2014年12月26日金曜日

Dead Snow 2 : Red vs. Dead(処刑山2)

血沸きモツ踊る大運動会。

Dead Snow 2 : Red vs. Dead('14)
監督:トミー・ウィルコラ
出演:ヴェガール・ホール、オルヤン・ガムスト


  1. 走れる
  2. 陣形つくって歩行&ダッシュができる
  3. 軍人としての上下関係が健在
  4. アイコンタクトや首振りで意思疎通が可能
  5. 武器や軍装備などのツールを扱える
  6. 人肉にそんなにがっつかない
  7. ごく一部は喋れる(声を出して笑えるのは全員共通らしい)

処刑山 デッド・スノウ』から続く本シリーズのゾンビの特徴。基本的に「走るなゾンビ!」派の私ですが、ここまでロメロ的ゾンビルールから逸脱するともはや清々しいもんですよ。
でもこれ、見た目がゾンビなだけの最強軍人だよね?

前作のラストからの続き。片腕を切断しながらも唯一生き残った医学生マルティンは、ナチスゾンビのボス、ヘルツォーク大佐の追撃を車で振り切って何とか逃げのびた。しかし、搬送された病院で、振り切った拍子にもげて車内に転がっていた大佐の腕を間違って移植されてしまう。
その腕により、怪力および死者をゾンビとして甦らせるパワーを手に入れたマルティンは、アメリカからやってきたゾンビ・スクワッド(という名のオタクトリオ)と、復活させたソビエトゾンビ軍団を仲間とし、戦車隊を率いて下山・進撃するアインザッツ部隊の前に立ちはだかる。

舞台が雪山から街まで広がっただけあってスケール拡大。しかし決して助長にならず、「今回は怒涛の展開」と監督が豪語していただけあってストーリーがテンポよく進行。
つまり、進行の邪魔になりそうな奴は子どもであろうとサクサク死に、アインザッツ部隊は周辺の村人を老若男女関係なくザクザク殺して先に進み、一か八かの作戦は大変都合よく成功する。この際、道徳と論理は雪山に埋めてくるべきだろう。

トミー・ウィルコラ監督といえば、前作『処刑山』や『ヘンゼル&グレーテル』をご覧になれば分かるように、相手が魔女だろうとゾンビだろうと肉弾戦で決着つけるのが大好きなことで密かに有名(つまり一般的には無名)。その傾向は今回も健在どころか、今まで一番肉弾戦がアツいんじゃないだろうか。
何せクライマックスはナチスゾンビ対ソビエトゾンビの大乱闘。黒い血が飛び散り内臓が盛大にはみ出る殺し合いのはずだが、バトルフィールドがせいぜい街の広場規模なうえ、両者が十分に睨み合ってから「うぉぉぉぉぉぉ!!!!!」と突撃するので、完全に運動会のノリ。ちゃんと両チーム大将の一騎打ちもあるし。

だいたいナチスゾンビの皆さん、せっかく戦争博物館から第二次大戦期の武器を持ち出したのに、飛び道具といえば戦車ぐらいで、あとは軍用ナイフで刺殺か、ハンマーとかブラックジャック的なもので撲殺第一。実は装備にピストルもあったのにガン無視で刺すor殴る。本当にもうウィルコラ監督は好きだなぁ、直接的な物理攻撃が。

そうそう、もう1つウィルコラ監督が好きなものといえば、腸をふんだんに使った独特すぎるギャグ。前作でも断崖絶壁でゾンビの腸につかまってクリフハンガーやってたけど、今回はさらにいろいろ斬新な腸の使い方が拝めて、前作以上に勉強になります(個人差あり)。おすすめは「給油」です。

ホラーもシリーズものになると、メインを張る殺人鬼/クリーチャーがだんだん良くも悪くも個性的になっていくのが常。本シリーズのヘルツォーク大佐もまた然り。
前作は「よみがえれ!!」の一言のみだったセリフが、流暢に喋るわけではないものの格段に増量。部隊の上官であり司令塔というポジションながら、自ら最前線で人をぶん殴りに行くためアクションも増量。このあたりは前述した監督の好みが大いに影響しているからだろうが、おかげでクライマックスのキッチンファイトや戦車上ファイトなど楽しい場面が目白押しとなった。そしてまさかの冒頭から天然疑惑の浮上。部下はもっと天然だから、日ごろの活動には問題ないのかもしれないけど。

喋るホラーアイコンはチャームポイントがブラックユーモアというケースが多いのだが(『エルム街の悪夢』『チャイルド・プレイ』参照)、大佐はユーモアとは縁薄そうだからなぁ。ちなみに、大佐を演じるオルヤン・ガムストは本業がブラックメタルのボーカリストだそうで、これでもメタルヘッドの端くれたる自分には嬉しいところですよ。

大佐以外でも、前作に比べ格段に精悍になったマルティン、何一つ役に立ってない警察、大佐より流暢に喋るナチドクターゾンビ、ムダにコスチュームがカッコいい戦車隊ゾンビ、ソビエトゾンビの滅法強いリーダー・スタバリン中尉(リメイクジェイソンことデレク・ミアーズ!)、ポンコツかと思いきや意外と出来る人だったゾンビ・スクワッド、巻き込まれちゃったオネエ系のグレン君(実は前作の犠牲者ロイと同一役者。監督の友人にしてバンド仲間)、そしてマルティンたちの味方についた不憫な少年ゾンビと、実にイイキャラクターたちが顔をそろえています。

そういえば、前作は予告編&ソフト発売時に表記がゾンビではなく「ゾムビ」になっていたのだが、本作もゾムビ表記になるのか? 「ゾムビスクワッド」ってちょっと語感がふわっとしちゃうんだけど。

2014年12月24日水曜日

マイ最強ミックスVol.1

あなたの最強ミックスVol.1は?

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』において重要アイテムとなった、スターロード所有の「最強ミックスVol.1」。それに触発されてサントラを購入するのみならず、もしも自分だったら最強ミックスにどの曲をセレクトするか……と考えた人、居ますよね? むしろ居てほしいなぁ!!
自分ですか? もちろん作りましたとも!!! ちゃんとカセットテープで!!! そもそも自分、何でもベストをつくりたがったり他人にマイベスト聞かせて玉砕してるロブ・ゴードン気質の人ですし!!!(『ハイ・フィデリティ』参照)

↓コレな。


……と、いざ作ってみて改めて気づくのは、マイベストは作り手の過去(多くは中学~高校時代)を如実に反映するということ。自分の場合、'90年代後半~'00年代の映画の影響が思いっきりあらわれている。特に『ジャッキー・ブラウン』のサントラ収録曲の割合が一番多くなってしまった。
ちなみに、持っている曲すべての中からベストを作るのは至難の業なので、「昔、実際にカセットテープにダビングして聴いていた曲」に絞って選んだものである。

1.BOBBY WOMACK/Across 110th Street

いきなり『ジャッキー・ブラウン』のタイトルバックにしてサントラの1曲目に。そもそも『ジャッキー・ブラウン』は私にタランティーノを教えた映画であり、『フィフス・エレメント』→『MIB』→『フェイス/オ
フ』という流れで映画沼にハマるダメ押しの一本であり、初めて買った映画サントラでもあった。だからこのサントラに対する思い入れは一際大きいのですよ。

