(アルコールとしては軽い)
  • ジャックコーク(個人的にフジの定番)
  • マンゴービール(強くはないが美味い)

前夜祭の中心・オアシスのやぐら。

レッド・マーキーで前夜祭ライヴ。Los Lonely Boysカッコいい。

HMVスペシャルカクテル。黒とピンクはHMVカラー。


2012年7月24日火曜日

ダーク・シャドウ

いつものように、アウトサイダー万歳。

ダーク・シャドウ('12)
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ、エヴァ・グリーン



あの、実はここまで続いてるんですよ。プチフレディ祭り。強引ですけど、一応関係ありますよ。
ジョニー・デップは、オリジナル『エルム街の悪夢』のヒロインの彼氏(フレディに殺されるけど)。
使用人ウィリー役のジャッキー・アール・ヘイリーは、リメイク版『エルム街』の二代目フレディ。
本人役のアリス・クーパーは、『ファイナルナイトメア(エルム街6)』に登場したフレディの義理の親父にして、元祖Welcome to my nightmare。
このへん全部に詳しい人とは友達になれそうな気がする。気がするだけ。

18世紀半ば、嫉妬深い魔女に呪いをかけられて、愛する人を失い、ヴァンパイアに変貌し、生き埋めにされたバーナバス・コリンズ。
1972年、彼は偶然棺から甦ったが、200年の間に街は大きく変わり、名家だったコリンズ家は落ちぶれていた。バーナバスは一族の復興を掲げるものの、200年分のジェネレーション・ギャップを引きずりっぱなしのうえ、コリンズ家の内幕は不和だらけ。
そのうえ、現在この街を牛耳っているのは、バーナバスに呪いをかけた本人であり、今は企業の社長となっている魔女アンジェリークだった。

「家族思いのヴァンパイア」「家族のために戦う!」というファミリー路線が強調されていたような日本の宣伝。
しかし、蓋を開けてみれば、家族はただの舞台装置にすぎない。それどころか、「血がつながっていたって、自分を理解も受け入れもしてくれないなら、家族なんていえない」と突き放す冷たさすらある。
そんなベースなので、みんなお互い理解なり反省なりして幸せに暮らしましたとさ風のハッピーエンドは望めない。バーナバスの掲げる一族再興すら、自分とともに生きてくれる新たな家族を前に、どこかに霧散してしまったようだ。

また、家族全員が全員腹に一物あるような日本の宣伝だったが、こちらも蓋を開けてみれば、大した謎もない。ジョニー・デップも含め、役者の個人プレーを楽しむ程度に個性的なぐらいだ。
だとしても、クロエ・グレース・モレッツ扮する長女キャロリンの設定は、意外性よりも唐突さのほうが気になってしまったのだが。生意気なこと言ってもイラッとこないぐらい可愛いので、もったいない。

キャラクターの個性もそこそこなコリンズ家に比べ、家族もパートナーもいない魔女アンジェリークのほうが、監督の愛情が感じられる。
邪魔な相手を葬り、好きな人にも生き地獄を味わわせたかと思いきや、挑発的になったり突然熱烈に迫りだしたり……すべて「好き」に裏打ちされた行動とはいえ、感情の変化が大変激しい。ただ、大人の女性と幼稚さのバランスが、悪女というより駄々っ子のようで、タチが悪いと分かっていても愛着を沸かせる。そういう意味では、『アリス・イン・ワンダーランド』の赤の女王に近いものがある。

そんな彼女にも、最後には苦い仕打ちが用意されているのだが、悪い奴が痛い目みてスッキリするような清々しさはない。むしろ、『シザーハンズ』のエドワードに近い切なさが残る。
結局のところ、監督が描いたのは家族ではなく、どこにいようと誰と一緒だろうと「ひとりぼっち」感から逃れられないアウトサイダーだったようだ。
ついでに、この映画一番の脅威は魔女でも幽霊でもヴァンパイアでもなく、存在そのものに「魔」が溢れてるアリス・クーパーだったようだ。

ところで、本作を含め、ここ最近のバートン映画におけるヘレナ・ボナム・カーターのキャラの扱いはなかなかヒドい。実生活および映画のパートナーのわりにはヒドい。ジャッキー・アール・ヘイリーを通して、「クソババ」呼ばわりまでする始末。
バートン監督は、好きな子ほど愛情の裏返しでついイジメてしまう人なのか。それとも、「同棲してるし子どももいるけど、僕はそこらのいわゆる『家庭人』にはなりませんよーだ」というバートン流家族観の表れなのか。

2012年7月1日日曜日

フレディvsジェイソン

(何回)死んでもバカは治すなよ! 

