2014年11月10日月曜日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

コミックと現実、「お前誰?」から始まるヒーロー誕生譚。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー('14)
監督:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ



MDを使い始めたのは高校に入ってからだったので、携帯音楽媒体はカセットウォークマン(1982年製造・SONYの黒)に頼りきりだった中学時代。お気に入りの曲を持ち歩きたいときはカセットにダビングして、とうとう一番のお気に入りを集約したテープが「Best of Best」と書かれたケースに収まったのだった。
あれから15年。まさか、あのときのマイ最強ミックステープを破棄したことを、この映画に猛烈に後悔させられることになろうとは……!!!!

幼いころに地球から宇宙へと誘拐され、今やトレジャーハンターとなったピーター・クイル(自称スター・ロード)。廃墟の星モラグから謎のオーブを回収したことを皮切りに、突如賞金首になり、騒動の末に刑務所行きになり、脱獄して銀河の果てまで向かう羽目に。しかも、実はオーブには銀河の命運を左右するほどのパワーが秘められていたがために、惑星の存亡をかけた戦いにまで発展してしまう。この危機にピーターは、暗殺者のガモーラ、賞金稼ぎのロケットとグルート、復讐鬼のドラックスを仲間とし、銀河を守る戦いに挑むことに……。

出自も性格もバラバラな寄せ集めチームが一致団結して悪と戦う……というヒーローストーリーを、王道を踏まえつつ「分かってらっしゃる!」とオタクを熱くさせることにはもはや定評のあるマーベル。
寄せ集めチームが一致団結というあたりでは『アベンジャーズ』と同じだが、アベンジャーズは我が強いとはいえもともと兵士だったり社長だったり神だったりスーパーエージェントだったりで、今思えばまだ安心感のある皆さん。
そこへいくとガーディアンズのメンバーは、それぞれ腕っぷしは強いものの、凶暴なアライグマ、ド天然な歩く大木、比喩の分からない石頭、そんな彼らを「銀河一のバカ」と切り捨てるお姉さんと、我の強い犯罪者集団で、唯一融通が利くのがピーターぐらい。
しかも初回のヴィランたるロナンとの力の差が開きすぎていて、どうにも安心できない。つまり、「こんな奴らでどうやって敵を倒してくれるんだろう?」と楽しみにさせてくれる。

さらに、ガーディアンズはマーベルの中でもマイナーなキャラクター揃い。冒頭で「スター・ロード」と名乗ったピーターならずとも、大多数には「……誰?」と返されること請け合い。
それをたった1作でアベンジャーズに並ぶキャラの立ったヒーローチームにしてしまう監督の手腕と、マーベルの英断と冒険心に脱帽である。

大多数の観客にしてみれば「お前誰?」なのは、監督のジェームズ・ガンも同じである。映画ファンですら、『悪魔の毒々モンスター』でおなじみのトロマ出身で、ナメクジエイリアン(スリザー)や中年なりきりヒーロー(スーパー!)をつくった人が、どうやってダメ人間揃いのヒーローチームが銀河を守る話を作り上げるのか想像もつかなかった。
しかし、思えばガン監督自身が作った『スーパー!』は、ヒーローと通り魔殺人は紙一重なことを浮き彫りにしつつ、狂人一歩手前のなりきりヒーローはいかにして真のヒーローになるかという道をも浮き彫りにする怪作。ヒーローというものに対して斜に構えているようで、ヒーローたるものの在り方を(思ってたより)マジメに考えている作品である。
そういう意味ではジェームズ・ガンは最も適任といえるし、そんな彼を監督に抜擢したマーベル(のケヴィン・ファイギ)もイイ判断してくれました。

そういえば、そもそもガン監督の師匠(ロイド・カウフマン。刑務所のシーンにカメオ出演してます)が生み出した『悪魔の毒々モンスター』も、ボンクラ主人公が有毒廃液に突っ込んで醜悪なモンスターと化したと思ったら、悪人たちを血祭りに上げ彼女もゲットするというヒーロー誕生譚でしたね。

ちなみに、たまに出てくる宇宙クリーチャーも、『スリザー』には及ばないがちょい気色悪さがあって、そこがまたトロマとジェームズ・ガン作品の匂いがするところ。ピーターの話に出てくる「タコみたいな触手と鋭い歯がある」アスカヴァリア人、ぜひナメクジエイリアンのデザイナーに制作してほしいものだ。

ここまで言っておきながら、実はキャラクターや監督以上にこの映画を特別にしているものは、サウンドトラックである。
ティーザートレーラーが発表されたとき、「ウガ・チャカ」こと "Hooked on a Feelin'"が使われていたあたりから意外なチョイスだったが、それだけにとどまらない60~70年代のロック/ポップス。
ピーターが地球から誘拐されたときに持っていたお母さんの形見のミックステープ収録曲ということなので、ただのBGMではなく本当にその場でソニーウォークマンやミラノ号のステレオから流れているのだ。こうした選曲センスや使い方といえばタランティーノの十八番だが、まさかマーベル映画で目にするとは。
しかも、銀河の果てに向かいながらデヴィッド・ボウイの"Moonage Daydream"、ポンコツチームがいざ強敵に向かって出撃というときにランナウェイズの"Cherry Bomb"など、映画のシーンと音楽の背景および歌詞とを見事なまでにシンクロさせている。

このシンクロが活きる最骨頂はエンディングの2曲なので、ぜひそこは自身の目で見ていただきたい。そこで何か込み上げてきたようなら仲間入りだ。サントラ買っちゃったらやっぱり仲間だ。マイベストのミックステープに対する思い入れまで復活してきて、マイ最強ミックスをカセットテープで編集しちゃったら結構アホだ(それが私だ)。でも、ここまで観てなおカセットテープを笑う奴は容赦しない。たぶん。

2014年9月8日月曜日

トータル・リコール(1990)

シュワルツェネッガーは火星の夢を見るか(見たからこうなった)。

トータル・リコール('90)
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン




夢に好きな俳優やアーティストが出てくることが結構あるのはラッキーだとは思う。
しかし、せっかくフレディ・クルーガーに会ったのにお互い挨拶スルーだったり、ゾッド将軍(マイケル・シャノン版)に説教されていながらろくに顔を見ていなかったり、リアム・ギャラガーの機嫌損ねるのが怖くて話しかけられなかったり、現実の小市民度がまるごと反映された展開ばかり。
どうせ夢だし設定は美味しいんだから、もっと無茶苦茶やれる展開にできないものかね自分。シュワルツェネッガーにボコられる役回りでも大歓迎だからさ。

ダグ・クエイドは地球で仕事と家庭を持ちながら、なぜか火星に魅せられ、毎晩見知らぬ女と火星にいる夢を見ていた。そんな折に、好きな記憶を脳に植え付けて旅行の擬似経験ができるというリコール社の広告を観たクエイドは、秘密諜報員として火星に行くという記憶を購入。しかし、記憶操作の処置の最中、クエイドに異変が生じる……。