2.JAMIROQUAI/Canned Heat

中学時代の英語の授業でやったスピーチ。みんなが将来の夢や家族や友達について語る中、テーマにジャミロクワイを選んでしまった私は「しまったー……そういうマジメなやつか……」と思いつつ、今さら変更もできないしそのまま挑んだ。案の定クラスから一斉にキョトン顔が返ってきた(なお、微妙なスピーチテーマを選びクラスからキョトン顔をもらう癖は10年経っても治らなかった)。スベったと思いながら席に戻ると、後ろに座っていた女子Iさんが話しかけてきた。「ジャミロクワイ知ってるんだ?」彼女は中学校において希少な洋楽ロック友達となった。思わぬ怪我の功名だった。
そして後に、この曲が『ナポレオン・ダイナマイト』の名場面で使われたとき、感慨深さはいっそう強くなったのだった。

3.RAGE AGAINST THE MACHINE/Bombtrack

レイジを教えてくれたのは『マトリックス』のサントラだった。そして初めて聴いたレイジのアルバムから "Fuck you I won't do what you tell me" (Killing In The Name)という反逆メッセージを学習した。でもそこにたどり着くまえに、この1曲目にぶっ飛ばされたのだった。

4.BROTHERS JOHNSON/Strawberry Letter #23

再び『ジャッキー・ブラウン』のサントラより。サミュエル・L・ジャクソンがクリス・タッカーを言いくるめて車のトランクに入らせ、その後あっさり射殺するシーン。トランクに人を詰め込んで車走らせるときにはこの曲だな! とか思っていたけど、そんな状況ないしその前に免許取ってないし。

5.ALANIS MORISSETTE/Uninvited

『シティ・オブ・エンジェル』サントラより。ニコラス・ケイジが天使という映画設定もなかなかエキセントリックだが(でも死ぬ間際に見るのがニコさんでも大いに有りですよ私は)、優しいようで不穏なアラニスの曲もエキセントリックだった。のちに聴いた『Jagged Little Pill』はもっとトンでた。

6.LINKIN PARK/Pushing Me Away

先述した初めての洋楽ロック友達Iさんとは、互いにおすすめのアルバムを貸し借りしたことがある。N SYNCやWestlifeを聴かせてもらったけど、一番好みにハマったのはリンキンの『Hybrid Theory』だった。私からIさんには『Rage Against The Machine』を勧めが、もうご自宅にあったようで……自分出遅れたなぁ。ちなみに、2006年のサマーソニックで、この曲をピアノバージョンでチェスターが歌い上げたのも良い思い出。

7.THE ROLLING STONES/Time Is On My Side

人生で初めて聴いたストーンズが「Paint It Black」でも「(I Can't Get No)Satisfaction」でもなくコレになったのは、デンゼル・ワシントン主演の『悪魔を憐れむ歌』があったから。ストーンズへの取っ掛かりができたことには意義があるとは思うが映画自体は以下略。

8.BJORK/Hyperballad

ビョークに出会ったのは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だが、ビョークの歌声一発で問答無用で泣けるんだから(しかもサントラにはトム・ヨークの声までついてくる)、あの映画は私の中では一大反則映画である。その後改めて『POST』で映画の偏見なくビョークの歌声を聴いたが、問答無用で泣けた。以来、ビョークの称号は「歌姫」を遥かに通り越した「女神」である。

9.GOO GOO DOLLS/Iris

これも『シティ・オブ・エンジェル』サントラより。「世界には僕を見てほしくない/理解してるとは思えないから」という曲に惚れ込んだのに、数年前から世界規模に自己を発信しているからインターネットって恐ろしい。

10.THE DELFONICS/Didn't I (Blow Your Mind This Time)

再び『ジャッキー・ブラウン』のサントラから。ジャッキーと共犯関係にありわずかに恋心もあるマックスが、ジャッキーに勧められたテープを買ってずっとカーステレオで聴いているのがこの曲。大人になったらデルフォニックスのテープをかけながら車を走らせようと思っていたのだが、現在免許は以下略。

11.APOCALYPTICA/Hope Vol.2

初の出会いは『ヴィドック』のエンディング。アンプにつないでたせいか、背後で鳴ってるリフがチェロの音だとは最初気づかなかった。のちにメタリカのカヴァーもやってるチェロメタルバンドだと知り、CDやライヴDVDも買い集めたけど、いまだライヴで本物を観れていないのが残念で仕方ない。

12.MARILYN MANSON/Rock Is Dead

『マトリックス』で出会い、マトリックス本編以上の衝撃を与えられ、この最強ミックスの中で最も人生に多大な影響を与えた曲。初めてMVを観たときには「何じゃこいつはーーーー!!!!!????」とのけぞったというのに、まさかロック界において人生の師匠となろうとは。ちなみに、映画界の人生の師匠は『ロッキー・ホラー・ショー』のフランク。つまり、我が人生の師匠はいずれも網タイツとガーター着用の野郎なのである。

13.RANDY CRAWFORD/Street Life

『ジャッキー・ブラウン』サントラから4曲目。いざ一世一代の賭けに出るジャッキーが颯爽と歩くシーンで使われる。この曲でカッコよく歩ける大人になれたらいいなぁと思いつつ現実は以下略。

14.LYNYRD SKYNYRD/Sweet Home Alabama

『コン・エアー』の挿入曲にしてエンドクレジット曲。ニコラス・ケイジ目当てで借りた本作だが、ジョン・キューザック、ジョン・マルコヴィッチ、スティーヴ・ブシェーミ、ヴィング・レイムス、コルム・ミーニーそして忘れちゃいけないダニー・トレホと、のちの映画人生でお世話になるクセメン大全となったのだった。


ところで、『ガーディアンズ…』の各音楽が流れるシーンで、自分だったらどの曲を使ってみたいだろうか。例えば、ノーウェアに向かうときには「Time Is On My Side」(時間はオレの味方さ)なんて余裕で構えるのもいいなぁと思うし、決戦に向かうときにはやっぱりマンソンでモチベーション高めたいし、「オレとお前のダンスバトル」ではジャミロクワイで踊りたい。ガモーラに聴かせるなら……グー・グー・ドールズかデルフォニックスか迷う。看守に「それはオレの曲だ!!」って言いたいのは…………どうしよう。どれもオレの曲主張したい。

ここまで書いちゃうと、思い入れと自分史の入りまくった他の誰かのマイ最強ミックスVol.1を知りたくなるなぁ。

2014年12月15日月曜日

KNOTFEST JAPAN 2014

デビルズ・カーニバル、日本上陸。

KNOTFEST JAPAN 2014
2014.11.16 幕張メッセ

スリップノットの#6クラウンことショーン・クラハンの初出演作『The Devil's Carnival』('13、日本未公開)。今回のポップで毒々しいスリップノットのステージは、この映画を思い出させるものだった。もっと言えば、この入口からして悪魔のカーニバルを想起させるものだったなぁ。


↓オズフェスト来年開催ってマジっすか!?