フレディvsジェイソン('03)
監督:ロニー・ユー
出演:ロバート・イングランド、ケン・カージンガー



「あいつらバカ! バカもバカ! バカは死ななきゃ治らねぇってんだーっ!!」(『秘密結社 鷹の爪』レオナルド博士談)
博士のこの一言が正しいとしたら、死んでも死んでも復活する不死身の奴は、永久にバカが治らないことになる。
いや、別に治らんでもいい。おかげでこんな面白いことになるんだから。

エルム街の惨劇から10年。フレディの手が子供たちに及ばないようにと、大人たちは緘口令を敷いていた。おかげで、エルム街の子供たちはほとんどフレディのことを知らず、恐怖心を糧に力を得るフレディは思うような活動ができない。
そこで、フレディはクリスタルレイクに葬られた殺人鬼・ジェイソンの夢に侵入し、彼を操ってエルム街で殺人事件を起こさせる。突如として発生した残虐な事件に、人々は再び10年前の惨劇を思い起こし、フレディは徐々に力を取り戻していった。
しかし、ジェイソンはほどなくフレディの手を離れ、屋外パーティー会場で若者たちを次々と惨殺。ついには自分の獲物までジェイソンに仕留められたフレディは、ジェイソンの始末に乗り出す。
一方、フレディとジェイソンに脅かされる若者たちも、両殺人鬼を葬るべく画策を始めていた。

二大人気ホラーアイコンの対決という豪華B級(矛盾?)企画なので、ステージとなる脚本は、上記のプロットの通りまあまあ筋が通っている。80年代スラッシャーが元ネタにしては血しぶきや殺戮描写が甘いところがあるものの、「セックスする奴は死ぬ」「ドラッグやる奴も死ぬ」「無駄に女性陣の巨乳やヌードが多い」などスラッシャーのお約束ネタにはニヤリとできる。
フレディは忘れられると弱体化するといういきなりの新ルールやら、ほとんどゾンビも同然のジェイソンが夢を見るやら、エルム街とクリスタルレイクが近すぎるやら、整合性をざっくり無視した設定さえ、だいたいのB級好きには嬉しい大雑把さ。そもそも『エルム街の悪夢』も『13日の金曜日』も、続編ができるたびに新設定の追加や無茶な復活劇をやり遂げてきたシリーズだし。
なお、随所に挟むユーモアや音楽のセンス(ロック寄り)は、監督ロニー・ユーの才能です。

作品がB級ネタ企画なので、今回のフレディはエルム街シリーズ3~6のコミカル路線な性格。いちいち優れたブラックユーモアの才能を披露し、例によってロバートさんのアドリブで「怖いよぉ」「魚雷発射!」などの名言を誕生させた。
とはいえ、もともとはザ・変質者。ちょっとでも夢に出てこられたら嬉々として嫌がらせするし、気に入らない野郎(今回はジェイソン)はボッコボコにいじめ倒すし、何よりヒロインに対するセクハラはシリーズ最高(最悪)レベル。陰険で姑息で粘着質という悪質なかまってちゃんぶり(チャームポイントともいう?)で、前面に出ずっぱりでした。
ただ、お気に入りの子を後回しにしたり、時間かけていじめたりするから返り討ちに遭うってことは、相変わらずちっとも学習していないようで……。

急に叩き起こされるわ、アウェーに出張を命じられるわ、バカな若者にダサいと笑われるわ、仕事したらしたで駄犬呼ばわりされるわ、ボコられるわ、黒歴史を掘り返されるわ、同業者のみならず犠牲者候補の若者にまで利用されるわと、全編災難続きだったジェイソン。その腹いせ……ってわけではまったくないのだけれど、基本的にはナタ三昧(チェーンソーじゃないよ、念のため!!)。殺戮人数だけでいえば、圧倒的な勝ちである。
小首を傾げたり、少ししゅんとしたり、ママに弱かったりと、殺戮マシーンぶりとは相反するピュアな仕草やキャラからも人気を勝ち得たし。ファーストキス未遂まであったし。
ただ、猪突猛進がすぎるので、戦略練ってこられたらあっさりハマりがちということは、相変わらず学習してない……というか、あまりよく分かっていないようで……。

この2人をぶつけるとなると、切れたりもげたり刺さったり、案の定血みどろになるのだけれど、何せ死なない者同士なので「……ジャレ合いでしょ?」で落ち着いてしまいそうな安定感。殴り合いに至ってはもはやお笑いアクション。そしてお互い、見事な墓穴の掘りっぷり。
だからといって、「怖くないじゃん」なんて不満はナンセンスですよ。そもそもメインは恐怖よりも、不死身同士の泥仕合ならぬ血みどろ試合。何しろ本国では、ボクシングの試合よろしく、公開前にフレディ&ジェイソン対戦前記者会見なんて開いちゃったりしてるんだから(DVD特典映像参照)。
ここは美人・巨乳・強いと三拍子そろったヒロインの活躍も堪能しつつ、ベテラン殺人鬼2人の往生際の悪さを、暖かく……いやむしろ暑苦しく見守ってあげましょう。