今の自分は本当に自分か? 実は自分の人生は夢で、目を覚ました本来の自分は別人なのでは? という人間の記憶をテーマにしたSFを、ヴァーホーヴェン先生がお得意の悪趣味でくるめば、大作なのにカルト色が濃厚な一本に。ちなみにフィリップ・K・ディックの原作小説は未読。
ブラウン管TVが積まれた地下鉄、フェイスタイム(Skype?)通話もブラウン管、可愛くないどころか不気味で融通の利かない人形が運転するタクシー。『未来世紀ブラジル』を彷彿とさせるレトロフューチャー世界観が、ロブ・ボッディンがパペット主体で手掛けた特殊効果と相まって、地方のトリックアートミュージアムのような毒々しさを醸し出している。

おそらくその毒々しさがヴァーホーヴェン先生の趣味とぴったり噛み合ったのだろう。マッチョ系スーパーヒーロータイプのシュワルツェネッガーという、一見この世界には異質と思える主人公も、あっさりなじんでいる。
だいたいのことは腕力で解決できてしまうシュワの力は、本作の火星のトンネルに出没するどう見ても物量型のドリルマシンに似ているような気がするよ。

本作で何より話題になるのは、やりすぎなほどの死にざま(死にそうになるだけでも結構大変なことに)の数々だろう。冒頭にクエイドが見た火星の夢から、いきなり真空空間で顔面膨張&眼球が飛び出て死ぬ光景を目の当たりに。
いざ銃撃戦が始まれば、撃たれた相手は血と肉片を盛大にまき散らして死んでいくうえに、死体を盾にしたり踏みつけたりという節操のなさ。銃がなければ、首だの頭部だのに何かがぐっさり。こういうところを見ると、人間とは血と肉と臓物の詰まった袋なのだなと、ヴァーホーヴェン先生の思想につい染まってしまう。
ちなみに本作には、残虐描写をカットせずそのまま提出した(映画会社がどこまでOKするか反応を観るためだったらしい)完全版があったそうで、そちらもぜひ観てみたかったなぁ。

人が死ぬことはなくても、グロテスクな映像には事欠かない。クエイドが専用器具で鼻から大粒キャンディー大の発信機を引っ張り出すシーンなど、シュワの変顔(パペットだけど)からして妙に痛々しい。
火星に行ったら行ったで、放射能の影響でミュータントと化した住民たちの不気味な風貌が待ち構えている。特に鍵を握るレジスタンスのリーダー、クアトーのビジュアルは、今にすればレトロな技術と分かっていてもなかなかに不気味で衝撃的。ある意味それ以上にインパクト大なのが、歓楽街のおっぱい3つミュータント娼婦。
しかし、放射能による奇形って設定は今やったら確実にアウトだな。

本作のストーリーを覚えていない/知らない人ですら覚えているほど有名なのが、火星の入国審査で不審な動きをするおばちゃんの顔がパカパカと左右に割れ、中からシュワルツェネッガーが出てくるシーンだろう。一滴の血も流れないシーンだというのに、割れるおばちゃんの表情のグロさがすべてを持って行った。
しかしもちろん、割れる前のおばちゃんの顔……というかおばちゃん自身は生身の女優さん。あのビジュアルで、なおかつ口をアガアガさせる醜態をさらしてくれる女優さんをよくぞ見つけてきたものだ。

それにしても、本作の主要出演陣のなんとギラギラしていることか。
シュワはもともと筋肉バトルモードになれば汗でギラつきだす人だが、シュワとともに戦うヒロインのレイチェル・ティコティンすら容貌の濃さも相まってシュワ並みにギラギラ。ボスキャラたる火星長官のロニー・コックスも、あからさまにギラついてはいないものの、膨れ上がった権力欲と独占欲で内からギラギラがにじみ出ている。

それよりももっとギラギラしているのは、『面会時間』のストーカー殺人鬼同様ぶっ殺すと決めたらどこまでも執拗に追ってくるマイケル・アイアンサイド。ただし本作のアイアンサイドは上司たる火星長官に完全に頭が上がらないため、殺し屋といえどもスケールが矮小、だからこそ余計ゲスに見えるのがヴァーホーヴェン印。
そのアイアンサイドとギラギラカップルにして、ここからさらにのし上がる気満々のシャロン・ストーン。実際、この次のヴァーホーヴェン作品『氷の微笑』で大ブレイクするわけだが、出世作がギラギラを内包しつつ表向きはクールビューティーなのに対し、本作は表面からギラついている。

血しぶきとギラつきと欲とミュータントにまみれた星。火星ってホントにステキなところですね。

新橋文化劇場閉館に寄せて2

追憶の高架下61(何が61かは考えていない)。

良い話も、アレな話も、いろいろ思い入れがありすぎて1記事に収まらなかった新橋文化劇場の思い出の数々。

超能力少女と片脚マシンガールと生脚ガールズと。

実録殺人とリアル殺意(ハネムーン・キラーズ)

2,3列後ろのおっさんが轟音の屁をかますというテロ事件が発生。実話ベースの殺人事件の映画を観ながら現実にも殺意が芽生えるという前代未聞の事態に。


これはお化けか? JRか?(ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館)

薄暗い幽霊屋敷を歩くダニエル・ラドクリフ。時折背後に怪しい影も見える中、明らかに風のしわざではないガタガタという音が! これはポルターガイストが来たぞ! ……と思ったら、頭上を通過する電車の音だった。前述の屁テロ殺意事件といい、ある意味では4DX体験のできる映画館だったなぁ。

消耗品は木曜洋画劇場の香り(エクスペンダブルズ2)

新橋文化で観る『エクスペンダブルズ2』は、吹替でもないのになぜか今は亡き木曜洋画劇場の匂いがした。そしてこのとき、「チャック・ノリスの登場時にたまたま電車が通ったのではない。チャック・ノリスが自らの登場に合わせて電車を呼び寄せたのだ」という新たなチャック・ノリス・ファクトが……

新橋文化とセガールの相性の良さは異常。(沈黙の戦艦&暴走特急)

戦艦や列車をジャックしたはいいが、たまたまそこに最強のコックが居合わせてしまったばかりに悲惨な目に遭うテロリストグループの悲劇を描く、セガールのケイシー・ライバック無双もの。アクションの見せ場はありつつ「あー犯人かわいそー」と気楽に構えていられる両作は、実に新橋文化向きだった。

最強のオヤジと最強の拳二本立て。

新橋文化とエド・ウッドの相性の良さも異常。(プラン9・フロム・アウタースペース&怪物の花嫁)

史上最低の映画監督の作品を観ながらこんなにも充足感を得られたのは史上初です。エド映画のベラ・ルゴシにこんなにも「ありがとう」と言いたくなる感じも史上初です。

『怪物の花嫁』は、『ローズマリーの赤ちゃん』とともにクリスマスイヴに観たという……

グラインドハウス in グラインドハウス(グラインドハウスU.S.A.)