会場到着からほどなくして、肩慣らしというには贅沢にしてヘヴィすぎるアモン・アマース。ヨハン(Vo.)の首にはミョルニル(=ムジョルニア)のシンボルが下げられ、水分補給にはペットボトルの代わりに角笛が使われ、北欧神話のバックドロップが背景を飾る。個人的に久しく遠ざかっていたヴァイキングメタルの世界に戻ってきたことを実感させるステージである。
さらに、フォークソングルーツのメロディと北欧神話ベースの詩から成る勇壮なメタルに、約10ヵ月ぶりのヘッドバンギングで全身を任せれば、ますますメタルの世界に帰ってきた感が増す。特に「Guardians Of Asgard」には幸せな気分になれた。それだけに、もっと聴いていたくもあったのだが。
かくして、アモン・アマースという海賊船で、上々の船出で自分のKNOTFESTは始まったのだった。

さて、KNOTFESTというからには、主催はスリップノット。その記念すべきフェス日本上陸を記念、さらに主催者の歴史を振り返るイベントとして、場内(メッセ2階)にスリップノット・ミュージアムが設営された。こちらも毒々しいカーニバルをモチーフにしたデザインながら、紅白テントに運動会とか地域のバザーとか福引会場を連想しちゃったのはここだけの話だ。


歴代ツナギ。洗濯物に非ず。↓



『アイオワ』期のセットリストだ!↓

 連れがいたらここに乗っかって写真撮ってもらいたかったよ。↓




ミュージアムと飯(牛肉フォー)のあとにイン・フレイムス。先のアモン・アマース同様スウェーデン出身だが、こちらは2000年代隆盛のヘヴィ・ロック/メタルコア系サウンドなので、実は当初北欧じゃなくてアメリカと思ってたことも。
比較的メロディック系の曲が多かったものの、やはり北欧メタルに多いヴァイキング/フォークメタルとも、メロパワとも一線を画す音だった。思い切りのタテノリではないものの、オーディエンスもフェス中盤にしてなかなか激しい盛り上がりだったように映った。

一時休憩をはさんでトリヴィアム。ここが本日一番正統メタル色の濃いステージだったんじゃなかろうか。オーディエンスのジャンプ率も上昇してきていた。硬質なギターサウンドからも、マット・キイチ・ヒーフィー(ルーツは山口県だったんですね)の誠実なMCからも、真っ直ぐさの感じられる実に気持ちのいいメタルだった。

オムライスをかき込んで、最後の水分補給をしてから、MAN WITH A MISSION途中観戦。オオカミたちのステージは、ダークカーニバルのヘヴィな見世物小屋といったところか。ちょっと他に比べてヨコノリ感の高い音ながら、オーディエンスがぴょんぴょん跳ねてノッてきているステージの光景は壮観。スリップノットのシドのDJ飛び入り参戦もありました。

それにしても、体力と水分の消費が半端じゃないメタルフェスにおいて、ライヴエリア内に水すら持ち込めない状況は本当にどうかと思いますよ。
来場者の体調管理に関わる問題だし、来年のオズフェストこそどうにかしてもらえませんかね?

ここから本気出しました。↓

自分にとってはいよいよここから本番。2011年のサマソニ以来のKORNである。
やっぱり新譜(実はまだ買ってなかった)の曲からスタートかなと思っていたら、何も知らなければ意味不明なガナリでしかないであろう「Twist」でジョナサンが登場。まさかのセレクトにオーディエンスの熱さもひとしおとなった。ボルテージの高さと、湯気がたちはじめるほどの温度と両方の意味で。そしてその熱気は「Right Now」のシャウトで一気に起爆剤となるのだった。

おどろおどろしく重苦しく、それでいて時に「Falling Away From Me」「Good God」のように哀しさも滲ませるトラウマサウンドは当たり前のごとく健在で、それどころか風格を増しているように感じられる。
そんなKORNの始まりにして頂点たる「Blind」でステージは締めくくられたのだが、ジョナサンとともにオーディエンスが発した "Are you ready?" の雄叫びは、「これからの新しいステップについて来れるか!?」「すべて受け止めるぞ! 準備はいいか!?」という互いの覚悟のぶつけ合いにも見えていたよ。

危うくKORNのステージで燃え尽きてしまうところだったが、真打ちはこれからである。去年のオズフェスト・ジャパン同様、直前までステージを覆っていた幕が落ちると、今まで観てきたどのスリップノットのセットよりも、最も毒々しく大仰な装飾が目に飛び込んできた。巨大な悪魔の顔、その下に広がる出入り口、出入り口に続く階段、そのすべてをきらびやか且つ禍々しく飾るネオン。「ダークカーニバル」と銘打たれたKNOTFESTの真骨頂たるステージである。
#2ポールを亡くし、#1ジョーイもバンドを去ってしまった中、前進を決めたスリップノット。「XIX」で響いた "So walk with me" のオーディエンス大合唱は、そんなバンドについていくと決めたファンの思いとシンクロするものが。そんな思いに浸っている暇もなく、「Sarcastrophe」以降は本フェス最大級の熱気爆発。ステージ両脇のクリスとショーンのドラムセットも、いつになく回転と上下運動が激しく、バンドの気合いの表れのようだった。

しかし、「The Devil In I」のおどろおどろしさや「Custer」の "Cut/cut/cut me up and fuck/fuck/fuck me up" のように新しいアンセムを手に入れたときをさておいて、バンドが新しいフェーズに突入したことを最も実感した瞬間は「Dead Memories」だった。オズフェストのときはポールの喪失を強く感じさせる曲だったのに、今回そのときに#6ショーンのドラムセットに#0シドがよじ登り、ドラムの上に寝そべったり2人でロリポップを交互に食べていたりと、ステージ端で思わぬお遊びが繰り広げられていた。
でも決して余韻をぶち壊すものではなく、バンドの状態が良好だと伝えられているようで、暴れながらも和める様相であった。

パーカッションが高く上がってるの、お分かりいただけるでしょうか。



「Spit It Out」のスワレ→トベ(今回は普通にJump Da Fuck Up!! って言ってましたが)などもはや勝手知ったるイベント状態で、コリィが何か言い出す前から一部エリアではオーディエンスがしゃがみ始める。アンコール後の「(sic)」「People=Shit」「Surfacing」は前回と同じ流れながら、もう皆暴発せずにはいられず、サークルピットも出現する勢い。
KORNにしてもスリップノットにしても、本来なら「ベテランの域に達した」と言ってもいいキャリアだし、実際風格が備わっている。しかし、両者ともそんな落ち着きのある表現では到底測れないほど、勢いが止まらない。このエネルギッシュさと、登場した瞬間空気がそれまでと変わる威厳とを表すとしたら、もう「神がかっている」としか言いようがない。

#8コリィはステージの最初から最後まで、オーディエンスに深々と頭を下げ続け、「アリガトウ」と言い続けていた。日本初のKNOTFEST成功の感謝/誠意のお辞儀ではあったが、我々こそコリィの誠意に、スリップノットに、そしてすべてのKNOTFEST出演バンドにどこまでも感謝しなければならない。ダークカーニバルの日本席巻、楽しみに待っておりますよ。


2014年11月12日水曜日

スキンウォーカー・プロジェクト

「どうも! 超常現象です!!」

スキンウォーカー・プロジェクト('13)
監督:デヴィン・マッギン
出演:ジョン・グライス、カイル・デイヴィス


しばらく前、久々にTVで恐怖映像特集を見たら、思いの外幽霊らしきものが堂々と映っていたため、かえって「合成臭くね?」と冷めてしまった。
その一方で、『パラノーマル・アクティビティ』を観たときには、ドアが動いたり照明が揺れたりした程度の怪奇現象初期段階に「さっさと衝撃映像出せや!! 夫婦の内輪揉めとかいいから!!」となぜか急かしていたことも。
つまり、怪奇現象モノはホンモノ触れ込みなら出し惜しみが、フィクションなら(POVやファウンド・フッテージだとしても)堂々たる露出がいいってことですね。あくまで自分の個人仕様としては……

2010年、ユタ州スキンウォーカーの農場で、子どもが両親の目の前で忽然と姿を消す事件が起きた。翌年に民間調査団体MDE社がリサーチに向かうと、そこでは謎の光、謎の超音波、家の外を徘徊する巨大生物、同じ時間にキッチンを走り抜ける子どもの姿など、あらゆる超常現象が起きていた。