2012年6月23日土曜日

エルム街の悪夢3 惨劇の館

夢の中ぐらいフリーダムでもいいじゃない。

エルム街の悪夢3 惨劇の館('87)
監督:チャック・ラッセル
出演:ロバート・イングランド、ヘザー・ランゲンカンプ



フレディ嫌いと思しきマイPC&周辺機器の皆様、あともう少しだけこのプチフレディ祭りにお付き合いください。「プチ」の証拠に、2作目をすっ飛ばして3作目をお勧めに挙げてます。さすがにシリーズが長いと、出来にも波がね。ダメそうなやつも嫌いとは言い切れないんだけどね。

本作は、ホラー映画の続編がやりそうなことを一気にぶちまけてくれている。続編がやりそうなことの詳細は、『エルム街の悪夢』オリジナル監督のウェス・クレイヴンが、のちに『スクリーム』シリーズで語ってくれている。

まず、犠牲者増加。今回は精神病院が舞台なので、悪夢に悩まされる子供たちがフレディと対峙。同じ脅威にさらされている者同士団結はできるものの、親や医者が理解してくれない孤立無援の状況は変わらず。

次に、殺害手口がより残虐に……と言いたいところだけど、フレディの場合残酷さよりもユーモア先行なので、「より面白く」と言ったほうが正しい。冷静に考えたら結構ムゴい手段ですが。

そしてファンには嬉しい、キャラクター再登場。1作目のヒロインだったナンシーが、悪夢を専攻とする医学研究生として、子供たちの味方に。そしてフレディに打ち勝つために、自分たちもまた夢の中で思いのままの特殊能力を活かすことを提案し、犠牲者側も少しパワーアップ。

こうして考えてみると、「夢の中なら最強」なフレディの能力は、「空想の中なら何でも自由」なオタクの夢発想をさらにバージョンアップしたもののような。それもまたフレディ人気の一因なんだろうか?

1作目でその恐怖を知らしめ、2作目でちょっとダレたり道を踏み外したりして、あとはお笑いも交えて自由にどうぞ! というのが、だいたいのホラーアイコンが歩む道。そこへいくと、初っ端からフレディのキャラクターが最大の魅力な『エルム街の悪夢』をシリーズ化するなら、フレディを放し飼いにせずして何とする!? ってなもので。
そんなわけで、フレディはブラックジョークもビビらせ方法も殺害方法も、ここへきて一気に冴えわたり始める。巨大蛇やらセクシーな看護師やらに変幻自在だし、たくさんの鏡の中で大増殖もできる。
殺害方法なんぞ、人形造りが趣味の子を操り人形にしてしまったり、テレビのてっぺんから登場したり、自分の両手を注射器に変えてしまったり、もはや右手の鉤爪を使うことが少ないぐらい。

ちなみに、テレビからの登場時に生まれた名ゼリフ「Welcome to prime time, bitch!」は、ロバート・イングランドのアドリブとのこと。やはり、フレディとの一体化は順調に進行していた模様です。

そうそう、1作目でジョニー・デップがあえなく血柱と化していたのはファンの間で有名な話ですが、3作目にものちのスターが。
本作のヒロイン、クリスティンは、『トゥルー・ロマンス』のアラバマ、または『ヒューマンネイチュア』の毛深い女ライラことパトリシア・アークエット。けばけばしくてバイオレントでありつつピュアだったり、驚愕の体毛とどうにもならない性欲をさらしたりするのちの姿が想像できないほど、影があって少し幼げな美少女で、まず間違いなくフレディ好み。そりゃ結構な頻度でイジメに来ますよね。

さらに、子供たちのケアをする(しきれてないけど)医師の1人は、モーフィアスことローレンス・フィッシュバーン。当然このころは仮想現実世界へ移動する能力もシステムもないので、夢の世界でフレディとご対面することはなかった。

それから、俳優じゃないけど、本作の脚本はフランク・ダラボン。のちに『ショーシャンクの空に』(監督・脚本)、『プライベート・ライアン』(脚本)、『グリーンマイル』(監督・脚本・制作)を生み出している。
映画界の定石だけど、ホラー映画は思わぬ才能発掘の場なのである。(才能に行き当たるまでに、数々のポンコツにも出会うのだけれど)

一応ホラーに分類されてはいるものの、本作以降は怖さがどうこうよりもフレディのやりたい放題がメインと化していく『エルム街』シリーズ。怖くないホラーなんて……という苦言も出てくるのは免れない。
しかし、フレディの優れたユーモアセンス、セルフプロデュース能力、演出力をさらに活用するという意味では大成功。特に本作は、残酷さとユーモアのバランスもちょうどいい。何より、楽しそうなロバート・イングランドを見ていると、ファンとしては殺人鬼なのにうっかり微笑ましくなってしまうのですよ。