グラインドハウス好きがグラインドハウス風に偽予告編も込みで作ったグラインドハウス映画をジャパニーズグラインドハウスで上映。それだけで最高じゃないか。「The End」の爆笑も忘れられないよ。

「お前らサイコーだぜ! 楽しかったよ!」(カート・ラッセルの声で)

高架下で見つけた、人類の希望と絶望。(コンタクト&トゥモロー・ワールド)

科学と宗教という相容れなかった分野が思いがけず宇宙を通して交わる『コンタクト』。銃撃をピタリと止ませる赤ん坊の泣き声の神聖さと、それでも再び始まる銃撃戦の無慈悲さの『トゥモロー・ワールド』。いや、新橋文化さんのツイートに載ってた、小学生が描いたような「イモマンガ」につられて観に行った甲斐があった!

サヴィーニ先生すみません。(ゾンビ ダリオ・アルジェント監修版)

バイカー役で出演していたサヴィーニ先生が映った瞬間、私と同じ並びに座っていた男性2名とが同時に「ふふふふふ」と笑ってしまった。『プラネット・テラー』のときもサヴィーニ先生が映った途端クスクス笑いが起きてたし、そういう扱いなんだろうか……?

ポスター「肉をくれ! もっと若い肉を!」
世間一般「チョコをくれ! 義理でもいいからチョコを!」
そう、これを『プラン9』と二本立てで観た日は……

ううらみぃぃぃぃぃぶぅぅぅしぃぃぃぃぃぃ(キル・ビルVol.1)

初めて劇場で観たときには、唐突に日本語の歌だったからか違和感を覚えたエンディングの「恨み節」。新橋で観たら、なぜか違和感が初見時の5%にまで低下しました。

最後のひととき(デス・プルーフ in グラインドハウス&タクシードライバー)

いつも劇場を爆笑の渦に巻き込む「The End」のみならず、そのしばらく前のある時点から場内爆笑続きだった『デス・プルーフ』。退廃的なニューヨークの歓楽街と新橋高架下の空気とが思いがけず交わってしまった『タクシードライバー』。幸せにして切ない終幕のときだった。そして終演後、劇場の外で看板を撮影する観客たちをかき分けるように通っていったタクシー、運転してるのがトラヴィスじゃないかと思ってしまったよ。

実は新橋文化さんがラスト上映を決めあぐねていたころ、密かに「『デス・プルーフ』とかダメかなぁ」と思っていた人。まさか本当に上映してくれるなんて……本当に本当にありがとう新橋文化さん!!

2014年9月4日木曜日

新橋文化劇場閉館に寄せて

グラインドハウス体験をありがとう。

2014.8.31. 新橋文化劇場、閉館。



ある人にとっては懐かしいと映るだろう(私の母はこちら寄り)。うるさいし落ち着かないしあまり居心地よくない、という人もいるだろう。私の目には、この劇場はとても斬新に映った。

JRの高架下という、通常ならまず考えられない立地条件。

ロビーなんてものは存在しない。入ったら直でスクリーン。

たとえ上映から1時間近く経過していようと入ってもいい、終わりまであと1時間以上残っていようと出て行ってもいいという、入れ替えなしのフリーダムさ。

トイレは……と探してみれば、まさかのスクリーン両脇。上映中に誰かがトイレに立てば、必然的に映画の隣から蛍光灯の光がだだ漏れる(特にメンズ側)。

ひざ掛けの貸し出しはやっているのでこれ幸いと頼んでみれば、相手がメタルT着用であろうとゴス風であろうと、果てはあまりシャキッとしてなさげなおじさんであろうと、容赦なく手渡されるピンクのリラックマブランケット。

さらに容赦のないことに、たとえ緊迫のシーンであろうとキメのシーンであろうと、頭上を通過していくJRの車両の音。

おまけに客席も、居眠り率が高く、ビニール音とコンビニ飯臭は常習的に存在。ヒドければ前方から脂臭が漂ってきたり、イビキが聞こえたり、屁テロ事件さえ発生した。

そんな劇場なのに、あんなにも居心地が良かったのはなぜなんだろう。

↓スクリーンの左右に注目していただきたい。
お分かりいただけただろうか……?

映画オタクが常に映画を全身全霊で、敬意をもって観ているかといえば、決してそんなことはない。ものすごく地雷臭いんだけどあえてスクリーンで……と思って劇場で観賞したものの、途中から「自分が監督だったらああしてこうして……」と脳内編集を始めてしまうこともある。
一方、地上波放映の洋画劇場をダラダラながら観するつもりが、スナックをバクバクしながらつい最後までマジメに観てしまうこともある。マジメにならなくても何となく最後まで観てることもある。

新橋文化劇場はそういう体験ができる劇場だった。一般のシネコンやキレイな劇場とはちがった、どこかダラけた空気だからこそ引き出せる映画の魅力があの高架下にあった。そういう魅力を引き出せる上映作品チョイスも優れていた。
タランティーノ映画で初めて知った「グラインドハウス」とは、こんな感じに近いのではないだろうか。二本立て上映も入れ替えなし出入り自由もリアルタイムで経験したことのない人間なので、いわゆるグラインドハウスに関しては、タランティーノや町山智浩さんの話から想像することしかできない。
だから明言はできないけど、新橋文化はそうした話に聞くグラインドハウスに限りなく近い空気を体験できる劇場だったのかもしれない。あの居心地の良さには、映画オタクとしての憧れ空間に近づけた満足感も含まれていたのだろうな。

↓過去に上映してた作品。観たかったよ。
特に『悪魔のいけにえ2』、密かにリクエストしてただけに……

こうした映画のラインナップは、新文芸坐あたりが継承してくれると思う。というより、新文芸坐は新橋文化と並んで濃ゆい二本立てやオールナイト企画を実践してくれる名画座だ。今は亡きシアターN渋谷のスピリットだって、ヒューマントラストシネマ渋谷が受け継いでくれた。
ただ、高架下という環境と、決して汚くはないが適度に清潔すぎないあの空気は、おそらくもう再現できまい。自分にとってのグラインドハウスは、きっと失われたままだ。それに、あの見世物小屋のハイレベルな呼び込みさんのような、センスあるツイートの数々をもう見ることができないのも寂しい限り。基本、金持ち頼みなこと言うのは気に入らないんだけど、今回ばかりは言ってしまいたい。

あーあ、高架下のスペースを買い取って、映画館をつくって、ピカピカにしない程度に整備して、フィルム取り寄せて、新橋文化のTwitter担当さんを雇ってオープンしてくれるオタクな資産家が出てこないかなぁ!!!