定点カメラ、手持ちカメラが捉えた超常現象といえば前述『パラノーマル・アクティビティ』だが、あちらの怪奇現象がドアの揺らぎに始まり小出しにやってくるのに対し、こちらは初っぱなから出し惜しみなし。調査班がやってきた初日の夜から、「どうも!」の挨拶代わりにドギャァァァンと轟く超音波&コウモリの大量死。毎日のように何かが堂々と写りこむカメラ。実に豪快である。

異常な状況下に限られた人間がいるからには、調査班と農場主との対立や調査員同士の仲間割れなど揉め事も発生する。
しかし、ちょっとでも人間たちにドラマが傾きそうになると、すかさず消えた子どもの姿が! 納屋から周囲が明るくなるほどの発光が! 超常現象のクセして(?)「主役はこっちだーー!!!」と言わんばかりの自己主張の強さである。

ここまで隠れる気ゼロの怪異だと、『パラノーマル……』に衝撃映像を急かす身としては、いっそ清々しさまで感じる。「いやぁよくやってくれたよ! ありがとう!」ってバシンと肩を叩きたい気分である。超常現象の肩を叩けるのか、そもそも超常現象に肩はあるのかは置いといて。

このオレオレ怪異のおかげで話はさっさと進んで行くのだが、そこが賛否分かれるところだろう。謎はバラまくだけバラまかれて何も解決していないし、説明らしい説明もつかない。人間たちのキャラクターもドラマも薄いまま。もっといえば、超常現象もの/POVものとして取り立てて目新しいものでもない。邦題に「プロジェクト」とついているけど、計画も何もない。
もはやこれは、謎解きもドラマも隅に追いやり、現象そのものだけにスポットライトを当てた、超常現象=アイドル映画なのかもしれない……。

2014年11月10日月曜日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー

コミックと現実、「お前誰?」から始まるヒーロー誕生譚。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー('14)
監督:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ



MDを使い始めたのは高校に入ってからだったので、携帯音楽媒体はカセットウォークマン(1982年製造・SONYの黒)に頼りきりだった中学時代。お気に入りの曲を持ち歩きたいときはカセットにダビングして、とうとう一番のお気に入りを集約したテープが「Best of Best」と書かれたケースに収まったのだった。
あれから15年。まさか、あのときのマイ最強ミックステープを破棄したことを、この映画に猛烈に後悔させられることになろうとは……!!!!

幼いころに地球から宇宙へと誘拐され、今やトレジャーハンターとなったピーター・クイル(自称スター・ロード)。廃墟の星モラグから謎のオーブを回収したことを皮切りに、突如賞金首になり、騒動の末に刑務所行きになり、脱獄して銀河の果てまで向かう羽目に。しかも、実はオーブには銀河の命運を左右するほどのパワーが秘められていたがために、惑星の存亡をかけた戦いにまで発展してしまう。この危機にピーターは、暗殺者のガモーラ、賞金稼ぎのロケットとグルート、復讐鬼のドラックスを仲間とし、銀河を守る戦いに挑むことに……。

出自も性格もバラバラな寄せ集めチームが一致団結して悪と戦う……というヒーローストーリーを、王道を踏まえつつ「分かってらっしゃる!」とオタクを熱くさせることにはもはや定評のあるマーベル。
寄せ集めチームが一致団結というあたりでは『アベンジャーズ』と同じだが、アベンジャーズは我が強いとはいえもともと兵士だったり社長だったり神だったりスーパーエージェントだったりで、今思えばまだ安心感のある皆さん。
そこへいくとガーディアンズのメンバーは、それぞれ腕っぷしは強いものの、凶暴なアライグマ、ド天然な歩く大木、比喩の分からない石頭、そんな彼らを「銀河一のバカ」と切り捨てるお姉さんと、我の強い犯罪者集団で、唯一融通が利くのがピーターぐらい。
しかも初回のヴィランたるロナンとの力の差が開きすぎていて、どうにも安心できない。つまり、「こんな奴らでどうやって敵を倒してくれるんだろう?」と楽しみにさせてくれる。

さらに、ガーディアンズはマーベルの中でもマイナーなキャラクター揃い。冒頭で「スター・ロード」と名乗ったピーターならずとも、大多数には「……誰?」と返されること請け合い。
それをたった1作でアベンジャーズに並ぶキャラの立ったヒーローチームにしてしまう監督の手腕と、マーベルの英断と冒険心に脱帽である。

大多数の観客にしてみれば「お前誰?」なのは、監督のジェームズ・ガンも同じである。映画ファンですら、『悪魔の毒々モンスター』でおなじみのトロマ出身で、ナメクジエイリアン(スリザー)や中年なりきりヒーロー(スーパー!)をつくった人が、どうやってダメ人間揃いのヒーローチームが銀河を守る話を作り上げるのか想像もつかなかった。
しかし、思えばガン監督自身が作った『スーパー!』は、ヒーローと通り魔殺人は紙一重なことを浮き彫りにしつつ、狂人一歩手前のなりきりヒーローはいかにして真のヒーローになるかという道をも浮き彫りにする怪作。ヒーローというものに対して斜に構えているようで、ヒーローたるものの在り方を(思ってたより)マジメに考えている作品である。
そういう意味ではジェームズ・ガンは最も適任といえるし、そんな彼を監督に抜擢したマーベル(のケヴィン・ファイギ)もイイ判断してくれました。

そういえば、そもそもガン監督の師匠(ロイド・カウフマン。刑務所のシーンにカメオ出演してます)が生み出した『悪魔の毒々モンスター』も、ボンクラ主人公が有毒廃液に突っ込んで醜悪なモンスターと化したと思ったら、悪人たちを血祭りに上げ彼女もゲットするというヒーロー誕生譚でしたね。

ちなみに、たまに出てくる宇宙クリーチャーも、『スリザー』には及ばないがちょい気色悪さがあって、そこがまたトロマとジェームズ・ガン作品の匂いがするところ。ピーターの話に出てくる「タコみたいな触手と鋭い歯がある」アスカヴァリア人、ぜひナメクジエイリアンのデザイナーに制作してほしいものだ。

ここまで言っておきながら、実はキャラクターや監督以上にこの映画を特別にしているものは、サウンドトラックである。
ティーザートレーラーが発表されたとき、「ウガ・チャカ」こと "Hooked on a Feelin'"が使われていたあたりから意外なチョイスだったが、それだけにとどまらない60~70年代のロック/ポップス。
ピーターが地球から誘拐されたときに持っていたお母さんの形見のミックステープ収録曲ということなので、ただのBGMではなく本当にその場でソニーウォークマンやミラノ号のステレオから流れているのだ。こうした選曲センスや使い方といえばタランティーノの十八番だが、まさかマーベル映画で目にするとは。
しかも、銀河の果てに向かいながらデヴィッド・ボウイの"Moonage Daydream"、ポンコツチームがいざ強敵に向かって出撃というときにランナウェイズの"Cherry Bomb"など、映画のシーンと音楽の背景および歌詞とを見事なまでにシンクロさせている。

このシンクロが活きる最骨頂はエンディングの2曲なので、ぜひそこは自身の目で見ていただきたい。そこで何か込み上げてきたようなら仲間入りだ。サントラ買っちゃったらやっぱり仲間だ。マイベストのミックステープに対する思い入れまで復活してきて、マイ最強ミックスをカセットテープで編集しちゃったら結構アホだ(それが私だ)。でも、ここまで観てなおカセットテープを笑う奴は容赦しない。たぶん。

2014年9月8日月曜日

トータル・リコール(1990)