2012年5月28日月曜日

エルム街の悪夢

世界一需要の高い悪夢。

エルム街の悪夢('84)
監督:ウェス・クレイヴン
出演:ロバート・イングランド、ヘザー・ランゲンカンプ

 


私事ながら、こいつについてどう語ろうかとああだこうだ考えていた矢先、先代PCが突如ブラックアウトしてしまいました。
そこからデータを救出したり、新規PCを探したり、iTunes移行やプロバイダ変更でいろいろトラブル生じたりしながら、1か月越しでようやく活動再開。
PC界隈の機器&ソフトウェア諸君、そんなにこいつがキライですか?

その名はフレッド・クルーガー。(『フレディ』という呼び名が定着するのは3作目から)
生前は幼児連続殺人犯、死後は高校生連続殺人犯。
焼けただれた皮膚、帽子に赤と緑のボーダーセーターという出で立ちで、右手には鉤爪。
犠牲者はじわじわ追い詰めるのが好き。恐怖心やトラウマをつっつくのも好き。
特にお気に入りの標的(=女の子限定。特にヒロイン)は、時間かけていじめるのが大好き。
羅列してみると、ことごとくゲスな変質者である。しかし、そんな奴が主役のシリーズものが7作も作られ、グッズもたくさん作られ、もう1人のホラーアイコンと対決という名のジャレ合いを繰り広げる番外編まで作られちゃうんだから、世界一愛されてる変質者かもしれない。

フレディの最大の強みは、出没ポイントが夢の中ということ。ひとたび眠りに落ちれば、そこから先はフレディの独壇場。生前のフレディと因縁深いボイラー室に誘い込むこともできるし、好きなところから出没できる。夢でケガを負わされれば現実でも傷が付き、夢で殺されれば現実でも死ぬ。
死なないためには眠ってはいけない。しかし、人間眠らないわけにはいかない。授業中や入浴中にウトウトした隙に、フレディの術中にはまってしまう。
さらに、「すでに死んだ男に夢の中で殺された」なんて状況は、大人たちには到底信じてもらえない。かくして、親友たちを次々と殺されていったヒロインのナンシーは、最後の手段としてフレディを夢から現実に引きずり出し、トラップにかけようとするが……。

一応スラッシャーものに部類されているとはいえ、近年のホラーに比べれば特殊効果はシンプルだし、グロ度は低いし、異常に空気が張りつめてるわけでもない本作。ただ、味方がほとんどいない中、相手のフィールドで孤立無援の戦いを強いられるという程よい緊張感、天井を転がる犠牲者やベッドから吹き出す血柱などCGがないなりの面白い演出もある。
どこからが始まりなのか分からない悪夢の不気味さも普遍的だ。特にクライマックスは、夢と現実の境が限りなくあいまいで、ある種現実的な不安感すら漂う。

とはいえ、エルム街シリーズにおいて、フレディのキャラクターほど普遍的なものはない。
前述の通り、フレディはどこをどう切っても最低な変質者だが、変質者にしてはブラックユーモアのセンスが優れている。後のシリーズに比べれば口数は少ないほうだが、口を開けばベロベロ舌か、うっかり感心してしまうほど悪趣味なセリフが出てくる。そのため、回を追うごとに残酷さよりもコミカルさ寄りのキャラになっていった。演じるロバート・イングランド自身のキャラクターが、だんだんフレディと同化していったのだろうか。
また、腕を異常に伸ばしてみせたり、神出鬼没だったり、死んだ親友の幻を見せつけたりと、恐怖心を突く演出上手でもある。特に、姿を見せずに鉤爪の引っ掻き音だけ響かせるビビらせ効果は、その後のシリーズに脈々と受け継がれた。
こうした特技がより活きるのは、やはり相手が女子の場合。しかも、バスタブの中から出没したり、受話器から口元をベロベロしたり、自ら飛びついて殺しにかかったり、ほとんどセクハラの域じゃないかいとツッコみたくなるほどの高いモチベーションを見せてくれます。
ちなみに、歴代男子勢の中でフレディが仕留めた一番の大物は、本作でナンシーのボーイフレンドを演じていたデビューしたてのジョニー・デップ……というのは映画好きの間で有名な話。

もちろん、こいつのそういう姑息でお喋りで陰険なとこが嫌いって方も多いだろうけど、好きな人にとってはそういう性格も含め、ブラックユーモアやセルフプロデュース能力、ややもするとグロテスクなあの見た目さえチャームポイント。(ロバートさん自身の魅力のおかげって面もありますが)
私のPC周辺機器やソフトには嫌われてるかもしれないけど、私は好きですよ。