ありがとう、新橋文化劇場。って言葉でも足りないぐらいありがとう、新橋文化劇場。
そして足を踏み入れるチャンスがなくてすみません、新橋ロマン劇場。


ホントにそうだよね、新橋文化劇場。

2014年8月14日木曜日

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世記

人間って本当にスバラシイ……ほどにダメダメ。

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世記('90)
監督:トム・サヴィーニ
出演:パトリシア・トールマン、トニー・トッド



「奴らが来るぞ、バーバラ……」
オリジナル『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でもおなじみ、妹を怖がらせてからかう兄ジョニーの名セリフが幕開け。と同時に、「このオリジナルの数十倍存在感がネバっこいジョニーは何者だ?」という引っかかりが、私の新たなB級ホラー街道への幕開けになった。
そう、これが私とビル・モーズリィとのファースト・コンタクトだったのだ。本作に会わなかったら、チョップトップ(『悪魔のいけにえ2』)との出会いも、コーンバグズとの出会いも、オーティス(『マーダー・ライド・ショー』『デビルズ・リジェクト』)との出会いもなかったってわけですよ。今回、退場早かったけど。

死者がよみがえって人間を襲いはじめ、なんとか逃げのびた男女が一軒家に籠城するも、仲間割れを起こして事態はますます悪化……というベースは変わらない。
ただ、時代が変わって特殊メイクの技術も向上し、さらにその道ではレジェンド級の師匠トム・サヴィーニ先生がメガホンを取っているためか、ゾンビのおどろおどろしさはもちろん倍増。形ばかり着せられたスーツ(実は葬儀用)がずるずる脱げてY字の解剖傷が見えるゾンビ、車に撥ねられ下半身が折れ曲がっていながらなお動こうとするゾンビなど、「生ける屍」の「屍」の度合いが強まった。

ホラー映画のリメイクに際して、「グロけりゃいいってもんでもないだろう」という苦言はよく出てくるが、このグロ演出にはアナログ感が満載だし、ゾンビはノロノロしてるし、何より、『ゾンビ』の特殊メイクを手掛けた当人であるサヴィーニ先生の息がかかっているので、そんなに苦言は多くなさそうだ。

最大の違いはヒロインのキャラクター。
オリジナルではほぼ放心状態で、ヒロインと呼べるか疑わしいほど何一つ役に立たなかったバーバラ。本作では、ゾンビの襲撃に遭った当初こそは放心状態だったが、いざ人が集って臨戦態勢になると、スカートからハンティング用のパンツに履き替え、ライフルを構えて一気に女戦士へと変身。
ゾンビを見ながら「なんてノロいの。歩いてでも追い越せるわ」と強気の発言が出るほど。しかも、この強気が口だけじゃなくて、戦力・適応力ともに生存者たちの中でも飛びぬけて優秀なのだった。

思えばオリジナル作から22年。その間『ハロウィン』のローリー、『エイリアン』のリプリー、『エルム街の悪夢』のナンシーと、ホラーヒロインが急激に強さを身に着けていった。オリジナルの続きに当たる『ゾンビ』でも、フランが妊娠中ながら生き残るために健闘を見せていた。
強いヒロインの台頭という時代性が、今回のバーバラにも如実に表れてきたようである。

時代が変わってバーバラが強くなったのに対し、主要な男性陣はオリジナルの時代とあまり変わっていない。それどころか、各キャラクターのエゴが強くなり、ヤな奴はよりヤな奴になっていてタチが悪い。特に、トム・トウルズ演じる新規ハリー・クーパーの自己中ガンコ親父ぶりは、あっぱれなほどイラッとくる。
一方、誠実な黒人青年ベンは、初登場時手に火かき棒を持っていたせいで一瞬キャンディマンに見えてしまったトニー・トッド。気品ある物腰で冷静なので、ハリーよりはるかに頼りがいがあるように見えるのだが、観るほどに実は事態を悪化させていたのは彼の方なのだということが分かってくる。自分だけ助かろうなんてエゴがなく、みんなを助けようとしていた姿勢がよく分かるゆえに、ますますもって皮肉である。

しまいには、最初から全員が協力していればもっと事態はマシだったかもしれないという、さらなる皮肉と空しさがオリジナルより明確に提示されている。これを見ると、人間に対するあきらめが加速しそうだし、「力を合わせて頑張ろう!」みたいなスローガンがつくづく信じられなくなるよ。

本作で、ヒロインのキャラクターに次ぐ大幅な改変は結末だ。「本当に怖いのはゾンビだけか?」というスタンスではあるし、救いようのなさも漂うものの、描き方はオリジナルとはまた異なる。
あの状況下・あの経験のあとでは、たとえ冷静さを保っていられても、善人や正義の味方ではいられないのだろう。

2014年8月13日水曜日

マイティ・ソー ダーク・ワールド

兄弟ともに伸び盛り。

マイティ・ソー ダーク・ワールド('14)
監督:アラン・テイラー
出演:クリス・ヘムズワース、ナタリー・ポートマン



久々に会った人に、外見じゃなく中身について「お前も変わったなぁ」「成長したなぁ」って言われる経験、考えてみたけどほとんど覚えがありません。むしろ「相変わらずだなぁ」「昔から変わらないなぁ」ばっかり言われている。しかも、相手が言う「昔」って、小学生か中学生時代のことだもんなぁ。

『アベンジャーズ』から1年。アスガルドに帰還したソーは、9つの世界の騒乱を収め、父オーディンから王位継承を望まれるまでに至った。しかし、かつて地球で出会い、いつか戻ると約束していた科学者ジェーンのことが忘れられずにいた。
そのころ、ジェーンはロンドンで重力異常の調査中、封印されていたダークエルフの武器「エーテル」に接触し、その力を体内に宿してしまう。エーテルの封印が解けると同時に、ダークエルフたちは長年の眠りから目覚め、ジェーンを追跡しはじめた。ジェーンの危機を知ったソーは、再び地球、および新たな戦いへと向かう。

前作『マイティ・ソー』ではニューメキシコの片田舎、『アベンジャーズではニューヨークが余波の被害に遭った神様兄弟ゲンカ。今回おもに迷惑を被るのはロンドンだが(ついでに、破壊の原因はロキじゃなくてマレキスだし)、星の並びで重力異常が起きているせいでバトルしながらユグドラシルの世界を飛び回る羽目になるので、コンパクトなようでいて舞台は広い。

そんなバトルの合間に、「ソーの周りで勝手に雨宿り」「コート掛けの新しい使い方」「はじめてのロンドンチューブ」など、観客をクスッとさせる小粒スパイスの笑いが挟まれている。
このあたりのお笑いを担っているのは、前作から密かに人気票を集めているダーシーやセルウィグ博士らジェーンの研究仲間たち。ダーシーは可愛さ、セルウィグはなぜか加速した変人ぶりとそれぞれキャラクターの魅力も活き、それでいてただのお笑い要因ではなくきちんと活躍している点も嬉しい。(浅野忠信の扱いは別として)
個人的には好みだけど、笑える人を選ぶようなセンスだと思ったら、アラン・テイラーってかつて『パルーカヴィル』を監督した人なんですね。道理で好きなはずだ。

(『パルーカヴィル』:ヴィンセント・ギャロやウィリアム・フォーサイスがはじめての現金輸送車強盗に挑むも、憎めないアホのおっさんたちゆえいろいろ困ったことになる話。小粒ながら独特なユーモアの良作)

体力勝負系で根は素直というキャラで通ってきたソーだが、彼女ができたせいかグレた弟を止めに走り続けてきたせいか、ここへきて急に大人になった。
つい3年前まで「王になるぞやったー! 戴冠式の邪魔もされたことだし氷の巨人なんかぶっ飛ばせ!!」なノリだったというのに、今やジェーンのことを思い王位継承を躊躇するように。アスガルドの危機かという状況下では、現役王オーディンよりも冷静で優れた判断力を発揮していた。