シュワルツェネッガーは火星の夢を見るか(見たからこうなった)。

トータル・リコール('90)
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン




夢に好きな俳優やアーティストが出てくることが結構あるのはラッキーだとは思う。
しかし、せっかくフレディ・クルーガーに会ったのにお互い挨拶スルーだったり、ゾッド将軍(マイケル・シャノン版)に説教されていながらろくに顔を見ていなかったり、リアム・ギャラガーの機嫌損ねるのが怖くて話しかけられなかったり、現実の小市民度がまるごと反映された展開ばかり。
どうせ夢だし設定は美味しいんだから、もっと無茶苦茶やれる展開にできないものかね自分。シュワルツェネッガーにボコられる役回りでも大歓迎だからさ。

ダグ・クエイドは地球で仕事と家庭を持ちながら、なぜか火星に魅せられ、毎晩見知らぬ女と火星にいる夢を見ていた。そんな折に、好きな記憶を脳に植え付けて旅行の擬似経験ができるというリコール社の広告を観たクエイドは、秘密諜報員として火星に行くという記憶を購入。しかし、記憶操作の処置の最中、クエイドに異変が生じる……。

今の自分は本当に自分か? 実は自分の人生は夢で、目を覚ました本来の自分は別人なのでは? という人間の記憶をテーマにしたSFを、ヴァーホーヴェン先生がお得意の悪趣味でくるめば、大作なのにカルト色が濃厚な一本に。ちなみにフィリップ・K・ディックの原作小説は未読。
ブラウン管TVが積まれた地下鉄、フェイスタイム(Skype?)通話もブラウン管、可愛くないどころか不気味で融通の利かない人形が運転するタクシー。『未来世紀ブラジル』を彷彿とさせるレトロフューチャー世界観が、ロブ・ボッディンがパペット主体で手掛けた特殊効果と相まって、地方のトリックアートミュージアムのような毒々しさを醸し出している。

おそらくその毒々しさがヴァーホーヴェン先生の趣味とぴったり噛み合ったのだろう。マッチョ系スーパーヒーロータイプのシュワルツェネッガーという、一見この世界には異質と思える主人公も、あっさりなじんでいる。
だいたいのことは腕力で解決できてしまうシュワの力は、本作の火星のトンネルに出没するどう見ても物量型のドリルマシンに似ているような気がするよ。

本作で何より話題になるのは、やりすぎなほどの死にざま(死にそうになるだけでも結構大変なことに)の数々だろう。冒頭にクエイドが見た火星の夢から、いきなり真空空間で顔面膨張&眼球が飛び出て死ぬ光景を目の当たりに。
いざ銃撃戦が始まれば、撃たれた相手は血と肉片を盛大にまき散らして死んでいくうえに、死体を盾にしたり踏みつけたりという節操のなさ。銃がなければ、首だの頭部だのに何かがぐっさり。こういうところを見ると、人間とは血と肉と臓物の詰まった袋なのだなと、ヴァーホーヴェン先生の思想につい染まってしまう。
ちなみに本作には、残虐描写をカットせずそのまま提出した(映画会社がどこまでOKするか反応を観るためだったらしい)完全版があったそうで、そちらもぜひ観てみたかったなぁ。

人が死ぬことはなくても、グロテスクな映像には事欠かない。クエイドが専用器具で鼻から大粒キャンディー大の発信機を引っ張り出すシーンなど、シュワの変顔(パペットだけど)からして妙に痛々しい。
火星に行ったら行ったで、放射能の影響でミュータントと化した住民たちの不気味な風貌が待ち構えている。特に鍵を握るレジスタンスのリーダー、クアトーのビジュアルは、今にすればレトロな技術と分かっていてもなかなかに不気味で衝撃的。ある意味それ以上にインパクト大なのが、歓楽街のおっぱい3つミュータント娼婦。
しかし、放射能による奇形って設定は今やったら確実にアウトだな。

本作のストーリーを覚えていない/知らない人ですら覚えているほど有名なのが、火星の入国審査で不審な動きをするおばちゃんの顔がパカパカと左右に割れ、中からシュワルツェネッガーが出てくるシーンだろう。一滴の血も流れないシーンだというのに、割れるおばちゃんの表情のグロさがすべてを持って行った。
しかしもちろん、割れる前のおばちゃんの顔……というかおばちゃん自身は生身の女優さん。あのビジュアルで、なおかつ口をアガアガさせる醜態をさらしてくれる女優さんをよくぞ見つけてきたものだ。

それにしても、本作の主要出演陣のなんとギラギラしていることか。
シュワはもともと筋肉バトルモードになれば汗でギラつきだす人だが、シュワとともに戦うヒロインのレイチェル・ティコティンすら容貌の濃さも相まってシュワ並みにギラギラ。ボスキャラたる火星長官のロニー・コックスも、あからさまにギラついてはいないものの、膨れ上がった権力欲と独占欲で内からギラギラがにじみ出ている。

それよりももっとギラギラしているのは、『面会時間』のストーカー殺人鬼同様ぶっ殺すと決めたらどこまでも執拗に追ってくるマイケル・アイアンサイド。ただし本作のアイアンサイドは上司たる火星長官に完全に頭が上がらないため、殺し屋といえどもスケールが矮小、だからこそ余計ゲスに見えるのがヴァーホーヴェン印。
そのアイアンサイドとギラギラカップルにして、ここからさらにのし上がる気満々のシャロン・ストーン。実際、この次のヴァーホーヴェン作品『氷の微笑』で大ブレイクするわけだが、出世作がギラギラを内包しつつ表向きはクールビューティーなのに対し、本作は表面からギラついている。

血しぶきとギラつきと欲とミュータントにまみれた星。火星ってホントにステキなところですね。

新橋文化劇場閉館に寄せて2

追憶の高架下61(何が61かは考えていない)。

良い話も、アレな話も、いろいろ思い入れがありすぎて1記事に収まらなかった新橋文化劇場の思い出の数々。

超能力少女と片脚マシンガールと生脚ガールズと。

実録殺人とリアル殺意(ハネムーン・キラーズ)

2,3列後ろのおっさんが轟音の屁をかますというテロ事件が発生。実話ベースの殺人事件の映画を観ながら現実にも殺意が芽生えるという前代未聞の事態に。


これはお化けか? JRか?(ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館)

薄暗い幽霊屋敷を歩くダニエル・ラドクリフ。時折背後に怪しい影も見える中、明らかに風のしわざではないガタガタという音が! これはポルターガイストが来たぞ! ……と思ったら、頭上を通過する電車の音だった。前述の屁テロ殺意事件といい、ある意味では4DX体験のできる映画館だったなぁ。

消耗品は木曜洋画劇場の香り(エクスペンダブルズ2)

新橋文化で観る『エクスペンダブルズ2』は、吹替でもないのになぜか今は亡き木曜洋画劇場の匂いがした。そしてこのとき、「チャック・ノリスの登場時にたまたま電車が通ったのではない。チャック・ノリスが自らの登場に合わせて電車を呼び寄せたのだ」という新たなチャック・ノリス・ファクトが……

新橋文化とセガールの相性の良さは異常。(沈黙の戦艦&暴走特急)

戦艦や列車をジャックしたはいいが、たまたまそこに最強のコックが居合わせてしまったばかりに悲惨な目に遭うテロリストグループの悲劇を描く、セガールのケイシー・ライバック無双もの。アクションの見せ場はありつつ「あー犯人かわいそー」と気楽に構えていられる両作は、実に新橋文化向きだった。

最強のオヤジと最強の拳二本立て。

新橋文化とエド・ウッドの相性の良さも異常。(プラン9・フロム・アウタースペース&怪物の花嫁)

史上最低の映画監督の作品を観ながらこんなにも充足感を得られたのは史上初です。エド映画のベラ・ルゴシにこんなにも「ありがとう」と言いたくなる感じも史上初です。

『怪物の花嫁』は、『ローズマリーの赤ちゃん』とともにクリスマスイヴに観たという……

グラインドハウス in グラインドハウス(グラインドハウスU.S.A.)

グラインドハウス好きがグラインドハウス風に偽予告編も込みで作ったグラインドハウス映画をジャパニーズグラインドハウスで上映。それだけで最高じゃないか。「The End」の爆笑も忘れられないよ。

「お前らサイコーだぜ! 楽しかったよ!」(カート・ラッセルの声で)

高架下で見つけた、人類の希望と絶望。(コンタクト&トゥモロー・ワールド)

科学と宗教という相容れなかった分野が思いがけず宇宙を通して交わる『コンタクト』。銃撃をピタリと止ませる赤ん坊の泣き声の神聖さと、それでも再び始まる銃撃戦の無慈悲さの『トゥモロー・ワールド』。いや、新橋文化さんのツイートに載ってた、小学生が描いたような「イモマンガ」につられて観に行った甲斐があった!

サヴィーニ先生すみません。(ゾンビ ダリオ・アルジェント監修版)

バイカー役で出演していたサヴィーニ先生が映った瞬間、私と同じ並びに座っていた男性2名とが同時に「ふふふふふ」と笑ってしまった。『プラネット・テラー』のときもサヴィーニ先生が映った途端クスクス笑いが起きてたし、そういう扱いなんだろうか……?

ポスター「肉をくれ! もっと若い肉を!」
世間一般「チョコをくれ! 義理でもいいからチョコを!」
そう、これを『プラン9』と二本立てで観た日は……

ううらみぃぃぃぃぃぶぅぅぅしぃぃぃぃぃぃ(キル・ビルVol.1)

初めて劇場で観たときには、唐突に日本語の歌だったからか違和感を覚えたエンディングの「恨み節」。新橋で観たら、なぜか違和感が初見時の5%にまで低下しました。

最後のひととき(デス・プルーフ in グラインドハウス&タクシードライバー)

いつも劇場を爆笑の渦に巻き込む「The End」のみならず、そのしばらく前のある時点から場内爆笑続きだった『デス・プルーフ』。退廃的なニューヨークの歓楽街と新橋高架下の空気とが思いがけず交わってしまった『タクシードライバー』。幸せにして切ない終幕のときだった。そして終演後、劇場の外で看板を撮影する観客たちをかき分けるように通っていったタクシー、運転してるのがトラヴィスじゃないかと思ってしまったよ。

実は新橋文化さんがラスト上映を決めあぐねていたころ、密かに「『デス・プルーフ』とかダメかなぁ」と思っていた人。まさか本当に上映してくれるなんて……本当に本当にありがとう新橋文化さん!!

2014年9月4日木曜日

新橋文化劇場閉館に寄せて

グラインドハウス体験をありがとう。

2014.8.31. 新橋文化劇場、閉館。



ある人にとっては懐かしいと映るだろう(私の母はこちら寄り)。うるさいし落ち着かないしあまり居心地よくない、という人もいるだろう。私の目には、この劇場はとても斬新に映った。

JRの高架下という、通常ならまず考えられない立地条件。

ロビーなんてものは存在しない。入ったら直でスクリーン。

たとえ上映から1時間近く経過していようと入ってもいい、終わりまであと1時間以上残っていようと出て行ってもいいという、入れ替えなしのフリーダムさ。

トイレは……と探してみれば、まさかのスクリーン両脇。上映中に誰かがトイレに立てば、必然的に映画の隣から蛍光灯の光がだだ漏れる(特にメンズ側)。

ひざ掛けの貸し出しはやっているのでこれ幸いと頼んでみれば、相手がメタルT着用であろうとゴス風であろうと、果てはあまりシャキッとしてなさげなおじさんであろうと、容赦なく手渡されるピンクのリラックマブランケット。

さらに容赦のないことに、たとえ緊迫のシーンであろうとキメのシーンであろうと、頭上を通過していくJRの車両の音。

おまけに客席も、居眠り率が高く、ビニール音とコンビニ飯臭は常習的に存在。ヒドければ前方から脂臭が漂ってきたり、イビキが聞こえたり、屁テロ事件さえ発生した。

そんな劇場なのに、あんなにも居心地が良かったのはなぜなんだろう。

↓スクリーンの左右に注目していただきたい。
お分かりいただけただろうか……?

映画オタクが常に映画を全身全霊で、敬意をもって観ているかといえば、決してそんなことはない。ものすごく地雷臭いんだけどあえてスクリーンで……と思って劇場で観賞したものの、途中から「自分が監督だったらああしてこうして……」と脳内編集を始めてしまうこともある。
一方、地上波放映の洋画劇場をダラダラながら観するつもりが、スナックをバクバクしながらつい最後までマジメに観てしまうこともある。マジメにならなくても何となく最後まで観てることもある。

新橋文化劇場はそういう体験ができる劇場だった。一般のシネコンやキレイな劇場とはちがった、どこかダラけた空気だからこそ引き出せる映画の魅力があの高架下にあった。そういう魅力を引き出せる上映作品チョイスも優れていた。
タランティーノ映画で初めて知った「グラインドハウス」とは、こんな感じに近いのではないだろうか。二本立て上映も入れ替えなし出入り自由もリアルタイムで経験したことのない人間なので、いわゆるグラインドハウスに関しては、タランティーノや町山智浩さんの話から想像することしかできない。
だから明言はできないけど、新橋文化はそうした話に聞くグラインドハウスに限りなく近い空気を体験できる劇場だったのかもしれない。あの居心地の良さには、映画オタクとしての憧れ空間に近づけた満足感も含まれていたのだろうな。

↓過去に上映してた作品。観たかったよ。
特に『悪魔のいけにえ2』、密かにリクエストしてただけに……

こうした映画のラインナップは、新文芸坐あたりが継承してくれると思う。というより、新文芸坐は新橋文化と並んで濃ゆい二本立てやオールナイト企画を実践してくれる名画座だ。今は亡きシアターN渋谷のスピリットだって、ヒューマントラストシネマ渋谷が受け継いでくれた。
ただ、高架下という環境と、決して汚くはないが適度に清潔すぎないあの空気は、おそらくもう再現できまい。自分にとってのグラインドハウスは、きっと失われたままだ。それに、あの見世物小屋のハイレベルな呼び込みさんのような、センスあるツイートの数々をもう見ることができないのも寂しい限り。基本、金持ち頼みなこと言うのは気に入らないんだけど、今回ばかりは言ってしまいたい。

あーあ、高架下のスペースを買い取って、映画館をつくって、ピカピカにしない程度に整備して、フィルム取り寄せて、新橋文化のTwitter担当さんを雇ってオープンしてくれるオタクな資産家が出てこないかなぁ!!!