しかも、今までしてやられっぱなしだったロキ対処法についても、徐々に手口を学習しつつある。わずかながら、ソーがロキを出し抜くという逆転現象にまで持ち込めていた。
大人になったぶん豪快さが減ってきている点はちょっと残念であるが、天然ぶりはどうしてもまだ残っているようなので、これからも適度にボケつつ頑張っていただきたいところである。

急激に成長を遂げた兄に対し、前作と『アベンジャーズ』から一貫して真意がどこにあるのか分からないロキ。唯一真意が明確に映るところといえば、ソーが牢を訪れたときの荒れた室内か。
映画の活劇モードが強まる中、もっとも前作のシェイクスピア劇要素を担う人物という点でもブレない。『アベンジャーズ』で「あれほど悲惨な(そして笑える)目に遭ってなお反省してるのかしてないのかわからない」と記述したが、王子から一介の囚人になっても、ソーと共闘することになっても、まったく反省の色がないことが判明しました(ある一点を除いては)。

しかし、何だかんだでソーやジェーンを助けていることもありつつ、実はヴィランとしてステップアップしていることも判明してくる。本心が分からず動機がミニマルゆえ「ヴィランとしてもグレーゾーン」と以前表したが、そのベースはちゃんとキープしつつ、成長するところは成長している模様。ソーも成長したことだし、そりゃ負けちゃいられないよね。人気はもしかしたら勝ってるかもね。

兄貴はヒーローとして、弟はヴィランとして着実に歩み始めたアスガルド。
というわけで、今回一番頼りにならないダメ親父ぶりを露呈してしまったオーディン、貴方も今後いろいろ頑張れ!!

2014年8月8日金曜日

GODZILLA (2014)

怪獣王×タメ・キメ・ミエの掌握=無敵。

GODZILLA('14)
監督:ギャレス・エドワーズ
出演:アーロン・テイラー・ジョンソン、渡辺謙



「ハリウッド版ゴジラって昔映画化されてなかったっけ?」
「アレの続編やるの?」
「いや、アレ関係ないっすから! なかったことになってるから! 黒歴史だし。っていうかイグアナだし
まさか公開前にエメゴジ('98年のエメリッヒ版ゴジラの意)釈明にあたることになろうとは思わんかったさ。これが映画オタクと世間のズレの一環なのだろうか。

1999年、フィリピンの炭鉱崩落跡の調査に呼ばれた芹沢博士らは、巨大生物の化石とそれに寄生した巨大な卵のようなものを発見する。
同年、日本のジャンジラ市(ジャパン+ゴジラで命名?)で謎の振動と電磁波が発生し、原子力発電所が倒壊。原子炉の調査に当たっていたブロディ夫妻の妻サンドラが亡くなる。
2014年、ブロディ夫妻の息子フォードは、軍の任務を終えてサンフランシスコの家族のもとに戻るが、父ジョーが立ち入り禁止区域のジャンジラ原発跡地に侵入し逮捕されたとの連絡を受け、父の身柄を引き取りに急きょ日本へ向かう。ジョーは、原発事故の背後で隠ぺいされた「何か」を探ろうとしていた。

……といったストーリーを置いといて取り急ぎ言わせてほしい。
ゴジラがマジでゴジラだった!!!!

ギャレス監督はオリジナルのゴジラのファンだと聞いていて、きちんと愛情もってつくってくれるんだったら大丈夫だろうと思っていたら、いやはやそんな大丈夫とか安心といったレベルではありませんでした。全幅の信頼を置きたいレベルでした。下手すると、ゴジラ好きではあるけどものすごいファンってほどではないくらいの日本人観客(私とかな)が忘れかけていた事実を、ギャレス監督が蘇らせてくれたのではとも思う。

それは、ゴジラは生物すべての頂点に君臨する「神」であり、ヒーロー視するものでも倒して「やったーー!!」と思うものでもなく、畏怖の対象であるということである。そこに重きを置いたからこそ、実は大々的に映っているカットは少ないにも関わらず、地響きや咆哮1つですべてを持って行ってしまう存在だったのではないだろうか。
さらには、ゴジラにとって人類なぞ敵でもなく守る存在でもなく、まったく何とも思っちゃいないということである。チャイナタウンの戦いでフォードと一瞬目が合うも、意志の疎通を感じさせるわけでもなく瞬く間に煙の中へ消えてしまうゴジラ。あれこそ神との対面である。

しかし、神だ畏怖だという一方、皮膚のタプつき具合や動き方から漂う着ぐるみ感を見ると、何とも嬉しくなってしまうのもまた事実。『パシフィック・リム』のときもそうだったけど、たとえCG製でも着ぐるみっぽさのある怪獣はなぜか愛着が高まるのですよ。
これで日本はアンディ・サーキス(ゴジラのモーションキャプチャー担当。まさかゴジラの現場にこの人がいようとは……)にすっかり頭が上がらなくなってしまったかもしれない。あ、一方タプつきのないムートーも、あれはあれで特撮で動かせそうなデザインが良かったですよ。

ただでさえ最強で、監督が畏怖の念を念頭に置いて作り上げ、そのくせ愛着すら湧くゴジラなのに、今回のゴジラはさらに強力な武器を持ってきた。出現までの「タメ」、現れた瞬間の「ミエ」を切るかのようなショット、そしてここぞというときの「キメ」である。
キメの最たるものはもちろんあの咆哮。それ以上のことはぜひ一度その目で確認してほしい(願わくばスクリーンで)。この瞬間ばかりは畏怖とはまた別の高揚感がやってくる。
まさかここまで魅せ場を分かってらっしゃるゴジラとは思っていませんでしたよ。一緒に観に行った母がゴジラのタメ・キメ・ミエおよび去り際を「時代劇のサムライ」と形容してましたが、確かにそんな感じでしたよ。

ゴジラにとって取るに足らない存在だからなのか、ゴジラよりはるかに長く映っているにも関わらず、人間たちのドラマはゴジラの存在よりも薄め。離れ離れになってしまったフォード一家も、殲滅作戦に乗り出すアメリカ軍も、まるでゴジラとムートーの背景である。うっかりすると「いいよもう人間は! それよりゴジラだ! ムートーだ!」とさえ思えてくるほど。

極めつけは渡辺謙演じる芹沢博士。ゴジラやムートーの生態を研究しているはずなのに、研究者らしい活動をしているところはあまり見当たらず、怪獣について何らかの対処策を練っているわけでもなく、ただゴジラの強さを信じるのみ。
そしてゴジラをこの目で見たくて仕方ない。すでに多くの方がご指摘している通り、単なるゴジラ大好きおじさんである。ただ、追跡の最前線にいながら危険にさらされることもなくゴジラやムートーを見られるというのは、ある意味大変に理想的なポジション。つまり、ゴジラファンにとって夢の役割?

なお、少なからず核や戦争や人類の傲慢を背負うゴジラものに、アメリカ人にヒロシマのことを少しでも訴える瞬間があり、今この時代に日本の原発事故に言及するという点が、人間ドラマとは少々ズレるもののもっともドラマが活きた瞬間ではないだろうか。

デビュー作でモンスターをほとんど見せずしてモンスター映画を撮ったギャレス監督だけに、ゴジラを最低限の登場シーンで最高神にしてみせた手腕にはどこまでも賞賛を贈りたくて仕方ない。ただし、欲をいえばその最低限に削られた怪獣決戦をもっと観ていたかったところ。
となると気になるのが、早々と制作が決まった続編。どうやらキングギドラとモスラとラドンが登場して四つ巴の戦いになるらしい。さすがに4体も出現するとバトルシーンも増えるだろうし、今回のフラストレーションが解消されることになるかもしれない……!!!

2014年3月23日日曜日

アダム・チャップリン/テーター・シティ 爆・殺・都・市

なぜ破壊する? そこに人体があるから!!

アダム・チャップリン('13)
監督:エマニュエル・デ・サンティ
出演:エマニュエル・デ・サンティ、ヴァレリア・サンニノ


テーター・シティ 爆・殺・都・市('13)
監督:ジュリオ・デ・サンティ
出演:モニカ・ムニョス、リカルド・ヴァレンティーニ





Q:あなたがこの映画を通して、もっとも伝えたかったことは何ですか?

エマニュエル「ケンシロウになりたい!!!」
ジュリオ「人体破壊最高!!!」
エマニュエル「あーずるい、オレも人体破壊最高!!!」
ジュリオ「グチャドロも最高!!!」

このインタビューは200%架空ですが、あながちウソでもない気がします。

アダム・チャップリン


悪魔と契約し最強の肉体と殺人拳を手に入れた男、アダム・チャップリン。右肩になんか崩れた赤ん坊っぽい悪魔(仮)が憑いてるけど気にするな。愛する妻を無惨に焼き殺した街のボス、デニーを追い、アダムはすべてを血祭りに上げる……!!

……そんなストーリーはあって無いようなもので。
会話シーンはダラダラしているし、警官が下水路を進むシーンなど不要に長いところも多い。アダム追跡のためにデニーに強制的に雇われた通り魔マイクなんか、中ボス的立ち位置かと思いきや、活躍もなく退場させられていた。
だが!! そんなダラダラモヤモヤはアダムが血の海で流してしまえばいい!! 肉体と一緒にメタメタに破壊してしまえばいい!! アータタタタタタタタタタタタ…………!!!!!!!!!

……という雄叫びはさすがにないものの、超高速で繰り出される拳のラッシュは、どう見ても『北斗の拳』。雄叫びを脳内再生せずにはいられない。ただ、秘孔を突かれて死んだことにも気づかない本家北斗の拳に対し、犠牲者はほぼ肉片と化していようとギリギリ生きてたりする本作。「お前はもう死んでいる」じゃなくて「お前……まだ死んでないの……!?」である。

しかもこの北斗神拳(仮)、デニー一味ら敵に対してのみならず、そこらの警官やチンピラに対しても炸裂している。情報を聞き出すために相手を痛めつけるアウトローは珍しくないが、人体半壊~全壊まではセガールだってやらないだろう。
まぁ、映画本編を作るより早く合成血糊を開発するぐらいバイオレンスに気合いが入ってるので、倫理的にはアウトでもどんどんやってくれと応援せざるを得ない。

『北斗の拳』や日本の格闘ゲームを愛するあまり、ケンシロウになりたくなって肉体改造までしまったエマニュエル・デ・サンティ。監督・主演のみならず、脚本、音楽、撮影監督まで手がけているので、本作のエンドクレジットはエマニュエルの名前だらけ。黙っていればイケメンなのに、何とも残念な男だ。
つまり、ボンクラスピリット仲間として、勝手な友だち意識を持ちたくなる奴だ!! イケメン指数全敗だけど!!

テーター・シティ 爆・殺・都・市


テーター・シティは異常な都市だ。オーソリティーと呼ばれる組織が統治するこの街には、犯罪者の思考にのみ影響する特殊電波、ジード・システムが流れ、電波をキャッチした犯罪者は自らの身体を破壊する。そしてバイカーズと呼ばれる特殊警察が後始末にあたり、回収された死体は食肉に加工されハンバーガーとして提供されている。
しかし、電波が効かないどころか、叫び声で周囲の人間を凶暴なミュータントに変えてしまう殺人鬼・トレバーが出現し……。

……そんなストーリーはあって無いようなもので。
ときどき挟まれるオーソリティーのプロパガンダや人肉バーガーCMが話の流れを妨げている感も……と敢えての苦言を呈そうとしたら、そもそも「話の流れ」ってものが大してなかった。ジード・システムもバイカーズも、例の独自開発の合成血糊をふんだんに使って人体破壊ショーをやりたいがために考えた設定だな、とツッコまずにはいられない。実際、血がブシャブシャだの頭がボカーーンだのサービス過剰なまでのバイオレンスシーンがこまめに入った状態で突っ走る話なので、ダレた気はしない。
山が多すぎて、クライマックスまでのカタルシスに欠けるのが難点だが。

ミュータント殺人鬼のトレバー役は、エマニュエルの弟にして本作監督のジュリオ・デ・サンティ。正直、一応のヒロインであるバイカーズのレイザーは巨乳要員がメインのお仕事だし、他のバイカーズはほとんど顔を出さないので、見せ場の多くを持って行ってるのはこのトレバー君である。
自身のお顔をフォトショップ(エンドクレジットに名前出てたからたぶんそうなのかと……)加工して不気味なギョロ目になっているジュリオだが、素はエマニュエル兄貴に劣らぬイケメン。ちなみに『アダム・チャップリン』にも出演していて、兄貴にボコられて悲惨なことになってました。個人的には、似ていると思ったので「荒川良々系イケメン」としてプッシュしてるのですが……どうでしょうか?

そして、エンドクレジットのスペシャルサンクスに連なる、北野武、三池崇史、ジョン・カーペンター、ポール・ヴァーホーヴェン、そして「すべてのカプコンゲームスタッフ」の名前。こいつを見ちゃうと、なんだかんだでまた勝手な友だち意識が湧き上がってしまいますよ。


この2作を輩出している制作会社がネクロストーム。デ・サンティ兄弟の弟ジュリオ君が社長を務めている。
昔のVHS映画風の悪趣味・低俗・チープ愛に溢れたスプラッターがウリで、このあとも『ホテル・インフェルノ』、PCゲーム『デス・カーゴ』を発表。アニメーション『アリスのネクロランド』もリリースを控えているし、『アダム・チャップリン2』『テーター・シティ2』の制作も予定されている。
作品としては苦言を呈したいところもたくさんあるが、バイオレンスのやんちゃ度合とインスピレーション元への誠意を見れば、キライになれるわけがない(個人差あり)。
執拗に移されるグチャドロな死体すら、「一生けんめい作ったんだよ! 見て見て!」という小学生の図工メンタリティに溢れているようで、微笑ましさすら感じる(もっと個人差あり)。

ダメ出しすることもあるけれど、私はネクロストームが大好きです。これからも頑張れ、デ・サンティ兄弟!!!

2014年3月2日日曜日

ヘンゼル&グレーテル

魔女が来た! いつものようにぶん殴れ!!