ありがとう、新橋文化劇場。って言葉でも足りないぐらいありがとう、新橋文化劇場。
そして足を踏み入れるチャンスがなくてすみません、新橋ロマン劇場。


ホントにそうだよね、新橋文化劇場。

2014年8月14日木曜日

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世記

人間って本当にスバラシイ……ほどにダメダメ。

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世記('90)
監督:トム・サヴィーニ
出演:パトリシア・トールマン、トニー・トッド



「奴らが来るぞ、バーバラ……」
オリジナル『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でもおなじみ、妹を怖がらせてからかう兄ジョニーの名セリフが幕開け。と同時に、「このオリジナルの数十倍存在感がネバっこいジョニーは何者だ?」という引っかかりが、私の新たなB級ホラー街道への幕開けになった。
そう、これが私とビル・モーズリィとのファースト・コンタクトだったのだ。本作に会わなかったら、チョップトップ(『悪魔のいけにえ2』)との出会いも、コーンバグズとの出会いも、オーティス(『マーダー・ライド・ショー』『デビルズ・リジェクト』)との出会いもなかったってわけですよ。今回、退場早かったけど。

死者がよみがえって人間を襲いはじめ、なんとか逃げのびた男女が一軒家に籠城するも、仲間割れを起こして事態はますます悪化……というベースは変わらない。
ただ、時代が変わって特殊メイクの技術も向上し、さらにその道ではレジェンド級の師匠トム・サヴィーニ先生がメガホンを取っているためか、ゾンビのおどろおどろしさはもちろん倍増。形ばかり着せられたスーツ(実は葬儀用)がずるずる脱げてY字の解剖傷が見えるゾンビ、車に撥ねられ下半身が折れ曲がっていながらなお動こうとするゾンビなど、「生ける屍」の「屍」の度合いが強まった。

ホラー映画のリメイクに際して、「グロけりゃいいってもんでもないだろう」という苦言はよく出てくるが、このグロ演出にはアナログ感が満載だし、ゾンビはノロノロしてるし、何より、『ゾンビ』の特殊メイクを手掛けた当人であるサヴィーニ先生の息がかかっているので、そんなに苦言は多くなさそうだ。

最大の違いはヒロインのキャラクター。
オリジナルではほぼ放心状態で、ヒロインと呼べるか疑わしいほど何一つ役に立たなかったバーバラ。本作では、ゾンビの襲撃に遭った当初こそは放心状態だったが、いざ人が集って臨戦態勢になると、スカートからハンティング用のパンツに履き替え、ライフルを構えて一気に女戦士へと変身。
ゾンビを見ながら「なんてノロいの。歩いてでも追い越せるわ」と強気の発言が出るほど。しかも、この強気が口だけじゃなくて、戦力・適応力ともに生存者たちの中でも飛びぬけて優秀なのだった。

思えばオリジナル作から22年。その間『ハロウィン』のローリー、『エイリアン』のリプリー、『エルム街の悪夢』のナンシーと、ホラーヒロインが急激に強さを身に着けていった。オリジナルの続きに当たる『ゾンビ』でも、フランが妊娠中ながら生き残るために健闘を見せていた。
強いヒロインの台頭という時代性が、今回のバーバラにも如実に表れてきたようである。

時代が変わってバーバラが強くなったのに対し、主要な男性陣はオリジナルの時代とあまり変わっていない。それどころか、各キャラクターのエゴが強くなり、ヤな奴はよりヤな奴になっていてタチが悪い。特に、トム・トウルズ演じる新規ハリー・クーパーの自己中ガンコ親父ぶりは、あっぱれなほどイラッとくる。
一方、誠実な黒人青年ベンは、初登場時手に火かき棒を持っていたせいで一瞬キャンディマンに見えてしまったトニー・トッド。気品ある物腰で冷静なので、ハリーよりはるかに頼りがいがあるように見えるのだが、観るほどに実は事態を悪化させていたのは彼の方なのだということが分かってくる。自分だけ助かろうなんてエゴがなく、みんなを助けようとしていた姿勢がよく分かるゆえに、ますますもって皮肉である。

しまいには、最初から全員が協力していればもっと事態はマシだったかもしれないという、さらなる皮肉と空しさがオリジナルより明確に提示されている。これを見ると、人間に対するあきらめが加速しそうだし、「力を合わせて頑張ろう!」みたいなスローガンがつくづく信じられなくなるよ。

本作で、ヒロインのキャラクターに次ぐ大幅な改変は結末だ。「本当に怖いのはゾンビだけか?」というスタンスではあるし、救いようのなさも漂うものの、描き方はオリジナルとはまた異なる。
あの状況下・あの経験のあとでは、たとえ冷静さを保っていられても、善人や正義の味方ではいられないのだろう。

2014年8月13日水曜日

マイティ・ソー ダーク・ワールド

兄弟ともに伸び盛り。

マイティ・ソー ダーク・ワールド('14)
監督:アラン・テイラー
出演:クリス・ヘムズワース、ナタリー・ポートマン



久々に会った人に、外見じゃなく中身について「お前も変わったなぁ」「成長したなぁ」って言われる経験、考えてみたけどほとんど覚えがありません。むしろ「相変わらずだなぁ」「昔から変わらないなぁ」ばっかり言われている。しかも、相手が言う「昔」って、小学生か中学生時代のことだもんなぁ。

『アベンジャーズ』から1年。アスガルドに帰還したソーは、9つの世界の騒乱を収め、父オーディンから王位継承を望まれるまでに至った。しかし、かつて地球で出会い、いつか戻ると約束していた科学者ジェーンのことが忘れられずにいた。
そのころ、ジェーンはロンドンで重力異常の調査中、封印されていたダークエルフの武器「エーテル」に接触し、その力を体内に宿してしまう。エーテルの封印が解けると同時に、ダークエルフたちは長年の眠りから目覚め、ジェーンを追跡しはじめた。ジェーンの危機を知ったソーは、再び地球、および新たな戦いへと向かう。

前作『マイティ・ソー』ではニューメキシコの片田舎、『アベンジャーズではニューヨークが余波の被害に遭った神様兄弟ゲンカ。今回おもに迷惑を被るのはロンドンだが(ついでに、破壊の原因はロキじゃなくてマレキスだし)、星の並びで重力異常が起きているせいでバトルしながらユグドラシルの世界を飛び回る羽目になるので、コンパクトなようでいて舞台は広い。

そんなバトルの合間に、「ソーの周りで勝手に雨宿り」「コート掛けの新しい使い方」「はじめてのロンドンチューブ」など、観客をクスッとさせる小粒スパイスの笑いが挟まれている。
このあたりのお笑いを担っているのは、前作から密かに人気票を集めているダーシーやセルウィグ博士らジェーンの研究仲間たち。ダーシーは可愛さ、セルウィグはなぜか加速した変人ぶりとそれぞれキャラクターの魅力も活き、それでいてただのお笑い要因ではなくきちんと活躍している点も嬉しい。(浅野忠信の扱いは別として)
個人的には好みだけど、笑える人を選ぶようなセンスだと思ったら、アラン・テイラーってかつて『パルーカヴィル』を監督した人なんですね。道理で好きなはずだ。

(『パルーカヴィル』:ヴィンセント・ギャロやウィリアム・フォーサイスがはじめての現金輸送車強盗に挑むも、憎めないアホのおっさんたちゆえいろいろ困ったことになる話。小粒ながら独特なユーモアの良作)

体力勝負系で根は素直というキャラで通ってきたソーだが、彼女ができたせいかグレた弟を止めに走り続けてきたせいか、ここへきて急に大人になった。
つい3年前まで「王になるぞやったー! 戴冠式の邪魔もされたことだし氷の巨人なんかぶっ飛ばせ!!」なノリだったというのに、今やジェーンのことを思い王位継承を躊躇するように。アスガルドの危機かという状況下では、現役王オーディンよりも冷静で優れた判断力を発揮していた。

しかも、今までしてやられっぱなしだったロキ対処法についても、徐々に手口を学習しつつある。わずかながら、ソーがロキを出し抜くという逆転現象にまで持ち込めていた。
大人になったぶん豪快さが減ってきている点はちょっと残念であるが、天然ぶりはどうしてもまだ残っているようなので、これからも適度にボケつつ頑張っていただきたいところである。

急激に成長を遂げた兄に対し、前作と『アベンジャーズ』から一貫して真意がどこにあるのか分からないロキ。唯一真意が明確に映るところといえば、ソーが牢を訪れたときの荒れた室内か。
映画の活劇モードが強まる中、もっとも前作のシェイクスピア劇要素を担う人物という点でもブレない。『アベンジャーズ』で「あれほど悲惨な(そして笑える)目に遭ってなお反省してるのかしてないのかわからない」と記述したが、王子から一介の囚人になっても、ソーと共闘することになっても、まったく反省の色がないことが判明しました(ある一点を除いては)。

しかし、何だかんだでソーやジェーンを助けていることもありつつ、実はヴィランとしてステップアップしていることも判明してくる。本心が分からず動機がミニマルゆえ「ヴィランとしてもグレーゾーン」と以前表したが、そのベースはちゃんとキープしつつ、成長するところは成長している模様。ソーも成長したことだし、そりゃ負けちゃいられないよね。人気はもしかしたら勝ってるかもね。

兄貴はヒーローとして、弟はヴィランとして着実に歩み始めたアスガルド。
というわけで、今回一番頼りにならないダメ親父ぶりを露呈してしまったオーディン、貴方も今後いろいろ頑張れ!!

2014年8月8日金曜日

GODZILLA (2014)

怪獣王×タメ・キメ・ミエの掌握=無敵。

GODZILLA('14)
監督:ギャレス・エドワーズ
出演:アーロン・テイラー・ジョンソン、渡辺謙



「ハリウッド版ゴジラって昔映画化されてなかったっけ?」
「アレの続編やるの?」
「いや、アレ関係ないっすから! なかったことになってるから! 黒歴史だし。っていうかイグアナだし
まさか公開前にエメゴジ('98年のエメリッヒ版ゴジラの意)釈明にあたることになろうとは思わんかったさ。これが映画オタクと世間のズレの一環なのだろうか。

1999年、フィリピンの炭鉱崩落跡の調査に呼ばれた芹沢博士らは、巨大生物の化石とそれに寄生した巨大な卵のようなものを発見する。
同年、日本のジャンジラ市(ジャパン+ゴジラで命名?)で謎の振動と電磁波が発生し、原子力発電所が倒壊。原子炉の調査に当たっていたブロディ夫妻の妻サンドラが亡くなる。
2014年、ブロディ夫妻の息子フォードは、軍の任務を終えてサンフランシスコの家族のもとに戻るが、父ジョーが立ち入り禁止区域のジャンジラ原発跡地に侵入し逮捕されたとの連絡を受け、父の身柄を引き取りに急きょ日本へ向かう。ジョーは、原発事故の背後で隠ぺいされた「何か」を探ろうとしていた。

……といったストーリーを置いといて取り急ぎ言わせてほしい。
ゴジラがマジでゴジラだった!!!!

ギャレス監督はオリジナルのゴジラのファンだと聞いていて、きちんと愛情もってつくってくれるんだったら大丈夫だろうと思っていたら、いやはやそんな大丈夫とか安心といったレベルではありませんでした。全幅の信頼を置きたいレベルでした。下手すると、ゴジラ好きではあるけどものすごいファンってほどではないくらいの日本人観客(私とかな)が忘れかけていた事実を、ギャレス監督が蘇らせてくれたのではとも思う。

それは、ゴジラは生物すべての頂点に君臨する「神」であり、ヒーロー視するものでも倒して「やったーー!!」と思うものでもなく、畏怖の対象であるということである。そこに重きを置いたからこそ、実は大々的に映っているカットは少ないにも関わらず、地響きや咆哮1つですべてを持って行ってしまう存在だったのではないだろうか。
さらには、ゴジラにとって人類なぞ敵でもなく守る存在でもなく、まったく何とも思っちゃいないということである。チャイナタウンの戦いでフォードと一瞬目が合うも、意志の疎通を感じさせるわけでもなく瞬く間に煙の中へ消えてしまうゴジラ。あれこそ神との対面である。

しかし、神だ畏怖だという一方、皮膚のタプつき具合や動き方から漂う着ぐるみ感を見ると、何とも嬉しくなってしまうのもまた事実。『パシフィック・リム』のときもそうだったけど、たとえCG製でも着ぐるみっぽさのある怪獣はなぜか愛着が高まるのですよ。
これで日本はアンディ・サーキス(ゴジラのモーションキャプチャー担当。まさかゴジラの現場にこの人がいようとは……)にすっかり頭が上がらなくなってしまったかもしれない。あ、一方タプつきのないムートーも、あれはあれで特撮で動かせそうなデザインが良かったですよ。

ただでさえ最強で、監督が畏怖の念を念頭に置いて作り上げ、そのくせ愛着すら湧くゴジラなのに、今回のゴジラはさらに強力な武器を持ってきた。出現までの「タメ」、現れた瞬間の「ミエ」を切るかのようなショット、そしてここぞというときの「キメ」である。
キメの最たるものはもちろんあの咆哮。それ以上のことはぜひ一度その目で確認してほしい(願わくばスクリーンで)。この瞬間ばかりは畏怖とはまた別の高揚感がやってくる。
まさかここまで魅せ場を分かってらっしゃるゴジラとは思っていませんでしたよ。一緒に観に行った母がゴジラのタメ・キメ・ミエおよび去り際を「時代劇のサムライ」と形容してましたが、確かにそんな感じでしたよ。

ゴジラにとって取るに足らない存在だからなのか、ゴジラよりはるかに長く映っているにも関わらず、人間たちのドラマはゴジラの存在よりも薄め。離れ離れになってしまったフォード一家も、殲滅作戦に乗り出すアメリカ軍も、まるでゴジラとムートーの背景である。うっかりすると「いいよもう人間は! それよりゴジラだ! ムートーだ!」とさえ思えてくるほど。

極めつけは渡辺謙演じる芹沢博士。ゴジラやムートーの生態を研究しているはずなのに、研究者らしい活動をしているところはあまり見当たらず、怪獣について何らかの対処策を練っているわけでもなく、ただゴジラの強さを信じるのみ。
そしてゴジラをこの目で見たくて仕方ない。すでに多くの方がご指摘している通り、単なるゴジラ大好きおじさんである。ただ、追跡の最前線にいながら危険にさらされることもなくゴジラやムートーを見られるというのは、ある意味大変に理想的なポジション。つまり、ゴジラファンにとって夢の役割?

なお、少なからず核や戦争や人類の傲慢を背負うゴジラものに、アメリカ人にヒロシマのことを少しでも訴える瞬間があり、今この時代に日本の原発事故に言及するという点が、人間ドラマとは少々ズレるもののもっともドラマが活きた瞬間ではないだろうか。

デビュー作でモンスターをほとんど見せずしてモンスター映画を撮ったギャレス監督だけに、ゴジラを最低限の登場シーンで最高神にしてみせた手腕にはどこまでも賞賛を贈りたくて仕方ない。ただし、欲をいえばその最低限に削られた怪獣決戦をもっと観ていたかったところ。
となると気になるのが、早々と制作が決まった続編。どうやらキングギドラとモスラとラドンが登場して四つ巴の戦いになるらしい。さすがに4体も出現するとバトルシーンも増えるだろうし、今回のフラストレーションが解消されることになるかもしれない……!!!