ヘンゼル&グレーテル('13)
監督:トミー・ウィルコラ
出演:ジェレミー・レナー、ジェマ・アータートン




「いや、そりゃ確かにあいつバカだよ。
アイディア一発で突っ走って、細かいことあまり考えてない奴だよ。
でもって、相手が何であれしまいには肉弾戦になっちゃうような奴だよ。
だけどさ、そこが憎めなくて面白いんだって!!」
ダメ人間の友人を擁護してるような内容ですが、トミー・ウィルコラ監督の話です。

グリム童話で有名なあのヘンゼルとグレーテルは、成長して魔女ハンターになっていた!

というネタでひた走るアクション。幼少期にお菓子の家の魔女に沢山食べさせられたヘンゼルが糖尿病だったり、兄妹の出自に秘密があったりもするが、その設定は大して活かされてない。
じゃあ、何が見どころなのかというと、魔女vs兄妹の肉弾戦。一応、ヘンゼルとグレーテルは銃だのボウガンだのと飛び道具を持っているし、魔女だって当然魔法を使うが、そういった特殊バトルはあまり長続きせず、何をしても最後には掴み合い&殴り合い&ぶん投げ合いのフルボッコ合戦に至る。もはや、普通の人間と戦うのとあまり変わらない。

思えば、ウィルコラ監督の前作『処刑山 デッド・スノウ』でも、雪山に現れたナチスゾンビ(パッケージ表記は『ゾムビ』)は、一般的なゾンビの喰らいつき攻撃&物量作戦ではなく、ぶん殴ったり陣形組んで突撃したりとストレートな物理攻撃型。それはおかしいだろ! アホか! とツッコミいれつつ、もはや妙な清々しさまで覚えさせてくれるバカバカしさだった。
これはもう、ウィルコラ監督のカラーだと割り切って(あきらめて?)、このノリに心を委ねるのがベストな観賞方法かと。

ちなみに、グレーテルを演じるジェマ・アータートンは『007/慰めの報酬』で、大魔女ミュリエルを演じるファムケ・ヤンセンは『007/ゴールデンアイ』で、それぞれボンドガールを務めた関係。つまりヒロインと悪役とでボンドガール経験者対決と相成ったわけだが、やはりゼニア・オナトップの貫録勝ち感は否めませんね。

また、ホラーファンとしては、心優しきトロール・エドワードのモーション・キャプチャーが、リメイク版ジェイソンことデレク・ミアーズというのも嬉しいポイント。
ホラーのみならず、映画界で胡散臭い奴・怪しい奴・信用できない奴といえばこの男! なピーター・ストーメアも顔を出してます。

しかし、まさか一番ネタになったのが、未公開映像のジェレミー・レナーの「そして殺す」カットになろうとは。下手をすると、ジェレミーの名を一番広めたのは、『アベンジャーズ』のホークアイよりもこちらかもしれない。いや、それより何より、『アベンジャーズ』や『ハート・ロッカー』でジェレミーの知名度も上がっていただろうに、なぜに本作をDVDスルーにした……?

皆さん、この人↓の名前は「そして殺す」おじさんじゃありませんよ。
ジェレミー・レナーですよ。


そういえば、前述の『処刑山 デッド・スノウ』の続編『Dead Snow 2 : Red vs Dead』の予告編が公開されましたね。殴る! えぐる! ぶっ刺す! いつもより余計に臓物出しております!! と、お得意の肉弾戦満載でしたね。
しかも、猪突猛進&喧嘩上等なナチスゾムビさんたちにソビエトゾムビさんたちも加わった! ノルウェーじゃゾムビは墓場じゃなくても運動会するんですね。ハイレベルな血みどろバカ作品が期待できますね。だから求む!!  日本劇場公開!! 

未体験ゾーンの映画たち2014に寄せて

スクリーン上の出会いに意義がある。

未体験ゾーンの映画たち2014
ヒューマントラストシネマ渋谷 2014.01.18.~2014.03.07.


何はともあれ、まず、こうした作品の数々との出会いを作ってくれた、この企画に感謝します。ありがとうございます。

それにしても、映画を劇場公開するというのは、かくも難しいことか。ベネディクト・カンバーバッチ、マシュー・マコノヒーといった今人気の俳優や、ポール・ヴァーホーヴェン、ヴィンチェンゾ・ナタリといった通受けする監督の名前をもってしても、作品がDVDスルーの危機に追いやられるとは。

確かに、ここで上映されている映画は、小粒の良作かボンクラ系の、いわばミニシアター系である。うまくいけばロングランになるかもしれないが、『アメリ』や『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の成功が予測不能だったように、何が当たりになるか分からない。俳優や監督のネームバリューすら成功の当てにならないだろう。ましてや、これまでそうした作品を上映してきたミニシアターが、次々閉館しているご時世である。簡単に公開しますというのも、映画館にとって厳しいだろう。

そんなご時世だからこそ、なおさらこの企画はありがたい。
私個人の感覚だが、DVDでレンタル/購入した映画や、専門チャンネルから録画した映画は、どれほど気になっている一本であろうと、観賞を先伸ばしにしがちになる。下手をするとそのまましばらく存在を忘れている。良作だろうとボンクラだろうと、せっかくの作品が未体験のままに終わってしまう可能性があるのだ

劇場公開には期限がある。その分、終わる前に観に行く意欲が沸く。ついでに、上映作品がボンクラ系であるなら、同じスクリーンにいる観客の皆さんが、勝手ながら友だちに思えてくる。
作品の体験だけじゃなく、作品を上映する空間も体験させてくれる。そんなゾーンが今後も継続してくれること、増えてくれることを、心より祈っています。

ちなみに……

未体験ゾーンの映画たち2014極私的ベスト

1位 ポール・ヴァーホーヴェン トリック
悪人と言い切れない程度にヤな奴だらけの、まさかのヴァーホーヴェン流ホームコメディ。

2位 チェインド
殺人鬼と、殺人鬼に飼い育てられた少年との、あまりにも奇妙な疑似親子関係。ジェニファー・リンチは間違いなくお父さん(デヴィッド・リンチ)の変態性を受け継いでいる。ただしお父さんの『ツイン・ピークス』や『イレイサーヘッド』ほど浮世離れしてはいないから、地に足のついた変態ね。

3位 アタック・オブ・ザ・50フィート・チアリーダー
タイトルそのままど直球。でもコーマン先生は「セクシーなチアリーダーが巨大化」と聞いてお客が観たがるものを掌握してらっしゃるので、出オチには終わりません。

4位 MUD
5位 ザ・ドア 交差する世界
6位 ミスティック・アイズ
7位 テーター・シティ 爆・殺・都・市
8位 スキンウォーカー・プロジェクト
9位 ハウンター
10位 アダム・チャップリン

最後に、唯一未体験ゾーンを飛び出し、バウスシアター(残念ながら今年5月末に閉館……)で公開が決定した『MUD』に、おめでとうを言わせてください。上位3作を占めた私の好みはボンクラと変態ですが、最も普遍的に優れた作品はこれだと思います。

映画本編だけでなく、スタッフさんの作品レコメンドにも秀作の数々が見受けられました。
こちら↓は『最強ゾンビ・ハンター』のレコメンド。

こちら↓は『フィンランド式残酷ショッピング・ツアー』の。
「食人は文化だ」……

2014年1月20日月曜日

メイヘム@代官山UNIT

(代官)山の魔王の宮殿(ライヴハウス)にて。

MAYHEM Special 30th Anniversary Japan Tour
2014.01.16. 代官山UNIT

セットリスト:
1.  Silvester Unfang
2.  Pagan Fears
3.  Buried By Time And Dust
4.  Deathcrush
5.  Ancient Skin
6.  My Death
7.  A Time To Die
8.  Illuminate Eliminate
9.  Symbols Of Bloodsword
10.  Freezing Moon
11.  Carnage
12.  De Mysteriis Dom Sathanas
13.  Pure Fucking Armageddon


ファンならだいたい知ってる、「ユーロニモス殺害事件」だの「デッド自殺事件」だのメイヘムの過去の事件や、90年代初期のノルウェー・ブラックメタルにまつわるサタニズムや事件のあれこれ。
2010年に彼らが来日する際、「こういうバンドなんですよー」と相手をビビらせたい半分でその話をしてまわってたところ、「もう次に誰が死んでるか分からないんだから、観にいってきなよ!」と逆にヘンな形でレコメンドされました。
そんなアホ歴史を振り返ると、とりあえずノルウェーの方角に頭下げといたほうがいいのかな、自分。

2010年のクラブクアトロに比べると狭めの会場になり、そこそこ前方を陣取ったので、幸運にも結構な近距離でメイヘムを見られることとなった。
まずはゲストのDefiled。メイヘムとは親交があるらしい。自然と首の縦揺れが増してくる心地いいデスメタル(……矛盾?)だったが、みんな本番にそなえて動きをセーブしているので、フロアではそこまで激しいアクションは見受けられず。そんな中、真ん中で5人ぐらいがモッシュピットつくったりダイブ&キャッチをくりかえしているのが微笑ましかった。Twitterを読んだ限りでは、「気になっていたバンドなので生で聴けてよかった」「カッコよかった」等、好意的でしたよ。

きちっと定刻通りに始まったDefiledのステージ終了から、オーディエンスを待たせること47分。そういえば前回来日時も、ゲストのステージが終わってから相当待った覚えが。ともあれ、ロウソクに火ともす演出なんかも入りながら、もったいつけにつけまくってメイヘム登場!!

ちなみにこちら↓のロウソクは和ロウソクらしいぞ!


1stの中ではもっともスラッシュなノリの「Pagan Fears」のイントロが轟くやいなや、一斉に前方へ猛攻するオーディエンス。
突進した先には、白塗り血糊塗りメイクでイッちゃってるアッティラ(Vo.)大魔王の顔面が待ってるのだが、それすらファンには嬉しい限り。頭蓋骨模型を片時も手放さず、両手を怪しく動かす仕草は相変わらずだ。2010年の来日時に比べると、若干ふっくらしてて、テンポアップした際のノリノリ度が上がっているように見えた。
逆にネクロブッチャー(B)は、2010年に見たときに比べて少しマッチョになっていたような。だから一人だけ上半身裸になってたのだろうか……?

前回遠すぎてまったく姿が見えなかったヘルハマー(Ds.)は、ぐっと近くにきたからよく見えるかと思ったが、座る位置が低いうえ要塞のようなドラムセットに隠れがちで、結局あまり姿が見えなかった。ステージの間、ずっとアッティラとネクロブッチャーに気を取られすぎていたせいもあるのだが。それでも、伝説の豪速ブラストビートを腹に響く距離&音響で体感できた嬉しさが勝るというもの。
最後に前に出てきたときには、涼しい顔してドラムスティックをプレゼントしていたし、超人健在である。

「Deathcrush」のリフが鳴り響くと、オーディエンスの跳びはねる率が上昇。まだスラッシュメタル影響下の色濃い『Deathcrush』EP収録曲は、自然とオーディエンスが暴れる度合いが高まってくる。
このとき、小規模ながらもモッシュピットができたりクラウドサーフィンがあったことに、後に「ブラックメタルにモッシュやダイブなんて……」と苦言を呈するツイートが多々見受けられた。いわく、ブラックメタルはライヴでモッシュやダイブをするものではないとのこと。
実際モッシュを禁止するブラックメタルバンドもあり、メイヘムもごく初期に「No Mosh」を掲げていたことがあるが、現在メイヘムからモッシュ禁止令が出ているという話は聞いていない。
個々のファンの間で価値観の齟齬が発生するのは、問題とはいえ致し方ないのだろうか。(ちなみに私は、モッシュやダイブをする人ではないけど、モッシュやダイブの発生自体は構わない派です)

ただ、クラウドサーフィンしてステージに辿りついたファンが、アッティラに押されてみんなの頭上へ送り出され、それをネクロブッチャーが笑いながら見ていたことを思うと、本気の笑いであれ呆れ笑いであれ、バンドにしてみればモッシュもダイブもまだ「笑って済まされる話」なのではないかと。

疾走曲もイイが、「My Death」や「Illuminate Eliminate」の静かな狂気もやはり浸り心地がいい。特に、「My Death」終盤ギターソロの妖しさは絶品。1stの名曲「Freezing Moon」に至っては、ボルテージアップとリフの妖しさの相乗効果に加え、ボーカルの邪悪さも加わって、凍りつくと同時に燃え上がってました。
ラストのブラストが始まるポイントで、アッティラが「イチ、ニ、サン、シ!!」って煽ってきたのはちょっと意外な気もしたが、この日のノリの良さを思うと何となく納得。4年前の大阪公演でも、「オオキニ!!」って言ってたらしいし。

それにしても、アッティラのドスの効いた(?)デスボイスの迫力は相変わらず。その気になれば人間の1人や2人呪い殺せそうなぐらい。クリーンボイスで歌うパートも、良い具合に気色悪い。私が勝手に「大魔王」という肩書をつける所以です。
欲をいえば、終盤の唸り声があまりにも人外魔境な「Anti」がまた聞きたかった。せっかくアッティラが正式ボーカルとして迎えられて制作したアルバムだというのに、『Ordo Ad Chao』からの選曲が「Illuminate…」しかなかったのはなぜだろう。

「Carnage」で再び熱い空気を呼び起こしたのち、「De Mystriis Dom Sathanas」で再び冷ややかな空気を吹き込み、最後は鉄板の「Pure Fucking Armageddon」。この曲がくるとライヴも終わりなのだということは、近年のセットリストを見ていれば分かる。
それでもなお「メイヘム! メイヘム!」とコールは続き、オーディエンスはなかなかフロアをあとにしなかった。そりゃもっと見ていたかったさ。

結成から30年、バンド史に積み重なった痛ましい事件を経て、今もなおブラックメタルの重鎮であることを、すでによくよく知ってはいるけどさらに上書きする形で実感させてくれたメイヘム。そろそろ、ライヴだけじゃなくて、スタジオアルバムのほうでもカリスマ健在をガシガシアピールしていただきたいところなのですが……どうなんでしょうか、アッティラ大魔王?

大魔王の威厳と呪詛オーラは、手ブレに阻まれましたが……


 またここに戻ってきてくれよ。出来ればアルバム引っ下げて。